公開: 2022年4月11日
更新: 2022年4月19日
日本社会でバブル経済が破たんした後、当時の大蔵省は、第2次世界大戦後からそれまで、全ての同種の金融機関が提供するサービス、顧客に提供する利子やサービス費用などに関する様々な規約を標準化するやり方を続けてきた。この全ての金融機関が、まるで一つの会社であるかのように業務を実施するように、政府が規制するやり方を「護送船団方式」と言う。
この「護送船団方式」と呼ばれる、行政機関による民業の規制は、第2次世界大戦以前の昭和初期に、日本社会が経験した不景気と、それによって発生した銀行などの金融機関の倒産の経験が基になっている。体力の弱い金融機関は、景気後退の時、資金不足などで倒産することがある。金融機関が倒産すると、融資を受けようとしている企業や、金融機関に預金などで資金を提供している一般市民は、預け入れた預金を回収できなくなるなど、社会的な不安を巻き起こす例が少なくなかった。
このような経済が後退しつつある社会における金融機関の経営破たん(倒産など)は、社会全体の経済に対する人々の不安を生み出す傾向がある。この経験から、日本社会では、銀行などの金融機関の経営破たんを避けるために、金融機関の間での過度な競争を抑え、全ての金融機関が同じような質のサービスを、同じようなコストで、ほとんど同時に提供できるように、政府が規制することになったのである。この体制は、1990年代の半ばまで、続けられた。