生きる力 〜 我々は物事をどう思い、どう振舞えばよいか

公開: 2020年4月14日

更新: 2020年6月15日

あらまし

どう思いをめぐらせるのかを考えるにあたって、最初にすべきことは、思いをめぐらせなければならないことにまつわる、様々な言葉を整理して、それぞれの言葉の意味、特にそれぞれの言葉の意味の違いをはっきりさせることです。

それは、全く同じ言葉を、違う意味に使ったり、二つの違う言葉を、同じ意味で使ったりして、話を聞いたり、呼んだりしている人々に誤解を与えることを防ぐためです。そうすることによって、話を分かり易く組み立てることができるからです。

同じことを表現するために、異なる言葉を使って、別の表現で繰り返すことによって、話の中身についての聞き手の印象を強めることができますが、それはあくまで普通の会話での話です。内容が難しい話の場合、そのような繰り返し表現は、全く同じ表現を繰り返すのでなければ、違った中身の話に聞こえてしまうかもしれません。

言葉の意味を明らかにする

どう思いをめぐらせるのかを考えるにあたって、最初にしなければならないことは、私たちが思いをめぐらせなければならない「もの」や「こと」と、それにまつわる様々な物事について、それらの様子(ようす)や中身を説明するために私たちが使う言葉を集めて、その一つ一つの言葉の意味をはっきりとさせることです。

私たち、人類の祖先で、そのようなやり方を最初に思い付き、そのやり方をしっかりとやった人がいます。その人は、古代ギリシャの哲学者であったアリストテレスと言う人です。アリストテレスは、自分が説明しようとしている問題について、それに関(かかわ)りのありそうな言葉を集めて、その一つ一つの意味の違いを細かく説明しました。このやり方は、その後の様々な研究分野で、専門的な研究をした人々に受けつがれました。

特に、そのようにして整理されなければならない言葉たちは、「名詞」(めいし)と呼ばれる種類の言葉の要素です。言葉の要素には、その他、「動詞」(どうし)と呼ばれる要素や、「形容詞」(けいようし)と呼ばれる要素などがあります。日本語の場合には、さらに「助詞」(じょし)などもあります。

「名詞」は、人間が見たり、触ったりして感じることができる「もの」に付けられた名前です。例えば、「犬」は、人間が飼うペットの動物の種類に付けられた名前です。もちろん、一匹一匹の犬には、「ポチ」や「ハチ」などのそれぞれの犬に特別な名前が付けられます。ですから、「ポチ」について説明したい時、私たちはよく、「犬のポチ」と言ったりするのです。それによって話を聴いている人で、「ポチ」を知らない人でも、「犬」の話をしていることが分かります。

「犬」と言う言葉を知らない人には、「犬は、動物の仲間で、人間がよく家で飼う動物の一つです」と説明します。この説明によって、聞いている人は、それまでに家で猫や犬を飼っている人を見たことがあれば、「犬」と言う言葉で呼ばれているのは、自分が見たことがある動物の「犬」であるのか、または「猫」であるのかのどちらかだと分かります。ですから、「犬」は「ニャーと鳴きますか」と聞けば、「いいえ」と言う答えが返ってくるので、「猫」の意味ではないことが分かります。

私たちがある「もの」や「こと」に思いをめぐらせようとしている時、「何について」思いをめぐらせているのかを、相手にはっきりと分かってもらうために、「何について」語っているのかを正確に伝えなければなりません。「犬」なのか「猫」なのかを、正しく伝えなければ、聞き手が何についての話であるのかを、正しく分かってもらうことができないからです。

ところで、私たちが思いをめぐらせる相手には、私たちが触れたり、見ることができるものだけではありません。中には、「思いをめぐらす」と言うような、人間が行うことなども含まれます。そのような人間が行うことの中には、私たちがよく「やっていること」の例をたくさん集めて、それらの例に共通する点を見つけ出し、それらに共通した点をもつ「もの」や「こと」に、特別な名前を付けることが、正しい場合があります。

古代ギリシャの哲学者であるプラトンは、そのようにして考え出された「思いをめぐらせるべき相手」に「イデア」と言う特別な名前を付けました。そして、プラトンは、元々のひとつひとつの例を考えるよりも、そこから導き出された「イデア」に共通する性質を考えることの方が重要であると教えました。例えば、ソクラテスが教えた「善」は、プラトンに言わせれば、「善のイデア」と言えるものでした。ソクラテスは、先人たちが行った尊敬されるべき行為の例を示し、それらが「善」の例であると教えました。

プラトンは、ソクラテスが示した「善」の実践例から導き出される「善のイデア」そのものこそが、人間として考えるべき、本当の対象であると主張したわけです。そして、ソクラテスが教えた「善の実践」の例には、共通して、「善のイデア」が本当に行われた場合であることから、その実践には、ただ単に「善のイデア」を理解しているだけでなく、それを実際の場面で、「本当にやる」ための「勇気」こそが最も重要な問題であるという思いに至りました。

「善を為す」(ぜんをなす)ためには、「勇気」をもって、それを成し遂(と)げることが必要であることは、ソクラテスも語っていたことでした。そのことから、プラトンは、「善のイデア」を実践するためには、自分が置かれた状況を冷静に考え、自分が解決すべき問題が何かを考え、自分ができることは何かを考えて、もっとも良い行動を探し出し、勇気をもってそれを本当に実行することが「善のイデア」を実践できる「(善)人のイデア」へと到達するためには必要であると教えました。

このプラトンの「善のイデア」の例で示されるように、私たちは「自分が考えるべき相手(または対象)」を明確にしなければなりません。そのためには、考えるべき対象をはっきりと表す言葉を見出すことが、その問題を考える第一歩になります。考えるべき対象を正しく表すことは、私たちがすでに知っている言葉を使ってできるかも知れません。しかし、考えるべき対象を正しく表現できる言葉は、まだ存在していないものかもしれません。

もし、私たちが思いをめぐらせようとしている相手や対象を、簡単に言い表す言葉がなかったとしたら、私たちはどうすれば良いのでしょう。プラトンがやったように、新しい「言葉」を作り出さなければなりません。古代ギリシャ語では、動詞や形容詞から簡単に名詞を作り出す規則があったそうです。ですから、プラトンは、すぐに新しい言葉を作れたのかも知れません。しかし、日本語を使っている私たちでも、やるべきことはプラトンと同じです。新しい言葉を作り出さなければなりません。

プラトンは、「もの」や「こと」の「今ある姿や、その良さ」を問題にしようと考えた時、今、私たちが日本語で「品質」(ひんしつ)と呼んでいる言葉の元になった言葉を作り出しました。これは、古代ギリシャ語の「どれくらい良いか」を意味して、ものやことの質の高いことを説明する形容詞から、作り出した「名詞」でした。もともと、古代ギリシャの哲学では、ものの多さを説明する、つまり「たくさんある」を意味する形容詞から作られた名詞の「量」と言う言葉がありました。プラトンは、そのことから発想して、「質」を問題にしたかったのです。

日本語で、形容詞から名詞を作り出すときに使われる方法は、「美しさ」や「人らしさ」のように、形容詞の語尾の「しい」を「しさ」に変えるやり方です。しかし、このやり方では「ものやことの様子の良さ」とか「ものやことの状態の望ましさ」のような表現になり、どうしても長く説明的になります。元々の日本語に「質の良さ」を一言で説明する形容詞がなかったことも、訳を簡単に作れなかった理由です。幸い、漢字にはそれに近い「質」と言う文字があったため、「ものの質」と言う意味で、日本人は「品質」と言う言葉を作り出しました。

この「質」を問題にするための言葉は、古代ローマ時代に、古代ギリシャ語で書かれた哲学書をラテン語に訳すため、ラテン語の"qualitas"と言う新しい言葉が作られ、現代の英語の"quality"の語源になりました。この"quality"を日本語に訳そうとしたとき、日本語には、それに当たる言葉がなかったため、昭和の専門家は、「品質」と言う漢字で表すことにしました。ですから、哲学の分野で、プラトンやアリストテレスが使った「質」という言葉の意味を知るまで、江戸時代までの日本人は、ものやことの質の良さを深く考えることはなかったと言えます。

第2次世界大戦が終わってから、アメリカ軍が日本を占領して、日本の産業を復興させようとしたとき、占領軍の高官達が必要だと思ったことの一つに、「質」の大切を日本人に教えることでした。このため、米国の企業から若い技術者が呼ばれ、日本人の技術者や経営者に対して「質」の大切さについての話がされました。これが、日本における「品質管理」(ひんしつかんり)の始まりでした。その後、日本の産業は急速に復興し、日本の製品は米国の製品の質を凌(しの)ぐようになりました。

私たちが、何かに思いをめぐらせようとするとき、何について思いをめぐらせるべきかをはっきりとさせるためには、その思いをめぐらせるべき対象を、正しく表す言葉を見つけたり、新しい言葉を作り出すことがとても大切です。特に、新しい言葉を作り出す場合には、その言葉の意味について、それがどのような意味を持つのかを、はっきりと、普通の言葉を使って、説明することを忘れてはいけません。多くの人々が、同じ問題について話すとき、その「新しい言葉」を使うからです。

そのような「わけ」から、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは、自分が思いをめぐらせるために必要になる言葉について、最初にひとつひとつ、その意味や使い方を説明する方法を思い付きました。それ以来、多くの学問分野で、このアリストテレスのやり方を真似(まね)するようになりました。このように、思いをめぐらせるために必要な言葉の意味や使い方を説明することを、「言葉を定義する」と呼びます。動詞の「定義する」は、言葉の意味や使い方を別の言葉で書いて説明することを言います。名詞の「定義」は、言葉の意味を書いた説明の内容を言います。

(つづく)