公開: 2020年4月20日
更新: 2020年6月15日
私たちは、思いをめぐらせなければならないことにまつわる、様々な言葉を整理して、それぞれの言葉の意味、特にそれぞれの言葉の意味の違いをはっきりさせることから始めなければなりません。
その次に行うべきことは、思いをめぐらせる「ものごと」について、これまでの人々は、その「ものごと」をどのようにとらえ、それに対してどのように振る舞ったのかを振り返って見ることです。これを「調査」(ちょうさ)と言います。
この「調査」を通じて、私たちは、ものごとに思いをめぐらすとき、その対象の何に、注意をはらわなければならないのかをはっきりとさせます。つまり、「ものごと」に思いをめぐらせるときに、どの部分に「新しい」見方の光を当てなければならないのかを知るのです。
私たちが、ある「ものごと」について思いをめぐらせ、私たちが「何をすべきか」や「どのように振る舞うべきか」を決めようとするとき、最初にすべきことは、その「ものごと」に関(かか)わる言葉を調べ、それらの言葉の意味をはっきりと定め、書くことです。そして、その次に行わなければならないのは、これまでの人々が、その「ものごと」をどのように「とらえ」て、それに対して「どのように振る舞ったのか」を調べ、書くことです。その意味で、言葉は、非常に大切です。
ここでは、これまでの人々が、その「ものごと」をどのように「とらえ」、「どのように振る舞うこと」を、正しいと思っていたのかを、調べることについて考えてみましょう。人間は、言葉を使って、自分たちの思いや、自分たちがとるべき振る舞いについて、お互いにそれぞれの思いを話し合います。ある「とき」、ある「ところ」で、その人々が直面している問題について思いをめぐらすとき、私たちは、それまでに自分たちが見て、聴いて、行って、その結果どうなったかのか、などについて、それぞれの「経験」を話し、それらの様々な経験を整理して、自分たちが選ぶべき振る舞いを決めるようになりました。
このようなことは、昔から私たちホモサピエンスも、ネアンデルタール人も、同じようにやっていたと考えられています。ただ、私たちホモサピエンスの祖先は、ネアンデルタール人達よりも、「ものごと」の共通点を探し出し、その共通点に注目して、その共通点をもった「ものごと」全体に名前をつけることが上手だったようです。これは、古代ギリシャの哲学者、プラトンが言った「ものごとのイデア」を見つけ出して、名前をつけることと同じです。このやり方を「抽象化」(ちゅうしょうか)と呼びます。
私たちの祖先のホモサピエンスは、ネアンデルタール人よりもこの「抽象化」が上手だったことから、仲間達とお互いに経験を交換することが、上手にできたようです。このことが、食べるために動物を狩りで捕らえたりする時、その動物を捕らえるやり方を、今までよりも「うまく」やれるようにするために大切でした。私たちの祖先のホモサピエンスは、仲間たちと、うまく協力して、上手に狩りをして、たくさんの獲物を捕らえ、数多くの仲間に食べ物を「分け与え」ました。そのため、ネアンデルタール人達よりも大きな集団を作れるようになったようです。取れる獲物(えもの)が増えれば、弱い仲間にも、食べ物を分け与えられるからです。
そのような「わけ」もあって、私たちの祖先は、粘土板や紙に「ものごと」を書いて、書き残すための「文字」を生み出しました。これによって、話し言葉だけで伝えられる「ものごと」だけでなく、書き残された「ものごと」と、それに対する「祖先達の振る舞い」と、その振舞いの「結果」も調べて、自分たちがどのように振る舞うべきかを決められるようになりました。最初の頃は、限られた少数の人々の間だけに通用する「絵」のような文字が使われていたようです。例えば、エジプトの絵文字や、中国古代の漢字などです。
このやり方が使われるようになると、メソポタミア地域では、粘土板に「へら」を使って「あと」をつける「くさび形文字」が考えだされました。バビロニアのハムラビ王は、このくさび形文字を使って、バビロニアの国民達が従うべき法律を定め、それに基づいて国家を治(おさ)めました。このハムラビ王が定めた法律も、人間社会でよく起きる国民同士の争いごとを、たくさん書き残し、その記録を整理して、抽象化することで、個別の争いごとではなく、多くの人々がよく経験する「問題」として、争いごとをとらえ、それに対する国家の対応をまとめたものです。
その後、メソポタミア地域のフェニキアで、現在、私たちが英語を書く場合などに使っているアルファベットの元になった、フェニキア文字が作られました。この文字は、言葉の意味を示す記号ではなく、人間が言葉を話すときの発音を書くための記号で、表音文字と呼ばれます。その後に生まれた古代ギリシャ語や、古代ローマで使われたラテン語なども、この表音文字の形式を使って書かれました。
古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは、その古代キリシャ語の文字を使って、自らの教えを、弟子達に命じて、書き残させました。アリストテレスの「形而上学」は、そのようにして現代に伝えられています。この「形而上学」を教えたアリストテレスの講義で、アリストテレスは、最初に、その議論に必要な言葉を選んで、その意味を細かく説明し、次に、それらの言葉を使って、アリストテレス以前の古代ギリシャの哲学者達の教えについて、説明しています。
このアリストテレスが行った方法は、古代キリシャ語の教科書として、その後の古代ローマの人々に伝えられた後、イスラム教国を経て、中世の後期にヨーロッパの社会へもたらされ、広まりました。そして、このやり方が、現代の世界でもっとも普通に行われるやり方として、特に学問の専門分野に、根付いています。これは、新しいやり方で、何かを解決しようとした結果を示す時、そのやり方のどこが新しいのかを、はっきりと説明できるからです。つまり、それに関係した分野の進歩が、確実に示されるからでした。
アリストテレスの場合、プラトンが教えた「イデア論」よりも、自分が教える「中庸」(ちゅうよう)に基づいた考え方の方が、正しい考え方に、より確実に到達できることを示しました。最初に、「イデア論」を説明し、その問題点をはっきりと述べ、自分が提唱している「中庸」の考え方を使えば、「イデア論」で起るような間違いが起きないことを、「形而上学」にはっきりと示すことで、自分の考えの方の良さを示したのです。
現代の社会では、特許のように「新しい問題」や、「新しい解決方法」が、経済的価値を認められ、「新しさ」が話の中心になる例が多くなっています。そのような背景から、特許の申請や、学問的な論文でも、その新しさを主張するため、これまでの問題や方法と、何が違うのか、どう新しいのかを明確に説明することが求められています。これは、人間社会が発展して、問題を解決する場合にも、その速さなどが大切になってきているからです。
もちろん、どんな問題でも、過去に解決された問題と全く同じ問題はありません。しかし、過去に解決された問題の特徴と、今、私たちが解こうとしている問題の何が異なっており、どんな特徴があるのかを、最初に明確にすることは、問題を速く、上手に解決できるようにすると言う点からも大切です。そのためにも、すでに行われている問題の解決では、どのような特徴のある問題に対して、どのようなやり方で解決が試みられたかについて、しっかりと調べ、それについてよく吟味することが大切になります。
このため、現代の特許に関する法律では、問題や解決方法の新しさももちろんですが、新しい解決方法がそれまでの方法から、自然に思いつけるようなものではなく、新しい解決方法を思いつくためには、何か特別な発想があったことが問題にされます。さらに特許では、その解決方法を使うことが、その問題を解決を考えるために、人々がかけなければならない時間や、解決に必要な金銭的コストが、それまでのやり方よりも大幅に少なくなったり、小さくなったりすることなどが問題にされています。
例えば、最近、世界の物理学者達が、重さを生み出している粒子(重力粒子)の存在を確認しました。理論的には、全ての物質のもとになっている他の粒子は、重さがないとされているので、それらの粒子で作られる鉄などの元素が重さを持つ理由が説明できませんでした。そのことから、重さを生み出す特別な粒子があるのではないかと、物理学者達は予想していたわけです。この予想が正しいことを示すために、物理学者達は巨大な装置をつくり、実験して、その結果を調べ、正しいことを示しました。
私たちは、以前から、私たちの周囲にある「もの」は全て、重さを持っていることを、経験から知っていました。ですから、この現代の物理学者達の実験と、その結果を聞いても、驚きません。むしろ、物理学者達が、「なぜものには重さがあるのか」という疑問を持つのかと言うことの方が不思議に思えます。しかし、この重力粒子の発見は、これからの物理学の発展に大きな役割を担うでしょう。それは、物理学の方法である、仮説(予想)、仮説が正しいことを示す実験の実施、実験結果の分析の3つのステップが、いつでも大切であることが示されたからです。
学問などの分野によって、「新しさ」の何が大切なのかの意味は変わります。しかし、「新しい問題」や「新しい解決の方法」を見出すことの大切さは、人類が進歩するための要素として、いつの時代にも変わりはありません。その意味でも、私たちが思いをめぐらせるときに、その「ものごと」のどこに、「新しさ」が必要なのかをはっきりとさせ、思いをめぐらせることが大切なのです。そのことは、アリストテレスの時代でも、私たちの時代でも、全く変わっていません。