円安とインフレーション


インフレーションになれば景気は良くなる

公開: 2022年3月31日

更新: 2022年4月19日

あらまし

1990年代後半、大蔵省主導の金融機関の再編と、企業の経営難、そして労働市場における若年労働力の過剰状態によって生じた失業率の上昇によって、日本経済は1990年代の後半から、危機的な状況に陥った。10年以上の期間に渡り、日本社会は定職に就くことができない若者の増加、労働者の賃金低下、大学等の卒業生の就職率の低下に見舞われ、若年層の労働力において専門的な知識や技能の蓄積が困難になった。

その結果、日本社会における労働力の質が継続的に低下し続けるとともに、若年労働者の賃金の低下がみられた。その若年労働者達の中心だったのは、ベビーブーム世代の子供達、第2次ベビーブーム世代であった。第2次ベビーブーム世代の若者は、自分達の収入が少なくなっていたこと、終身雇用制の衰退から将来の収入に対する不安、子供達の教育負担が高まっていたことから、婚期が迫っても結婚を控える傾向が生まれ、結婚をした人々の間でも、それまでの人々のように子供を産むことはためらうようになっていった。

インフレーションになれば景気は良くなる

1990年代の初めに、日本は株価・土地価格の暴落をきっかけに、バブル経済の崩壊を経験した。とは言え、日本経済の底力は強く、そして日本円の為替レートはドルに比べて安かった。この円安によって、日本製品は米国市場で評価され、輸出は依然、好調であった。そのため、アメリカ合衆国の対日貿易収支は、赤字が続いていた。バブルがはじけても、日本国民の間には、不況が近づきつつあると言う認識は薄かった。

1993年1月にアメリカ合衆国大統領に就任したクリントン氏は、米国経済の立て直しを政権の重要テーマとして、弱っていた米国経済を回復させるために、円高ドル安政策の導入に踏み切った。その成果によって、日本円は為替市場において、対ドルで100円前後に高騰し始めた。この円高は、結果として日本人労働者の国際的に見たコストを押し上げ、日本企業の労働コストを、世界一位の水準に押し上げた。この円高によって生じた労働コストの急騰は、米国市場における日本製品の市場価格を上昇させたため、米国市場における日本製品の価格競争力を急激に低下させた。その日本製品に代わって、韓国製品や台湾製品の価格競争力が向上し、市場に普及し始めた。日本経済は、少しずつ、後退局面を迎えつつあった。

日本企業では、このころから世界一の日本の労働コストの高さが、経営課題になり始めた。企業は、労働コストを下げるために、特に大企業では、新入社員の採用を減少させることで、熟練社員数を減らさずに、社内の人材難を回避し、新入社員獲得のために毎年の春闘で上昇を続けてきた従業員の給与表改訂をやめると言う対応策をとった。しかし、バブル期前に採用したベビーブーム世代の従業員が中間管理職になり、終身雇用で勤続年数が増すことによる従業員の給与の上昇を抑えることはできなかった。このため、企業では、人件費の圧縮を目的として、社内人材に対する早期退職や自主退職の推進を行い、総人件費の削減を行うようになっていた。

円高による海外市場での日本製品の価格上昇、円高による国際的に見た人件費の膨張、そしてそれまでの経済成長を支えてきたベビーブーム世代の労働力の高齢化によって、日本企業の底力は、少しずつ減退していた。さらに、バブル崩壊で生じた不動産の価格下落による不良資産化、株式価格の大幅な下落によって、国内の金融機関が直面した保有資産額の減少によって、金融機関は資本不足に陥り、倒産する例も出始めていた。当時の大蔵省は、金融危機を回避するため、金融機関の統合によって、不良資産の整理と保有資産の増加を推進するとともに、従来からの「護送船団方式」を放棄する方針を取ることとした。

この大蔵省主導の金融機関の統合・再編と、企業の経営難、そして労働市場における若年労働力の過剰状態によって生じた失業率の上昇によって、日本経済は1990年代の後半から、危機的な状況に陥った。10年以上の期間に渡り、日本社会は定職に就くことができない若者の増加、労働者の賃金低下、大学等の卒業生の就職率の低下に見舞われ、若年層の労働力において専門的な知識や技能の蓄積が困難になった。その結果、日本社会における労働力の質が継続的に低下し続けるとともに、若年労働者の賃金の低下がみられた。その若年労働者達の中心であったのは、ベビーブーム世代の子供達、第2次ベビーブーム世代であった。相対的に人口も多く、国内経済に与える影響も大きかった。

日本社会の景気後退とともに、第2次ベビーブーム世代の若者は、自分達の収入が少なくなっていたこと、終身雇用制の衰退から将来の収入に対する不安、子供達の教育負担が高まっていたことから、婚期が迫っても結婚を控える傾向が生まれた。結婚をした人々の間でも、それまでの人々のようには子供を産むことをためらうようになっていった。このことから、国内における出生率の低下が進んだ。出生率が低下すれば、長期的には、人口減少を招く。さらに、出生率の低下は、出生に伴う様々な消費を、短期的に失わせる。本来であれば、第2次ベビーブームの時に生じた需要に近い規模の需要を生み出すことが期待されていた。日本社会の景気後退によって生じた、出生率の低下が、さらなる景気後退を生み出したのである。

このような多重な要因が絡み合った日本社会の景気後退は、社会全体の低価格製品の需要を高め、その連鎖によって、日本社会では長期に渡り、「デフレーション」に似た現象を引き起こした。日本社会において、多くの人々は、賃金の上昇がなくなっても、物価の下落によって、景気後退を直接、実感できなくなっていたのである。しかし、この期間の日本人労働者の賃金の相対的な下落は、かつて世界一の高さにあった日本人の賃金水準を、現在は韓国人の賃金水準よりも低い水準にしたのである。この間、一部の政治家の間では、「2パーセント程度のインフレーションを誘起して景気の好循環を起こし、景気を回復すべきである。」とする説が信じられるようになった。

このもっともらしく聞こえる説に基づいて、安倍政権で日本銀行の総裁に就いた黒田氏は、2パーセントの物価上昇を目標として超低金利政策を実施した。しかし、日本社会の経済は、一向に回復しない。それどころか、「2パーセントの物価上昇」も「2パーセントの経済成長」も実現していない。この間、世界は「平均2パーセント程度の経済成長」を続けているにも関わらずである。長期金利を引き下げて、市場に大量の資金を投入すれば、企業は労働力の増強や生産財の増強への投資がし易くなり、経済成長につながると、表面的な論理に基づいて考えていたのである。

(つづく)