公開: 2020年6月4日
更新: 2020年7月6日
これまで私たちは、思いをめぐらすときに、どのような順番で、どのようなことについて注意を払って準備をし、どのようなやり方で問題を考え、考えついた答えの中から、どのようにして最も良いと思われる案を選んだらよいかについて、20世紀の構造主義の方法を基礎に考えてきました。しかし、どのようにして問題から答えにたどり着くかについての考え方については、後回しにして考えを進めてきました。
ここでは、そのどう考えるのかについて、最も重要で、古くから知られている方法について紹介します。その方法は、古代ギリシャの哲学者たちが使っていた方法で、「弁証法」と呼ばれていたやり方です。この方法は、現代でも最もよく知られている方法として、様々な問題についての議論の際に、しばしば使われています。古くは、哲学者のプラトンが使った方法として有名です。また、ドイツの近代哲学者として有名なヘーゲルが使った方法としても知られています。
弁証法では、ある問題について、誰にも分かるような2つの代表的な考え方を示して、それらの考え方が優れている点を説明します。つぎに、それらの考え方が持っている弱い点や悪い点について考えます。そのような2つの対照的な考え方の「良い点と悪い点」を並べた後、それらの2つの考え方の「悪い点」に注目して、その欠点を小さくして、全体としてより良い案になる解決策を考えるやり方です。このようにして、最初に明らかにした2つの案よりも、もっと良い、もっと望ましい案をまとめる方法です。
この方法は、プラトンがイデア論で思いをめぐらしている問題のイデアを考えるときや、アリストテレスが中庸(ちゅうよう)を探し出すときに使った方法です。現代社会における問題の解決においても、より良い解決策を見つけ出そうとするときに使われる方法で、企業で新しい製品の開発などにおいて使われています。
私たちが、思いをめぐらすとき、絶対にしなければならないことは、これまでに述べたやり方で、どんな問題を解かなければならないかが分かった時、その問題を解くための答えを見つけ出すことです。私たち人類の祖先も、この問題を長い間、考え続けて来ました。古代ギリシャの哲学者、アリストテレスによれば、そのような問題に対して、最初に答えを提案したのは、紀元前500年頃、南イタリアのエレアで活躍していたゼノンと言う哲学者だとされています。このゼノンのやり方を、ソクラテスは、2人の対話で議論を進めるやり方として、一般化しました。
ゼノンは、真実を探し求める方法として、異なる意見や考え方を持った二人の人間が、それぞれが正しいと信じることを説明し、お互いにもう一方の人の意見や考え方の弱点を指摘することで議論を深めてゆく、対話式の議論の方法を考え出しました。この方法をゼノンから学んだソクラテスは、人間のあるべき姿を説明するとき、この対話による議論の方法を使って、分かり易く説明したようです。このソクラテスの方法を、その弟子であったプラトンは、自分の主張していたイデア論において、議論の対象となるイデアを見つけ出す方法として使い、説明しました。
ソクラテスが使った「対話による議論によって、真実を語る方法」は、二人の異なる見方や、二つの異なる答えを、戦わせることで、どちらが正しそうかを明らかにして、正しそうな結論を選ぶ方法として、厳格な方法としてではなく、大まかな進め方として提案されました。これに対して、プラトンは、その方法をもう少し詳しく説明し。考えるときのやり方の一つとしてまとめ上げました。そこでは、「主張の内容の深堀り」と「新しい主張の組み立て」から成る、推論のやり方として方法を作り上げようとした思いがあったようです。ですから、議論の始まりも、2つの異なる意見や見方を説明するだけのものではなくなりました。
プラトンが、説明したやり方は、ある見方や、考え方が示されたら、その見方や考え方とは正反対の見方や考え方を思い浮かべます。そして、この2つの見方や考え方を比べて、それらの良い点と悪い点を並べて比べられるようにします。ここまでが、「主張の内容の深堀り」に当たります。この良い点と悪い点を並べることができたら、特に、それぞれの見方や考え方の悪い点をよく見て、2つの主張を組合わせることで、悪い点の少ない、「より良い主張」を作り出せないかに思いをめぐらします。もしそのような「より良い主張」が作り出せたら、その第3の主張を結論として採用すれば良いのです。これが、プラトンが考え出した新しい「弁証法」です。
19世紀のドイツの哲学者、ヘーゲルは、このプラトンのやり方を少し変えて、最初の主張が示されたなら、その主張を否定した新しい主張を作り出す方法を考え出しました。最初に示された主張を「正の主張」として、その否定から作られた主張を「反の主張」として考えます。これらの『正』と『反』の2つの主張を対比して、それらの主張の弱点を解決した、新しい主張を作り出すことが正しいと、ヘーゲルは述べました。この新しい作り出された主張を「合成された主張」と呼びました。共産主義を主張したドイツの経済学者マルクスは、産業革命後の社会には、「資本家」と「労働者」がいるため、この2種類の人々の対立で、社会的な問題が生み出されるとして、個人による資本の所有を許さない「新しい社会」を作るべきであると、主張しました。ヘーゲルの弁証法の社会制度変更の議論への応用です。
ヘーゲルの弁証法は、プラトンの弁証法を土台にしながら、焦点が当たっている主張に対して、それとは全く対立するような「反対の主張」を作り出して議論を深めようとした点に新しい工夫があります。いずれにしても、弁証法では、焦点が当たっている主張と、それに「対立する主張」を並べ、それらを互いに比べることで、それらとは違った、さらに一歩進んだ新しい主張を作り出す点は、共通しています。ヘーゲルの方法では、対立する主張が存在していない状況でも、問題となっている主張を否定する「反論」を作り出すことで、弁証法の手順をどのような場合でも使えるようにした点が違うだけなのです。以下にの図に、その概略を示します。
プラトンの弁証法を使った例を考えてみましょう。1940年頃の日本で、中国大陸での中国政府軍と共産党軍との戦争に行き詰まった日本政府が直面していた問題です。それは、アメリカ合衆国との全面戦争に着手すべきか、それともアメリカ合衆国との協議には妥協して全面戦争は回避すべきであるとする主張の、どちらにすべきかの問題について考えてみましょう。
アメリカ合衆国政府は、日本軍の中国大陸における中国政府軍との戦闘に対して、中国東北部における日本政府による利権の確保については理解を示しながらも、それ以外の地域における日本軍の支配は認めず、日本軍は即時撤退すべはと言う姿勢を取っていました。日本政府の中では、中国での長期の戦闘で、数多くの兵士や民間人の犠牲が出ており、中国東北部以外の日本軍占領地域から、即時撤退するという条件は、受け入れられないとする主張が日本国内では広く支持されていました。
これに対して、政府の中枢にいた人々の一部や、陸軍や海軍の中にも、日本とアメリカ合衆国との間の経済力や軍事力には、大きな差があり、全面戦争になった場合に、日本軍が米国軍に勝つとは考えられず、戦争に負けた場合の損失を考えると、全面戦争に着手することは、危険が大きすぎるとしか思えないとする意見がありました。特に、アメリカ合衆国を訪問した経験のあった当時の知識人の中には、そのような意見の持ち主が多かったとされています。1941年の夏まで、総理大臣を務めた近衛文麿は、そのような考え方の持ち主だったと言われています。これに対して、近衛内閣で陸軍大臣を務めていた東條英機は、アメリカ合衆国との全面戦争も辞さないという意見の持ち主でした。この議論に関して、その全体を図式化して以下の図に示します。
この2つの主張の良い点と悪い点を比べてみましょう。
これらの2つの主張を比べて、特に「悪い点」に注目して、その「悪い点」を小さくして、全体としてより良い案にすることを考えると、以下のようになるでしょう。