宗教について 〜 人の生と死を考える

公開: 2023年1月28日

更新: 2023年9月22日

あらまし

宗教が我々に教えることの一つは、「人はどう生きるべきか」の「問(と)い」です。もう一つは、「人は死んだらどうなるのか」の「問い」でしょう。この後者の問いは、ホモ・サピエンスだけでなく、その祖先であったネアンデルタール人達にとっても、重要な問いだったようです。最初は、ホモ・サピエンスもネアンデルタール人も、生の延長線上に死を考えていたでしょう。しかし、死から蘇(よみがえ)る例がないことから、人間は「死んで、肉体は朽ち果てる」ことを認識し、その恐ろしさから、死後の世界を考え始めたのでしょう。そして、幸せな死後の世界を生きることができように、死者の霊を弔(とむら)う儀式を行うようになったのでしょう。

古代エジプトでは、「王は神の子」であると言われました。王が死ぬと、肉体は滅びますが、その霊は滅びずに、死後の世界へ旅立ち、永遠に生き続けると考えられました。王たちが死んだあと、死後の世界でも「王として生きられるように」、遺体のまわりに、生前使っていた遺品を数多く、埋葬する習慣が生まれました。そして、遺体と遺品を収めるために、巨大な墳墓が作られるようになりました。古代エジプトのピラミッドです。王だけでなく、通の人々も、「死後の世界」で永遠に生きると考えました。そのため、死後の世界で幸福に生きられるように、「天国」へ行くことが大切であると、信じられていました。仏教では、天国へ行くことができる人々は、生きている時、「良い行(おこな)い」をした人々であると信じられていました。

キリスト教、特にプロテスタントの人々の間では、「嘘を言ってはならない」という教えは、「地獄行き」になるかどうかの判断になるため、多くのキリスト教徒は、最近まで「嘘を言うこと」を怖れました。これに対して、日本社会に広まっていた仏教では、ヨーロッパのキリスト教社会のように、強く「嘘を言うこと」を禁じる傾向はありません。その影響もあってか、日本社会では、政治家が嘘をついても、社会的に抹殺されることはありませんでした。かつての米国社会では、政治家が嘘を言い、それが「嘘であったことが判明する」と、その政治家は、社会から抹殺される例が多かったようです。これも、時代とともに変化しているようです。

ローマ教会の神父たちは、布教のために、死後の世界を語ったのでしょう。一般市民であった信者たちは、現代よりもはるかに身近にあった恐ろしい死を感じ、どうすれば「より良い死後の世界」を得られるかについての教えを望んだのでしょう。一時的な死の苦痛よりも、地獄での永遠の苦行の恐ろしさで、「良く生きなければならない」と考える動機につながったはずです。その意味で、ローマ教会の思惑は、成功したと言えるでしょう。人々の知的水準が大きく高まった現代の世界では、「死後の世界」についての恐怖心をテコにして、人々が善行に徹するようにと教え、導くことは難しくなってきています。

人は死んでどうなるか

宗教が我々に教えることの一つは、「人はどう生きるべきか」の「問い」です。もう一つは、「人は死んだらどうなるのか」の「問い」でしょう。この後者の問いは、ホモ・サピエンスだけでなく、その祖先であったネアンデルタール人達にとっても、重要な問いだったようです。それは、人間が、自分達の命に限りがあることを意識し始めてから、ずっと考えなければならない問いだったのです。最初は、ホモ・サピエンスもネアンデルタール人も、生の延長線上に死を考えていたのでしょう。しかし、死から蘇(よみがえ)る例がないことから、人間は「死んで、肉体は朽ち果てる」ことを認識し、その恐ろしさから、死後の世界を考え始めたのでしょう。そして、幸せな死後の世界を生き続けることができるようにと祈り、死者の霊を弔(とむら)う儀式を行うようになったのでしょう。

ネアンデルタール人やホモ・サピエンスの化石が見つかった洞窟からは、彼らが死者の霊に祈りを捧げたと考えられる痕跡(こんせき)が発見されています。そこに安置されたと思われる人骨の化石だけでなく、洞窟の壁に描かれた絵や、火を焚(た)いて、祈りを捧げたと思われる跡、その時に使われたと考えられる道具なども発見されています。大きな集団になると、安置されたと思われる人骨の量も多く、集団墓地のようになっていたことが分かっています。ある意味で、祖先を敬(うやま)い、その霊を弔(とむら)う習慣が発生していたと考えられます。この墓地のような洞窟の中で、集まった人々が行っていたのは、死んだ人々の魂(たましい)を慰(なぐさ)め、死んだ人と対話をするためだったと考えられます。集団の一人に、死んだ人の魂(たましい)が「乗り移り」、他の人々に、死者からの言葉を伝えたのでしょう。

似たような儀式は、最近まで、北海道のアイヌの人々の間でも行われていました。アイヌの人々は、血縁の誰かが死ぬと、その魂を弔うため、一定の期間、遺体をそのままにしておき、遺体が腐らないように保っていました。モガリと言います。このモガりの行事が終わると、火葬して、墓に埋葬するなどしていました。遺体をミイラにして、その後、埋葬する例もあったようです。このような埋葬の習慣は、地域や民族に関係なく、世界の様々な場所で、行われていたようです。しかし、5千年くらい前に、文明が生まれ、巨大な国家が生まれると、国家を支配した王などの遺体を埋葬するための、新しい方法と、死に対する新しい考え方が生まれました。それが、支配層の人々の死は、「死後の世界」への旅立ちだとする考えです。

例えば、古代エジプトでは、「王は神の子」であると言われました。世界中に似たような考え方があったようです。王が死ぬと、肉体は滅びますが、その霊は滅びずに、死後の世界へ旅立ち、死後の世界で永遠に生き続けると考えられていました。王たちが死んだあと、死後の世界でも「王として生きられるように」、遺体のまわりに、生前使っていた遺品を数多く、埋葬する習慣が生まれました。そして、遺体と遺品を収めるために、巨大な墳墓が、世界中で作られるようになりました。例えば、古代エジプトのピラミッドです。日本でも、古墳などが造られました。王だけでなく、普通の人々も、「死後の世界」で永遠に生きると考えました。そのため、死後の世界で幸福に生きられるようにするためには、「天国」へ行くことが大切であると信じられていました。仏教では、天国へ行くことができる人々は、生きている時に、「良い行(おこな)い」をした人々であると信じられていました。

生きていた時に「善(よ)い行い」をしたかどうかは、死後、神が判断すると考えられていました。神の判断で、「悪い行い」をしたと判断された人々は、「地獄行き」を命じられ、永遠に地獄での苦しみに耐えることを強いられると教えられていました。特に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教などの世界的な宗教では、「天国」へ行けるか、「地獄行き」になるかが、人々にとって、とても重要な問題でした。実際に、そのよな教えは、普通の人々をしっかりと管理して、よく働き、支配階層の命令に従い、社会の秩序を乱さないようにするための、統治の方法としても利用されました。平安時代の人々が、地獄を怖れて、殺人をしないようにしたり、江戸時代の隠れキリシタンが、取り調べの役人に仲間のことを教えずに、火あぶりの刑に服したりしたのも、死後に天国へ行けることが約束されていたからでした。

例えば、キリスト教、特にプロテスタントの人々の間では、十戒にある「嘘を言ってはならない」という教えは、「地獄行き」になるかどうかの判断の基準になるため、多くのキリスト教徒は、最近まで「嘘を言うこと」を怖れました。米国社会で、司法がうまく機能していた背景には、そのような宗教の力が働いていたと言えます。これに対して、日本社会に広まっていた仏教では、米国の社会のように、強く「嘘を言うこと」を禁じる傾向はありませんでした。その影響もあって、日本社会では、司法がよく機能しているとは言えません。政治家が、嘘をついても、日本では社会的に抹殺されることはありませんでした。かつての米国社会では、政治家が嘘を言い、それが「嘘であったことが判明する」と、その政治家は、社会から抹殺される例が多かったようです。しかし、米国社会でも、2017年の大統領選挙から、大統領候補者が明白な嘘を言っても、社会から抹殺されることはなくなりました。

この「嘘を言う」行為の例のように、死後の世界、特に「地獄」の恐ろしさへの恐怖によって、普段の生活の仕方を管理しようとする考えは、現在では、うまく働かなくなってきているようです。それは、死後の世界についての考え方が、時代と共に変化したからでしょう。現代の社会に生きる人々の多くにとっては、死後の世界が、単純に「天国」と「地獄」に分かれていると考えること自体が、正しいとは思えないのでしょう。しかし、だからと言って、私たち人間が、自分達の死に対する恐怖心を失ったとは言えません。まだ、死は、我々にとって恐ろしい出来事なのです。それは、自分達の意識を失い、自分達の存在を失い、周囲の人々との関係がなくなり、自分がこの世に生きていたことすら、忘れ去られるかもしれないからです。それは、自分が『無』になってしまうことを意味しているからです。

古代ギリシゃの哲学者達が、死後の世界、特に「天国」と「地獄」について語った記録はありません。彼らは、「どう生きるべきか」については語りましたが、死後どうなるかについては、語りませんでした。古代ギリシャの哲学者達に続いて、人が「どう生きるべきか」を語ったのは、キリストとその弟子たちです。実際に(新約)聖書の一部を書いたとされる、マタイや、ヨハネ、パウロらが、「地獄」や「天国」について、どう語ったのかは分かりませんが、ローマ教会は、「地獄」や「天国」、そして「天使」や「悪魔」について、話していたことは事実です。旧約聖書にも、「天国」、「地獄」、「天使」、「悪魔」などは登場しています。倫理観のような哲学のテーマであり、宗教的にも重要な思想については、キリスト教と哲学の双方で議論されましたが、「天国と地獄」、「天使と悪魔」のような二項対立問題は、宗教だけで語られてきた問題のようです。

なぜ、哲学者達が語らなかった問題を、宗教家達だけが語っているのでしょう。それは、宗教が人間の『生』だけでなく、『死』にも強く関わっているからでしょう。古代から中世まで、一般の人々の知的水準はそれほど高くありませんでした。文字を読むことすらできなかった人々が圧倒的に多かったのです。その一般の人々に、キリスト教会(ローマ教会)の教義を教えることは、容易なことではなかったはずです。そのような背景から、死後の世界を教え、その恐怖を利用して、「より良く生きる」ことの実践を教えることの方が、教会の神父らにとっては、容易だったのでしょう。このような事情から、ローマ教会は、死後の世界を使って、布教を行うことを推奨したのでしょう。特に、人間には死の恐怖の方が、「良く生きる」ことの大切さより、直観的で分かり易いはずです。そして、世界中、どこでも理解を得やすかったからでしょう。

つまり、ローマ教会の神父たちは、布教のために、死後の世界を語ったのでしょう。一般市民であった信者たちは、現代よりもはるかに身近にあった、恐ろしい死を感じ、どうすれば「より良い死後の世界」を得られるかについての教えを望んだのでしょう。それは、一時的な死の苦痛よりも、地獄での永遠の苦行の恐ろしさで、「良く生きなければならない」と考える動機につながったはずです。その意味で、ローマ教会の思惑は、成功したと言えるでしょう。しかし、人々の知的水準が大きく高まった現代の世界では、「死後の世界」についての恐怖心をテコにして、人々が善行(ぜんこう)に徹するようにと教え、導くことは難しくなってきています。人々が、現時点での贅沢で楽な生活を守ろうと、考えるようになったからでしょう。特に、現代の資本主義社会で成功している人々にとっては、「死後の世界」よりも、「今の幸せ」の方が、重要な問題なのです。

このような社会の変化は、人間の宗教に対する期待も変化させたと言えます。どうすれば、「安らかな死を迎えられる」かや、「自分の尊厳を保ったまま死ねるか」などが、重要な問題になっているのです。その意味では、古代ギリシャの哲学者達が議論した、「人はどう生きるべきか」の問題は、現代の社会においても、重要な哲学の普遍的な問題であるとともに、重要な宗教上の問題です。中世ヨーロッパの社会では、ローマ教会が、教会に多額の献金をした人々に、「免罪符(めんざいふ)」と呼ばれた証明書を発行し、死後の世界で「天国」に行けることを保証しました。しかし、このことは、ルターやカルバンらの批判を受ける原因となり、北ヨーロッパにおけるプロテスタントの勢力拡大の原因となりました。知的水準が少しずつ上昇し始めていた北ヨーロッパの社会においては、「天国」に行ける保証を教会が売ることで、人々が教会を信用しなくなっていたのです。

14世紀からのイギリスとフランスとの戦いで、イギリス軍のフランス支配に抵抗して、フランス軍を率いて戦った、フランスの少女、ジャンヌ・ダルクは、戦士の格好をして戦ったため、男装を禁じたローマ教会の教えに反したとの理由で、魔女として宗教裁判にかけられ、火あぶりの刑に処されました。しかし、処刑後数十年が経った後に、再度、ローマ教会による宗教裁判が行われ、当時の判決が誤りであったと認められました。その後、ジャンヌは、ローマ教会から聖女の一人として認められました。この例は、死後の世界で天国に行くかどうかよりも、自分の信念に従って、自分が「正しいと信じていることをする」行為の方が、死後の評価を決めるうえで重要であることを教えています。「嘘を言う」ことは、短期的に見れば、自分の成功や名声のために、有利になるかも知れませんが、長期的には、将来における自分の名声を落とす結果をもたらします。これも、死後の問題の一つです。

(つづく)