宗教について 〜 人の生と死を考える

公開: 2023年1月18日

更新: 2024年8月4日

あらまし

ネアンデルタール人やホモ・サピエンスが、6万年以上前から、初歩的な言語を話し、集団内で知識の共有をしていたことは、頭蓋骨の化石を調べた結果から、確認されています。さらに、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスが生活した洞窟の遺跡から、彼らが死者を弔う習慣を持っていたことも分かっています。つまり、現代の我々が言う「宗教」の原始的な形式を持っていたと考えられます。

これらのことから、ネアンデルタール人もホモ・サピエンスも、その原始的な宗教の祭祀を行うための言葉を持っていたと考えられます。つまり、「宗教」の原型は、6万年前から成立していたと言えます。人間社会では、物事を深く考える時、複数の人間が、言葉で自分達の考えを述べあい、それぞれの考えを比較して議論し、より良い考え方を作り上げる弁証法と呼ばれるやり方を使います。これは、我々の祖先でも同じだったでしょう。

宗教に関する考え方は、他の多くの物事と違って、事実に照らし合わせてその正しさを確認することはできません。従って、抽象的な概念を積み重ねながら、少しずつ議論を進めることになります。その意味で、宗教についての議論をするためには、その議論に必要な数々の言葉を作り出し、それらの意味について、社会全体の合意を形成しなければなりません。

言葉と宗教思想の進化

ネアンデルタール人も、人々の死について考えていただろうことは、彼らが暮らしていた洞窟に残された痕跡を見ることで、容易に想像できます。さらに、洞窟からは、祭祀儀礼を行ったらしい痕跡も見つかっています。このことは、ネアンデルタール人も死についての共通認識を持っており、共同体の内部で、その意識を共有するために必要な言葉を持っていたと考えられます。それは、人が「死について考えた」宗教的な行為であったと言えます。獲物を追って狩りをしている時、仲間の誰かが動物の反撃で命を失った時、獲物を追った集団では、死んだ仲間を弔う行為を行ったでしょう。

そのような「弔いの儀式」を行うとき、生きている仲間たちは、特別な言葉で「死者の霊」を慰めたでしょう。その言葉には、死んだ仲間が生きていた時、何をしたか、他の仲間のために何を為したか、どのような狩りを行い、どのようにして命を失ったかなどを説明しようとしたはずです。その説明のために必要な言葉を作り、皆で、仲間の死を悼んだでしょう。さらに時代が進むと、死者が旅立った世界(あの世)で、どう生きられるかについても語るようになったでしょう。それは、「死後の世界」について、人々が考え始めたことを物語っており、原始的な宗教が成立したと言うことができます。

やがて人類は、人が、他の動物と同じように、偶然に生まれ、何かの偶然で死に、そしてその死体は大地に戻るわけではないと考え始めます。人は死んで、死後の世界に旅立ち、その霊は死後の世界で永遠に生き続けるのだと考えるようになります。これは、原始的な宗教の考え方であり、世界中の至る所で生み出されたものです。そして、人の誕生と死が単なる偶然の出来事であることを否定する考えは、人間社会の階層に必然性があるとする考え方に通じてゆきます。つまり、王として生まれた人は、王として生き、戦って死に、その死後、神として死後の世界にも君臨するのだとする物語です。そのような原始的な宗教観は、身分制度を正当化します。このような古代的な宗教観は、やがて一神教の宗教観に置き換わってゆきました。

そのような一神教の原理を最初に唱えたのは、紀元前7世紀頃、古代アケメネス朝ベルシャのツァラツストラによって提唱された、ゾロアスター教です。ゾロアスター教は、基本的には火の神アフラ・マツダを最高神として、善の神たちと悪の神たちから成る多神教ですが、アフラ・マツダに「王を選ばせ、人々を支配させる」能力を与えると言う意味においては、それ以後の一神教の神の特徴に近い、「神」の概念を持っています。このゾロアスター教の思想は、当時、ペルシャに囚われていたユダヤ人に伝わり、ユダヤ教に多大な影響を与えたとされています。また、シルクロードを経て、中国に伝わり、その後、古代の日本にも伝わったと言われています。仏教の阿修羅(あしゅら)や閻魔(えんま)は、インドに伝わったゾロアスター教の影響であり、奈良のお水取りの行事は、ゾロアスター教の祭りが変形したものだと言われています。

ゾロアスター教がそれまでの宗教と違っているのは、「諸国の王は、アフラ・マツダが選び、人々を統治させている」とする王権神授説を正当化すること、「世界にはいつか終末が訪れ、善を行った人々は天国へ導かれ、悪を行った人々は地獄へ堕(お)ちる」と説き、倫理観を重視する思想を導入したこと、また、人々を救うために「いつか救世主が出現すること」を予言していることなどが上げられます。

ユダヤ教や、ユダヤ教から派生したキリスト教などの一神教では、人間の存在に先だって、絶対的な神の存在を考えます。神が世界を造り、神に似せて人間を創り出したと考えます。ですから、神の前での人は、平等でなければなりません。しかし、神は全知全能であり、どの人を誰の子供とするのかも決めているので、どの子が王の子供となり、どの子が農民の子供になるのかを決めます。人々は、神がその人に与えた環境で、精一杯、神が決めた道を歩むことが求められます。王の子供は、王となり、人々を統治しなければなりません。農民の子は、農民として、一生懸命に畑を耕し、麦を育てなければなりません。それが、神が人に与えた使命だからです。この王権の世襲に関する王権神授説は、ヨーロッパが近代になるまで、社会の原則として信じられていました。

ユダヤ教やキリスト教は、人間社会の身分制度を否定するものではありませんでした。しかし、全ての人が神の前では、平等であるとした点では、ギリシャ社会や古代ローマの社会の多神教とは違っていました。ただ、神の前の人間は、皆、平等ですが、一人一人の人の、社会における役割は違っています。社会を統治する王は、王の役割を担う人であると考えたのです。ローマ帝国は、最初、キリスト教を禁じましたが、最終的にはローマ帝国の宗教として認めました。ローマ皇帝がキリスト教徒になり、国民もキリスト教徒とされました。ローマ市民は、神が皇帝と認めた人を、ローマ帝国の皇帝に選び、即位させたと考えるようになりました。皇帝は、その意味で、教会から皇帝として承認され、王冠を授けられると考えるようになったのです。

キリスト教が成立して数百年が過ぎた頃、アラビア半島にムハンマドか゜生まれ、イスラム教を提唱し始めました。イスラム教もキリスト教やユダヤ教のように、一神教の『神』を信仰するもので、神を抽象的な対象として信仰するため、神を偶像化(ぐうぞうか)することを許しません。つまり、『神』は、言葉だけによってのみ語られる存在で、絵や像などで、人間が物理的に感じられる存在ではないとされていす。キリスト教でも「偶像崇拝」は、禁じられていますが、十字架や、キリスト像、キリストを描いた絵画などは、布教のために用いられました。このことによって、ラテン語で書かれた聖書を読むことができなかった一般の人々にも、その内容を伝えることができました。イスラム教では、その偶像崇拝禁止を厳格に守ることを教えます。

不思議なことに、これらの一神教の宗教は、その教義が普遍的なものであるにもかかわらず、その全てが砂漠に囲まれた厳しい地域で生きる人々によって生み出されました。人が生きることが容易でない自然環境で生まれた宗教であったことが、それらの宗教の教義を普遍化することに寄与したのかも知れません。しかし、その妥協を許さない姿勢が、多神教に代表される他の宗教思想を許さない、非妥協的な思想の根源になっていると考えられます。例えば、東洋で生まれた仏教は、教義や思想にその一貫性や論理性を強く求める傾向が少なく、人々の様々な思想を広く包み込む、束縛のゆるい考え方を採用しています。このことも影響して、ヨーロッパでは、プロテスタント国とカトリック国の間など、中世の時代から、宗教の教えの違いによって、国家同士が戦う事態が数多く発生しました。

近代になるまで、ヨーロッパの諸国では、一般の国民(そのほとんどは農民でした)には、宗教を選択する自由がありませんでした。さらに、土地や財産も自分の所有とは考えられていませんでした。全てが、国王の選択や所有とされていました。それどころか、国民の生命も自分の自由になるものではなく、国王の意志によって、王の兵として敵と戦うことが決められました。北ヨーロッパに広まったプロテスタント系のキリスト教では、古いローマ帝国に生まれたキリスト教の教義が否定され、自らが信じる宗教の選択、自らが獲得した財産をどう使うかの選択、そして自らの生命を守り、国王が招集する軍へ兵士として参加するかしないかの選択などに関して、基本的人権は、国家でも勝手に犯すことができない、個人の権利とされるようになりました。

このプロテスタントの思想は、オランダ、ドイツ、イギリスなどで生まれ、17世紀のイギリスの思想家、ジョン・ロックによって倫理思想の根幹として確立されました。この現代の民主主義の基本となったロックの哲学が成立する過程では、16世紀の北ヨーロッパで宗教改革を推進した、ルター派の思想やカルバン派の思想が強い影響を与えました。そして、18世紀にイギリスで始まった産業革命によって、著しい経済発展を成し遂げた資本主義経済は、そのロックが提唱した民主主義を社会規範の基本とすることで、成功したと言えます。特に、19世紀のイギリス経済の発展、20世紀の米国経済の発展には、そのようなプロテスタントの倫理観が、大きな影響を与えたと考えられています。

その意味からも、宗教や思想が、人間社会の発展に大きく関わっていると言うことができます。初期(古代)においては、人間社会の規模の拡大に影響を与え、中世社会では人間社会の間の競争力に関係して、個々の社会の結束力に影響を与え、近代の社会では大規模化した社会における経済発展のための活力の維持に影響を与えるようになりました。しかし、経済力が著しく拡大した現代の人間社会では、科学技術も大きく発展し、人々は宗教的な力の助けを、あまり必要としなくなりました。ヨーロッパでは、進化論が生まれ、それに影響され、米国でプラグマティズムの思想が生まれ、絶対的な真実、普遍的な真実、絶対的な神の力が否定されました。全てが相対的であり、人間に可能なのは、「より真実に近い物事に接近することだけである」とする現代思想の誕生です。

このことは、従来の意味での宗教、特に「唯一・絶対的な神」の概念を核としている信仰は、ありえないことになります。18世紀からの科学の進歩によって、私達は聖書に書かれていることが真実なのではなく、生物も宇宙も、時間と共に進化する過程にあることを知りました。それが誤りでないとすれば、古代ローマ帝国で生まれたキリスト教の教えは、本当のことではないと考えざるをえません。または、中世に唯名論を唱えたオッカムの説のように、宗教的な思想と、現実世界の真実とは別物であると考えるしかありません。そして、『神の概念』は、概念としては存在しても、それは一神教を信じた人間が考え出した、架空の物、またはその思想に基づいた概念の体系の一つに過ぎないことになります。

化石から考えても、現代の人間は、サルから進化して、ネアンデルタール人のような旧人になり、さらに進化をしてホモ・サピエンスと呼ばれる新人になったことに間違いないでしょう。新人として生まれたホモ・サピエンスも、黒い肌から、紫外線の少ない北の地域に移動すると、白い肌や青い目、金髪を持つように進化しました。さらに、北のアジア大陸に進出したホモ・サピエンスの一部の人々は、手足を短くして寒冷気候に耐えられるように進化しました。その意味では、人間は、今でも進化の過程にあると言えます。それは、聖書に書かれている、「神が宇宙を造り、全ての生物と人間を造った」とする説は、化石の変化から推測される人類の進化には適合しません。聖書に書かれた、「神は人間を、神の姿に似せて造った」とする説は、正しいとは考えられないのです。

進化論の発見以後、我々が生きている世界の全てのものが、神によって創造されたとする考えが正しいとは言えなくなりました。この考え方に従おうとする思想が、産業革命が進んだ米国社会に生まれ、中世からの全知全能の神の存在の否定につながりました。さらに言えば、人間が知り得る物事、知識は、絶対的な真実ではなく、その時点での「もっとも合理的な説明」でしかありません。もっと良い説明が、より多くの知識が得られると、作り出せる可能性があるからです。進化論が知られていなかったローマ時代に、人々が理解していた説明は、20世紀になると、全てが正しいとは言えなくなりました。その代表的な知識の一つが、太陽が地球の周囲を回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っていると言う地動説です。

だからと言って、人間が宗教を必要としなくなったとは言えません。それは、『神』やその存在を否定できるということではありません。「死後の世界はない」とは、言えるでしょう。だからと言って、人間にとって「生きることには意味がない」とは、断言できません。人間が社会を作って、互いに協力して生きるためには、全ての人々が受け入れられる共通の倫理規範や思想が必要です。現代社会では、それは「倫理観」と呼ばれるものです。そして、その倫理観は、人間が信じる宗教と深く関係しています。例えば、人の平等、殺人の罪、暴力の否定、盗難の禁止などは、人類が社会を維持してゆくための規律として、相互に守るべき原則と言えます。そして、これまでの人類の歴史の中で、これらの規律の土台になっていたのが、宗教だったのです。

(つづく)