公開: 2020年4月4日
更新: 2020年6月15日
これからの世界では、生きてゆくためには、私たちが物事をどう考え、その考えに従って、どう振る舞うかが、問題になります。人類にとって、そのことは古代から、ずっと大切な問題でした。しかし、これまでの5,000年間、そのことが問題にされたのは、王様や宗教家、さらに中世のヨーロッパの貴族、日本の封建時代の大名などの人々など、一部の人々に限られていました。
皆さんが生きてゆく、これからの時代は、何をどう考え、どう振舞うべきかを考えなければならないのは、一部の「特権階級の人々」だけでなく、ほぼ全ての人々になるでしょう。それは、私たちが生きている社会が、とても豊かになり、ひとりひとりの人に自由が与えられ、私たちの生きている社会に必要な決めごとを決める人々を選ぶ権利が与えられるようになっているからです。
ここでは、これからの議論がどのように進められるのかについて、あらすじを示します。
生きてゆくために、人は、自分の周りで起きていることを見て、聞いて、または肌で感じて、何が起きているのかを知ります。そして、なぜそれが起きているのか、起きてしまったのかについての「わけ」に思いをはせます。さらに、我々はしばしば、起きたことに対して、どのような働きかけをすべきかについて思い、その思いの通りに働きかけようとします。
このことを漢語も使って、簡潔に表現してみましょう。生きてゆくために、人間は、自分の周辺で起こった変化や、起きつつある変化を五感で感知して、その原因を考え、分析します。さらに、我々はその自分達の周囲で起こっている変化に対して、自分達がどのように行動するのが最良であるかを考えます。その考えに基づいて、我々は自分の行動を選択し、そのように行動します。
例えば、自動車が自分の方へ迫ってきていることを音で聴き、目で見た時、我々はその自動車があと何秒ぐらいで、現在、自分のいる場所に到達しそうかを予測します。自動車が自分の位置に到達する時間が3秒以下と迫っていると予測すれば、素早くその場から離れて、身の安全を確保できる場所に移動します 。自動車が迫ってくる速度がもっと速く、安全な場所へ移動する時間がなければ、最悪の事態に対応した姿勢をとることになります。
ここでは、そのような場面において、どのように物事をとらえ、認識して、その原因についてどのように「思いをめぐらす(考え)」のが「良い」のかについて考えます。さらに、判明した原因に対して、どのような対応を取れば「良い」のかについて、どのように「思いをめぐらす」のが正しいのか、などについて、これまで人類の先輩である古代ギリシャや古代ローマの思想家や賢人たちが教えた方法を振り返ります。さらに、私たちが生きている「今」の時代に合った、、新しい「考える方法」も紹介します。
さらに、人間は「善く生きるため」に「どう考え、どう行動すべき」かについても、考えてみましょう。古代ギリシャの哲学者であるソクラテス は、「人間は『善(ぜん)』を行うために生きるべきである」 と教えました。その「善」を行うためには、「善とは何か」について、そして「どうすればこれが善である」と言えるかという問題の答えについての、しっかりとした答えの求め方が分かっていなければなりません。
しかし、正しい答えを知っていることが、「善を為す」ためになければならないことを意味しているわけではありません。どうすることが「正しい」かを知っていても、それを行わなければ、「善を為した」ことにはなりません。この自分が『善い』と思うことを、実際にその通りに『行う』ことは、決してやさしいことではなく、しばしば、『自分を奮(ふる)い立たせること』ができなければなりません。それは、電車の中で、立っている高齢者の人に席を譲(ゆず)るという、ささいなことを行うときにも大切になることから、すぐに分かります。
『善い』と自分が思うことを、本当に『行う』ことで、自分の身体や生命に、大変な危険がふりかかることがあります。例えば、皆さんの目の前に立っている母親とその赤ん坊に自動車が急接近している場合、あなたは、その親子に体当たりをして、親子が今いる所から少し離れた所に、短時間で移させなければなりません。もしあなたが、そのことに失敗すれば、あなた自身の生命が危険にさらされるかも知りません。それでも、あなたは、そのような行いをしますか。それとも、その親子が、その自動車にはねられ、大変な事故になるのを、いたずらに見ていますか。
この文書では、以下のような順番で、以下のようなことについて考えてゆきます。