宗教について 〜 人の生と死を考える

公開: 2023年1月17日

更新: 2023年5月10日

あらまし

現代の我々に似ている現生人類、ホモ・サピエンスが登場して約20万年が経過していると考えられています。それ以前には、旧人と呼ばれているネアンデルタール人が、80万年から30万年前から地上に生存していました。

ネアンデールタール人は、あまり我々には似ていませんでした。がっしりとした体形で、背は低く、頭が大きかったようです。しかし、ネアンデルタール人も、我々のように道具を使い、言葉を話し、狩りなどではお互いに意志疎通をしていたようです。

さらに興味深いことは、ネアンデルタール人達も、死者を弔い、病気を患った仲間を看病し、私たちが神に祈ると同じような習慣を持っていたと思われていることです。つまり、現代の私たちが言う、「宗教」に似たようなものを知っていたと考えられています。

死んだ仲間を弔う心や、病気を患った仲間を看病する心は、人間に特有な感情で、もともと宗教的な感情と関係があるもののようです。歴史的には、古代の人々にとって、医療は宗教の一部と考えられていたとする考えがあります。

人類の歴史と宗教の誕生

およそ50万年前ぐらいに、アフリカ大陸で、ハイデルベルク人のような人類の祖先から進化した、ネアンデルタール人が生まれたようです。そのネアンデルタール人の祖先は、アフリカ大陸から、アラビア半島に渡り、現在のイラン周辺を通って、地中海沿岸のヨーロッパに移ってきました。

このアフリカを出て、地中海沿岸に到着する旅の過程で、ネアンデルタール人は、少しずつ遺伝子を変化させ、現在のヨーロッパ人に多い、白い肌、金髪、碧(あおい)い目、巻いた髪などの見た目の特徴を獲得しました。これは、紫外線の弱いヨーロッパ地域に適応するための進化だと考えられています。さらに、その過程で、いくつかの伝染病ウィルスに対する耐性も獲得したと考えられています。

我々、現代人の直接の祖先であるホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人よりも後に、約20万年前ごろ、アフリカ大陸に誕生したようです。ネアンデルタール人よりも細く、長身で、現在のアフリカに住む人々に似た外見だったと考えられています。約6万年前、現在のジャワ島にある火山が大爆発を起こし、世界中の空がその火山灰に覆われました。そして、地球は寒冷化し、動物たちの多くが死滅しました。

この火山の大噴火によって太陽の光が遮られ、アフリカの大地では、草原が火山灰に覆われたため、草食動物がほとんど死にました。その結果、肉食動物もそのほとんどが死に絶えました。我々の祖先は、洞窟の中に籠(こも)り、海で獲った魚、貝、海藻などを食べて、なんとか絶滅を防ぎました。その結果、人間の人口は、数万人にまで、著しく減ったと考えられています。

この6万年前の人口減少で、人間の祖先は、それまでのように互いに争うことを止め、互いに協力して生きるように変化しました。それは、男性の攻撃性の原因であったホルモンのテストステロンの分泌が、大きく減少したことから分かります。何とかこの絶滅の危機を乗り越えた我々の祖先は、その後、アフリカを出て、ネアンデルタール人と同じように、ヨーロッパとアジアにも進出しました。

地球の寒冷期に生き残るため、我々の祖先は、数家族から数十家族が集まって、洞窟の中に、集団で住むようになりました。この頃、既にヨーロッパに進出していたネアンデルタール人とは、同じ地域で、互いに相手がいることを知りながら、生活していた例もあったようです。このことから、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの、混血の子供も生まれていたと考えられています。

ネアンデルタール人もホモ・サピエンスも、何人かのグループで、マンモスなどの大型の動物を追い、狩りをしてました。そのためにも、お互いの意志を通わせるための言葉が発達しました。ただ、ネアンデルタール人の遺跡と、ホモ・サピエンスの遺跡を比較すると、1つの遺跡に住んでいた人々の数には、大きな差がありました。ネアンデルタール人のグループに比べると、ホモ・サピエンスのグループが大きかったことが分かっています。

ネアンデルタール人の遺跡は、血縁による十数人程度の家族中心のグループでした。それに対して、ホモ・サピエンスでは、血縁だけでない人々も入った、百人単位の大きなグループの遺跡も見つかっています。このネアンデルタール人の一つ一つの集団と、ホモ・サピエンスの集団の規模の違いが、最終的に3万年前のネアンデルタール人の絶滅と、その後のホモ・サピエンスの繁栄につながったと、考古学者達は考えています。

それは、ネアンデルタール人が使っていた石器の進化と、ホモ・サピエンスが使っていた石器の進化を比較すると明らかです。数万年の間に起きた石器の変化を比べると、ネアンデルタール人の石器にはほとんど進化がなく、ホモ・サピエンスの石器は、目的別に大きさや形状の変化が見られ、石器の種類も、用途別にどんどんと増加しました。これは、2つの人類の祖先が作った集団の規模の違いによって、ホモ・サピエンスの社会では、石器の制作にさまざまな新しい工夫が生み出され、その工夫が子孫に伝えられていった結果だと考えられています。

ほぼ同じ時代、地球の寒冷期に洞窟で暮らしていた、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの集団の生活を、遺跡に残された痕跡から探ると、2つの人類の祖先とも、人間の死を理解しており、死者を弔い、病を患った仲間を守る習慣を持っていたことが分かります。また、洞窟の中で火を焚(た)いて、何かに祈りを捧げていた形跡も残っています。つまり、現代人が言う、宗教的な祭祀(さいし)を行っていたと言えるようです。

彼らが生活をしていた洞窟の壁には、動物や人の姿を描いたと思われる絵が残されています。特に、獲物であったと考えられる動物の絵は、精密に描かれたものも多く残っていて、それらを専門的に描いていた人々がいたと考えられています。これらの絵は、豊富な収穫を願って描かれたものではないかと想像されています。また、洞窟の壁には、それらの絵を描いたと思われる人々の手形も残されています。それらの手形から、描いた人々の中には、男性も女性もいたことが分かっています。

特に、ホモ・サピエンスの社会が大規模になってゆく段階では、そのような神秘的なものを信じて、その神秘性の考え方を集団の仲間が共有するための言葉を発達させたはずです。弱いものを守る考えや、人々の死を受け入れ、死者を敬(うやま)う気持ちを共有することから、人間の生と死に関する、精神的な思考が、人間社会に生まれ、個々の集団における団結力を高めたはずです。そのようにして生まれた集団の団結力によって、集団の結束は、さらに高まったでしょう。そのことが、別の集団を取り込んで、集団の規模をさらに大きくする力の源泉になったと考えられます。

(つづく)