生きる力 〜 我々は物事をどう思い、どう振舞えばよいか

公開: 2020年6月25日

更新: 2020年7月6日

あらまし

これまで私たちは、古代ギリシャで考えられた「答えを見出すやり方」、そして、古代ローマ人が考え出した「難しい問題を解くやり方」と言う、古くから知られている方法について学んできました。その最後に、19世紀から20世紀にかけて、アメリカの哲学者たちが考えだした、新しいやり方について説明しましょう。それは、「答えが分からなくても、答えに近いものを見出すやり方」です。

古代ギリシャに始まって、17世紀までのヨーロッパ諸国では、「全てのものごとには、原因と結果があり、そのつながりは全知全能の神が知っている」と考えられていました。18世紀になると、私たち人間は、「全てのことが、全知全能の神によって、予め定められており、その約束事の通りに進んでいするのではないかも知れない」と、疑うようになりました。それは、いくつかの問題には、「正しい答えがない」ことを認めることと同じです。そして、「全知全能の神はいない」と言うことになります。

「全知全能の神はいない」と言う説は、キリスト教会にとっては認められない考え方です。そのため、中世のヨーロッパ社会では、そのような考え方は認められませんでした。そのような考えを公表した人は、科学者であっても、「異端者」と呼ばれ、「宗教裁判」にかけられ、火あぶりの刑に処せらりたりしました。ですから、そのようなことを公(おおやけ)に唱(とな)える人はいませんでした。しかし、18世紀頃になると、フランス、ドイツ、イギリスの思想たちが、生物の様々な種類が、生物の「進化の法則」によって生まれたのではないかと予想するようになりました。

19世紀の中頃、イギリスの生物学者、チャールズ・ダウィンは、船で世界を一周し、その航海での経験から、「生物の種類が最初から決まっていて、それが変化しないことはない」と考え、1859年、『種の起源』と名付けた書物を出版しました。これ以降、生物学の分野に限らず、全ての科学分野において、全ての物事は最初から決まっていたわけではなく、変化の過程にあると考える方が、実際の物事を説明する時、「つじつま」が合い易いと考えるようになりました。これは、「永久に変わらない真実がある」ことを否定するため、「人間はどんなに努力をしても、全てのことを理解することはできない」と言う結論になります。

この新しい「進化を基にした世界」の理解こそが、正しい考え方ではないかとする哲学者のグループがアメリカを中心に生まれ、「ブラグマティズム」と呼ばれる、新しい考え方を唱えるようになりました。ここでは、その「進化論」の考え方に基づいて、「より本当に近いと思われる答えを見つけ出すやり方」について説明します。

絶対に正しい答えは見つからない: もっと良さそうな答えを探す

中世までのヨーロッパの人々は、ローマ教会が教えていた通りに、「全ての真実は聖書に書かれている」と考えていました。その聖書は、普通の人では読むことができない、自分たちが使っているフランス語、ドイツ語や英語ではない、ラテン語で書かれていました。そして、「写本」と言って、誰かが書き写した聖書を見て、それを手書きで写し取って書かなければなりませんでした。ですから、ラテン語を学んでいない一般の人々では、読むことはもちろん、見ることもできないものでした。

ですから、一般の人々は、教会の神父さんに、「聖書にはこう書かれている」と言われれば、そのことを信じるしかありませんでした。その聖書の最初には、「神はこの世界を7日で造り、その最後の日に、自分の姿に似せて、人間の男と女を造った」と書かれています。ですから、人間は最初から人間として、「世界が誕生してすぐに、神が造った生き物であり、それ以来、変わっていない」と信じていました。

とは言え、古代ギリシャの哲学者の中には、アナクシマンドロスのように、「生物は海の中で誕生し、海の中で発展(進化)し、そのなかの何種類かは、その後、地上に移り住んだ」と考える人もいました。古代中国の思想家の中にも、生物が最初から変わらずに現在まで生存しているのではなく、「ある生物種は絶滅し、ある種類は生存環境に適合できたために、今も生存し続けている」と言った思想家もいたそうです。

これらの人々は、生物の種類は、聖書に書かれているように、最初から決まっていたのではなく、少しずつ変化をしながら、種類を増やし、現在、私たちが見ているような姿に変わって来ていると考えていたようです。これは、今、私たちが「進化論」と呼び、それが正しい節であると信じている考え方に似ています。つまり、二千数百年の間、人類は、「生物の種類は最初から現代まで、変化することはなかった」と考える人々と、「生物の種類は今よりもずっと少ない種類で始まり、少しずつ変化を繰り返し、その中でも自然の環境に適合した種類だけが生き残った」と考える人々の両方がいたのです。

しかし、これまでの世界で、その生物の種類が変化を繰り返すとする「進化論」が、人間社会の中で主流な考え方になったことは、19世紀までの人類の歴史では、ありませんでした。特にキリスト教の影響が強かった中世のヨーロッパでは、私たち人間の多くが、「生物の種類は、最初から決まっていて、それぞれの種類の姿や形は、全く変わっていない」と考えていたわけです。

このことは、生物学以外の分野でも、広く受け入れられていて、「自然界の全ての物事は、最初から現在、我々が見ている物事と変わらず、つまり絶対に正しい答え、または因果関係が成り立っている」と信じてきました。これに対して、現代の私たちの多くは、「人間はチンパンジーのような小型の猿として生まれ、アフリカ大陸の草原にある木の上で暮らしていた」と考えています。

以前は、「人間は、最初から今の私たちと同じような背の高さで、髪の毛が長く、体毛もそれほどこくなく、今の私たちが話している言葉と似たような言葉を話している」と考えていました。ですから、「人間がチンパンジーから進化した動物の一種である」と言う進化論の説は、全く信用されていませんでした。同じように、私たちが今、見ている宇宙の姿も、地球も、地球上の全てのものも、最初から今と同じ姿で存在し、将来も、そのまま存在し続けると考えていました。人間とチンパンジーは、最初から違う動物として生まれ、人間は最初から高い知能を持っていたと考えていました。

18世紀頃から、ヨーロッバの知識人の中に、生物はいつも変化し続けており、新しい「種」の動物が出現するのは、その新しい「変化」が、動物の生きてゆく自然環境に、それまでの動物よりも「うまく」適合していただけの結果ではないかとする考え方が生まれ始めていました。そのような時代に、イギリスの生物学者であったチャールズ・ダーウィンは、イギリス海軍の調査船「ビーグル号」に乗船し、イギリスを出航し、南アメリカ諸国を経由し、南太平洋のガラパゴス諸島、ニュージーランド、オーストラリアを経て、アフリカ大陸に到着し、イギリスに帰港しました。

この間、ダーウィンは、ガラパゴス諸島で様々な動植物の標本を収集し、イギリスへ持ち帰りました。帰国後、そのガラパゴス諸島で収集した標本の整理をしていた時、ダーウィンは、何人かの動物学者が唱えていたように、「動物の種は最初から決まっていたものと考えるよりも、ある種から始まって、少しずつ変化して、増えてきたと考える方が、説明がつき易い」と考えるようになったようです。特に、当時、広く知られるようになった経済学者マルサスの「人口論」を読み、似たような動物の種の間には、生存のための競争があり、その競争に勝った「種」が繁栄し、負けた種が絶滅してゆくのではないかと考えるようになったようです。

ダーウィンが学んだケンブリッジ大学には、現代のコンピュータの元になったプログラムで動く計算機械を考えていた、数学者のチャールズ・バッベージなどがいて、ダーウィンと意見交換をしていたようです。バッベージは、「動物の「種」は、最初から「変わることのない」ものとして、神が作ったものではなく、数少ない古代の生き物から始まって、少しずつ変化して、今のような生き物に変化してきたものである」と主張していたようです。バッベージは、「神は、どのような種が生き残り、どのような種が絶滅するのかの規則を造った」と考えていたようです。

このバッベージの考えは、ガラパゴスから持ち帰った標本を整理していたダーウィンが、なぜこのように姿や形の似た、異なる生物の種がガラパゴスの異なる島に生きているのかの理由を考えるのに参考になったようです。ダーウィンは、さまざまな人々の思想を踏まえて、突然変異による変種の出現と、自然の選択による新種の増加と新種の存続を基本とした「進化論」(しんかろん)を考え出し、19世紀の中頃に『種の起源』として出版しました。この進化論には、キリスト教徒の一部から、強い反論が出されました。カトリック教の総本山であるバチカンも、この新しい理論は、間違っていると主張しました。

20世紀に入ると、「変化と環境への適応によって全体が進化する」とする考え方は、さまざまな分野で支持されるようになってゆきました。特に、言語学の分野では、「ある言語の変化の発生と、その変化が言語を変える」ことを意味する「言語変化」が議論されるようになりました。そして、ある言語が、別の古い言語から派生したと考えられるようになりました。例えば、ヨーロッパ世界における、ラテン語と現在の各国で話されている言語(フランス語、ドイツ語、英語など)との関係です。

さらに、古代のケルト語と、ケルト語から派生したウェールズ語やスコットランド語、そして現代のウェールズで話されている「英語のウェールズ方言」との関係など、言語の変化には、動物の種の進化に似た側面が数多くあります。そのようなことから、米国では進化を基本に、様々な「ものごと」を考えるやり方が生まれました。「プラグマティズム」と呼ばれている考え方です。ここの考え方では、「人間は本当の真実を知ることはできないかも知れない」が、「今、知っていることの問題点を明らかにして、その問題を解決する「より良い」考え方を見出すことはできる」とする、現実的な考え方です。

20世紀の後半になると、生物の細胞の核の中に、デオキシリボ核酸(DNA)と呼ばれる、4種類のタンバク質から作られている物質が見つかりました。この物質が鎖(くさり)のようにつながって、生物の遺伝情報を伝えていることもわかってきました。4種のタンパク質がどのような組合せで鎖状につながっているかによって、動物の種類の形や姿が決まるのです。このDNAの情報は、細胞分裂で常に複製されています。しかし、細胞分裂を何回も繰り返していると、DNA情報が正しく複製されないことがあります。それが、ガンなどの病気の原因です。

子供の姿形が親に似ているのも、父親と母親のDNAを半分ずつ受け継(つ)いでいるからです。兄弟でも少し違いがあるのは、長いDNAの鎖(くさり)が、部分的に違っているからです。そのようにして生まれた新しいDNAの組合せが、生物が生きる環境において、他の生物よりも有利になるとすれば、その生物(個体と呼びます)は、他の個体よりも多くの子供を残す可能性が大きくなります。多くの子孫では、その親のDNA情報を受け継ぐので、その子孫が増え、新しい生物の「種」になってゆきます。これが、今、私たち人間が考えている「生物の進化」です。

この進化論的な考え方と、分割統治を使った問題の解き方、そして弁証法を基礎とした答えを探すやり方を組み合せて、簡単には解けない問題を、少しずつ解いてゆこうとするのが、最近の私たちのやり方になっています。プラグマティズムの考え方では、「絶対に正しい」答えや、「普遍的な」答えを、私たちは見つけることができないかも知れないとしています。ですから、これが「正解」であるとするものはないと考えているのです。この考えが正しいかどうかは、簡単には答えられません。

人間が歩んできた歴史を振り返ると、「これが正しい」と信じていたことが間違いであった例の方が、そうでない例よりもはるかに多かったと気づくでしょう。そして、「今は正しい」と考えられている答えも、将来、間違いだとされるかも知れません。例えば、日本人の多くは、「天皇は神である」と信じていた時代がありました。しかし、今でも「天皇は神である」と信じている人は、多くないでしょう。「何が正しいか」は、簡単には答えを出せない問題なのです。しかし、私たちは、その問題を、「答えられない問題」のままにしておくことはできないのです。そのようなことから、プラグマティズムの考え方は、役に立つ考え方であると言えます。

(つづく)