公開: 2023年1月18日
更新: 2023年9月21日
宗教が我々に教えることの一つに、「人はどういきるべきか」の「問い」があります。人は、何も教えられなければ、自分中心に考え、利己的な態度で生きるでしょう。人間が作り出した宗教では、そのことを否定し、周囲の人々を思いやって生きることを説きます。自分の生活が豊かな人は、貧しい人々に施しを与えることが重要なことを教えます。豊かな人ほど、それが大切なことになります。豊かな人々は、貧しい人々に、自分が持っているものを分け与え、貧しい人々を助けなければなりません。
これは、古代キリスト教の教えですが、古代ギリシゃの哲学者であるソクラテスやプラトンが説いたことでもあります。キリスト教の新約聖書が書かれる前に、古代ギリシャの哲学者達が述べていたことでもあります。それは、古代ギリシャの哲学者にとっては、「人は善を為すべき」であることを、教え、それを実践させることが大切だったからです。
「人が善を為す」ために守らなければならないことは、自分自身の利益のために行動することを止め、他の多くの人々の利益になるように行動することです。この原則は、宗教上の教えの一つでもありますが、それ以上に人間としての生き方の一つでもあります。これをギリシャ哲学では、「倫理」と呼びました。この仏教などにも共通する教えは、キリストの弟子たちによって、キリスト教にも組込まれました。新約聖書は、最初、ギリシャ語で書かれていました。
宗教が我々に教えることの一つに、「人はどう生きるべきか」の「問い」があります。これは、倫理学の中心的な「問い」でもあります。人は、何も教えられなければ、自然に自分を中心に考え、利己的な態度で生きるでしょう。しかし、人間が作り出した宗教では、そのことを否定し、利他的に、そして愛の精神をもって、周囲の人々に対して優しさをもって生きることを説きます。自分の生活が豊かな人には、自分の生活を犠牲にしてでも、貧しい人々に施(ほどこ)しを与えることが重要であることを教えます。豊かな人ほど、それが大切なことになります。豊かな人々は、貧しい人々に、自分が持っているものを分け与え、助けなければいけません。これは、原始キリスト教の教えですが、古代ギリシゃの哲学者であるソクラテスやプラトンが説いたことでもあります。
古代ギリシャの哲学者、ソクラテスは、アテネの市民たちにとって、「善を為す」ことが、アテネ市民として最も重要なことであると説きました。アテネ市民は、現代の社会で言うと、国会議員たちであり、そしてアテネ軍の兵士達でした。つまり、平時にあっては政治家であり、戦時になると将軍や司令官、そして兵士として、他国の兵士と戦います。市民同士は、基本的に平等な立場ですから、平時には仲間であった人が、戦時においては司令官などの命令を出す人となり、平時には仲間であった友人に、必要であれば、戦場で、味方の「おとり」になるよう命令することもあります。命令された人は、その命令を聴き、命令に従って戦います。命令される側も、命令する側も、自分の使命をよく理解し、命令を遂行することが国家の存続にとって、重要であることを理解して、活動しなければなりません。
古代ギリシャの戦争では、負けた都市国家の市民(男達)は、勝った都市国家の市民の奴隷になることが決まりでした。そのため、戦いに勝つことが、自分達、市民自身とその家族の身分を守るために、絶対に必要でした。そのため、軍隊においては、将軍として有能な人、司令官として有能な人、戦場で敵の兵士と戦うことに有能な人、戦場の状況を早く、正確に司令官や将軍に伝えることが得意な人、武器の製作や修理が得意な人など、それぞれの知識と能力に見合った仕事を、しっかりと行わなければ、敵対する都市国家の軍に勝利することはできません。将軍は、自分の友人だけを司令官に選び、任命するわけにはゆきません。その人に十分な能力がなければ、戦争に負けてしまうからです。それでは、将軍としての自分の任務を果たせないからです。
平時における政治においても同じことが言えます。執政官として最も有能な人が、行政の責任者にならなければ、良い政治はできません。執政官だからと言って、集めた税金を自分のために使うことはできません。市民の生活の向上や、将来の戦争に勝つための準備として適切に、集めた税金を使わなければなりません。また、戦争に勝って、負けた国から得た戦利品などを、市民に公平に分配する仕事も、執政官の重要な仕事です。それらの仕事をしっかりとこなすことができなければ、執政官としては失格です。市民として、自分に与えられた仕事を、しっかりとこなすように努力しなければなりません。それは、「善を為す」とはどのようなことかを、しっかりと理解していなければ、やり遂げることができません。
そのように、人として「善を為す」ためには、いつでも「自分が今、取り組むべき問題は何か」を考え、その問題は、「どのようにすれば解決できるか」を考え、考え出した解決方法は、「どのようにすれば効果的に実施できるか」を考え、「いつ、誰が、どこで」それをやるのかを、考えなければなりません。そのためには、これらの仕事を行うために、どのような知識が必要かを見極め、それを学び、実施しなければなりません。それらのことをしっかりとやり遂げられる人こそ、「善を為すことができる」立派な人ということになります。それは、単に知識があるだけでなく、与えられた仕事をやりこなし、しっかりと成果を出すことが必要です。実践で、成果を出せなければ、「善を為した」とは言えないのです。
古代ローマに帝国が成立し、地中海世界に繁栄をもたらした後、キリスト教がローマ市内に広まり始めました。最初、ローマ帝国においては、一神教のキリスト教は「禁じられた宗教」でした。しかし、キリストの教えは、ギリシャ哲学の影響を強く受けており、普遍的な約束事に基づいていたこともあり、ローマ帝国において、宗教として認められただけでなく、ローマ帝国の国家の市民の宗教として認められました。皇帝の中にも、深くキリスト教を信仰したトラヤヌス帝やマルクス・アウレリウス帝のような人々が出て、キリスト教は本当の意味で、ローマ帝国の宗教となりました。これに伴って、ローマ教会は、ローマ帝国の政治制度を真似た、教会組織を確立しました。そして、ローマ皇帝と同じように、ローマ教会全体を統治するローマ教皇が生まれ、その統治を支援するために、枢機卿を基軸とした教会組織が確立されました。
巨大な教会組織が確立され、5世紀末にローマの市民を統治する政治組織である西ローマ帝国の政治機構が崩壊すると、教会組織は、実質的にヨーロッパ社会全体を統治する仕組みに変化し始めました。各地域の王を教会が「王」として認め、王冠を授ける戴冠(たいかん)式を実施することが、ローマ教会の仕事になりました。それは、教会が純粋な宗教の制度や機構として機能するだけでなく、世俗の政治制度・機構である国家や王国を成り立たせるための仕掛けとして、機能するようになったことを意味しました。それは、宗教の本来の使命だった、人が「善を為す」ことを説くこととは、直接、つながりません。そのように、教会が世俗の権力である王の国王就任に直接、関係したことから、ローマ教会は、少しずつ世俗化し、堕落したと言われるようになりました。
この教会の堕落を正面切って追求したのが、16世紀のドイツのルターやスイスのカルバン達、現在ではプロテスタントと呼ばれる人々でした。彼らは、ローマ教会が個々の人の信仰を深めることよりも、教会組織の権力と経済力を維持・拡大することに、力を注いでいると批判しました。プロテスタントの人々は、信仰は神と、神を信じる個人との間の、「個と個」の関係であるとして、その中間に位置する教会を否定しました。教会には神父がいて、神と信者との間の仲介をしています。プロテスタントでは、そのような教会を否定して、信者は、聖書を読むことで、直接、神の言葉を理解し、自分の信仰を深めるべきであるとします。ローマ教会では、聖書の各部分をどのように読み、どう理解すべきかも、教義によって決められていました。それ以外の読み方は、「異端(いたん)の読み方」として禁じられていたのです。
ヨーロッパ世界における、このようなプロテスタントの台頭は、単にローマ教会の堕落を批判する勢力が、聖職者の間に出現したことだけが原因ではありません。11世紀頃から、ヨーロッパ社会には、教会の管理下にある修道院だけでなく、教会や領主(貴族)の支配からは独立した制度としての、自治組織である「大学」が生まれ、教会とは異なり、宗教からは独立した立場から、『神』を研究するようになりました。有名な研究者としては、イタリア出身で、パリ大学にいた、トマス・アキュナスがいます。アキュナスは、その後のキリスト教において、思想的な最も重要な理論である、「実現論(レアリスムス)」を確立しました。もう一つ、プロテスタントの発展に影響を与えたのが、ドイツで開発された活版印刷機と、印刷業の成立です。ルターは、ドイツ語版聖書を印刷し、ドイツ語版聖書を出版しました。
大学制度の確立と出版業の成立は、相互に独立なものではなく、互いに深く関係しあっています。それまでの社会では、書物は人の手で書き写されることが必要不可欠でした。大学でも、学生達は「写本」と呼ばれる、人手で書き写された本を使っていました。それは、とても高価なもので、誰でもが入手できるものではありませんでした。そのような写本は、教会の傘下にあった修道院で、専門的に制作されていました。印刷機の発明は、大学で学ぶ学生にとって、その修道院などでの、高価な写本の制作に頼らず、安い価格で本を購入できるようになりました。これによって、社会全体の知識水準は、著しく高度になりました。さらに、それまでの社会では、聖書を見ることさえできなかった普通の人々も、印刷された聖書を買うことができるようになったのでした。
ドイツで神父になったルターは、ラテン語で書かれていた聖書をドイツ語に翻訳し、印刷をして、安い価格で、多くの市民に売ることができることに着目しました。ラテン語は、ドイツの社会では、修道院に居た修道僧、教会の聖職者(神父など)、そして大学で学ぶ学生などの、特別な人々しか、読むことができませんでした。その聖書を、ドイツ語さえ読むことができれば、全ての人が読むことができるようになり、聖書は聖職者だけが読むものではなくなりました。このことが、ルターら、プロテスタントの確立に尽くした人々の力によって、キリスト教信仰を一般の人々の手に開放し、人々がキリストの教えを、直接、聖書から学ぶことができるようにしました。このことが、神と信者の直接的な契約に基づく信仰を主張する、プロテスタントの教えの基礎になりました。
14世紀まで、ヨーロッパの社会では、ラテン語に近い、イタリア語を話すイタリア半島の人々が、ラテン語を学び、その読み書きを身につけ、さらに簡単な計算能力(算術)を身につけて、契約書を書き、国際的な交易で中心的な役割を担っていました。しかし、15世紀を過ぎると、宗教改革で各国の言葉で読み書きをする市民が爆発的に増えたため、国際的な交易だけは共通語であるラテン語で行われたものの、地域的な交易は、それぞれの地域の言葉で、契約書を書き、調印するようになりました。これによって、ヨーロッパにおけるイタリア半島の国々の力が低下し、オランダ、フランス、ドイツ、イギリスなどが台頭し始めました。特に、スペインから独立したオランダは、市民が経済の中心となる、資本主義社会を確立し、初期において、社会が大きく発展しました。特許の制度なども、オランダで生まれました。
オランダで生まれた商業を中心とした資本主義は、産業革命が進展しつつあったイギリスに渡り、工業を中心とした資本主義に変わり、大きく発展しました。イギリスでは、政治倫理学者のロックが、基本的人権の保護を表明するとともに、効用理論の基礎や労働価値に関する理論の基礎となる思想を生み出していました。それらの理論に基づき、スコットランドの倫理学者アダム・スミスは、「国富論」を出版しました。これによって、資本主義の理論的な枠組みが確立され、市場における企業間の価格競争による需要と供給の均衡(バランス)を基礎とした、資本主義の理論が成立しました。様々な社会的な問題を生み出しながらも、イギリスでは資本主義経済が発展し、イギリスは、世界一豊かな国になりました。ヨーロッパ大陸では、イギリスに続いてドイツが資本主義経済をテコにして、経済的な発展をし始めました。
ドイツ経済の発展によって、イギリスとドイツは、互いに競合する関係になりました。ドイツがイギリスと同盟関係にあったフランスに攻め込んだ第一次世界大戦では、フランスを支援するイギリスとドイツが真正面から戦うことになりました。この第一次世界大戦で、イギリス経済は疲弊し、経済力は低下しました。その結果、工業化が進みつつあり、産業革命が進んでいた米国社会の経済力が大きく拡大しました。この背景には、米国社会にあった清教徒的な思想が、「一生懸命に働き、それによって得られた富を独り占めにするのではなく、社会に還元すべきである」とする倫理観を作り出し、米国社会の経済発展を押し進めました。これは、米国社会に根付いている「合理性を追求する精神」と「まじめに働くことは、神が自分に与えた使命を全うすることである」と考える倫理観の賜物であると、ドイツの社会学者ヴェーバーは、分析しました。
つまり、資本主義社会において「善を為す」と言うことは、「神が自らに与えた能力を活かし、全力で働き、それによって得た富を社会に還元して、社会の発展に貢献することである」とする思想です。これは、20世紀におけるプロテスタントの精神を体現する信仰、または時代の倫理観と言えるでしょう。しかし、それは20世紀末になると、資本主義経済の変化で、新自由主義に代表される利己的な資本主義が主流になりました。その影響にさらされた米国社会では、「一生懸命に働き、社会に貢献する」と言う思想は、世界を代表する思想でも、米国社会を代表する思想でもなくなりました。企業の経営者も、社会への貢献よりも、自社の利益を可能な限り多くすることに重点を置くようになりました。これは、経済のグローバル化が進展した1990年代以降に著しくなった傾向です。そのため、社会における富の格差が拡大するとともに、相互援助の社会的な枠組みは、米国社会でも崩壊しつつあります。
かつての米国社会では、「一秒も無駄にせず、与えられた仕事に打ち込み、社会の進歩に貢献すべく、全力を尽くして生きる」ことを理想的な生き方としました。その結果として得られた富は、全てを自分のものにすることが可能ですが、自分の贅沢のために富を浪費することは、「悪徳」と考えられていました。これは、プロテスタントの教えに沿った考え方ですが、20世紀末の世界では、自分が獲得した富を投入して、贅(ぜい)を尽くした生活をすることも、恥ずべき行為とは考えられなくなりました。そのことが、かつての米国社会の基礎にあった、相互援助の精神を崩壊させました。最初、新自由主義を主張した人々は、自分が得た富の使い方は、自分の意思によって決めるべきだとしましたが、それは「贅を尽くした暮らしをしても良い」と言うことではありませんでした。国が個人の富に課税をして、貧しい人々に富を再配分することは正しくなく、富を得た人々の自由意思に委ねるべきだと主張したのです。
資本論を書いたアダム・スミスも、初期の新自由主義者達も、プロテスタント的な倫理観を前提としていたのです。キリスト教的な、禁欲的な生き方が望ましいとする思想を前提とすれば、巨大な富を築いた人々は、自分達の富の一部を、社会の進歩のために使います。貪欲は罪だからです。しかし、そのような思想が社会の人々の考えから消失すれば、社会の人々は、富を得ることに、ただ貪欲になるだけです。富を得て、贅沢な暮らしをすることが、自分の能力の証を、社会に示すことになります。経済競争に負けた人々は、富を失い、貧困にあえぐことになります。国家が、税金を集めて、貧しい人々に対して再配分をしなければ、社会における貧富の格差は拡大しつづけます。その結果として、社会においては、一部の豊かな人々と、大多数の貧しい人々との分断と、相互の対立が起こります。そのような対立が著しい社会として、今の米国社会があります。
ダーウィンが進化論を発表した後、イギリスの経験論に基づいた科学・技術が著しく進歩した結果、従来のキリスト教の教えを絶対的な真理とするヨーロッパの思想が崩壊し、米国でプラグマティズムの思想が生まれた結果、現代的な合理性を追及する資本主義の思想が確立したため、米国の経済は大きく発展しました。しかし、もともと米国社会の根底にあったプロテスタント的な倫理観は、現代的な資本主義の進展とともに、合理性を追及する社会の中心からは、少しずつ消え去ってゆきました。これは、プラグマティズム思想の影響だったと考えられます。プロテスタント的な倫理観を無視し始めた米国社会は、元々の資本主義の根底にあった、「人間の生き方」についての共通の教えを失ったため、社会全体が進むべき道筋を見失いました。現代に生きる人々には、人々が生き方について共有できる価値観、すなわち「倫理観」を失ってしまいました。これは、私達の日本社会にも通じている問題だと思います。そのことが、社会の分断の根本原因になっていると考えられます。人間社会が拡大し続けて、世界の総人口は80億人を超えました。さらに、経済のグローバル化で、人類の経済の規模も拡大し続けています。これまで「我々にどう生きるべきか」を教えていた古い宗教は、その役割を果たせなくなっています。