宗教について 〜 人の生と死を考える

公開: 2023年1月16日

更新: 2023年9月6日

あらまし

引き続き、私が、皆さんに「宗教とは何か」について、私が理解していることを説明し、皆さんに宗教についての認識や理解を深めてもらいたいと考え始めた、きっかけについて説明を続けます。それは、ある若者が、演説中の政治家を手製の銃で暗殺した事件でした。この暗殺事件の背景には、ある宗教と、青年が育った家庭環境にあった、特別な関係が関わっていました。そして、その問題の背後には、日本人の宗教に対する知識不足が関係していました。

その政治家とある宗教団体との関係

政治家が凶弾に倒れ、日本中がこのニュースに注目していたさなか、事件の調査に当たっていた警察は、「青年は、ある宗教団体に恨みを抱いており、暗殺された政治家が、その宗教団体と近しい関係があったと考えていたことが、事件の原因になっているようだ」と、発表しました。一方、テレビでは、政治家の死を悼み、献花に訪れている人々が作る、長蛇の列を写した映像を流していました。

一部のテレビ局では、ニュース解説で、加害者の青年が、旧統一教会に入信し、多額の献金を続けていた母親のせいで、重い病に悩んでいた兄が自殺に追い込まれ、自分も大学進学をあきらめざるを得なかったことを、恨んでいたとする情報を公表しました。その青年は、インターネット上に公開されていた宗教団体の情報から、政治家がその旧統一教会を強く支援していると、信じていたことも報道されました。

「統一教会」は、昭和40年代の日本社会で、特に大学で学んでいた学生の一部に働きかけ、「原理研究会」という活動を広め、キリスト教に似た新興宗教を普及させ、入信した学生達を使って、信者を増やしていたことで有名な宗教団体でした。入信した若者達は、集団生活をして、布教活動や、団体の活動を支援するための募金集め活動などを、自分の生活を犠牲にして、一生懸命に行っていました。

昭和40年代に大学で学び、原理研究会に入って、その活動を熱心に行った後、統一教会の信者として生活しながら、社会生活を営んでいた人々も、決して少なくはなかったでしょう。そのような信者の中には、自らも地方議会の議員として活動した後、衆議院や参議院の国会議員として立候補した人が居ても、不思議ではありません。旧統一教会では、自分達の主張を日本社会に広めるために、国会議員候補者に接近して、選挙運動での支援などを通して、それらの候補者の政治活動に影響を与えようとしていたようです。

昭和50年代の末頃には、芸能界で成功した歌手や、運動選手として名を成した人々が、統一教会に入信し、教祖の文鮮明氏の導きによって、韓国で開催された合同結婚式に参加し、正式に結婚した事実が、大きく報道されたこともありました。この報道に伴って、統一教会の不思議な教義が、世間で話題になったこともありました。不思議な教義とは、普通では考えられない、教団の「教え」と言う意味です。

そのような教義の例に、「共産主義は悪である」とする教えや、「日本は韓国の発展を積極的に支援すべきである」とする教えなどがありました。また、「結婚前に異性と付き合ってはならない」とする教えもあります。これらは、統一教会を生み出した韓国社会の歴史的な背景や規範を、強く反映したもので、人類の普遍的な理念に基づいた教えとは言えないでしょう。特に、韓国と日本との関係についての教えは、第2次世界大戦以前の、大日本帝国による韓国の植民地化と支配の歴史を背景としたもので、普遍的な認識に基づいたものではありません。

暗殺された政治家は、この統一教会の日本社会における活動を「暗に(陰で)」支援していたと考えられています。それは、その政治家の祖父が、第2次世界大戦中、共産主義勢力の基盤であったソビエト連邦の台頭を防がなければならいと考え、中国大陸の東北部において日本の行政官として、共産主義勢力を抑え込むための活動を、日本の軍とともに推進していたことが関係しています。つまり、その祖父は、イギリスのチャーチル元首相と同じく、反共産主義者の思想をもった人だったのです。

その暗殺された政治家の祖父は、第2次世界大戦中に旧日本政府の中枢で閣僚を務めていたことから、戦後、占領軍によって戦争犯罪人として訴追されました。しかし、その後、朝鮮半島で共産主義の北朝鮮軍と、資本主義の韓国軍が戦闘状態に入り、韓国軍を支援していた米国は、占領軍司令官のマッカーサーを通して、日本社会の非共産化を進める方針を取りました。この政治背景の変化中で、政治家の祖父は、1950年代末に内閣総理大臣に就任、米国と日本の安全保障条約締結に奔走しました。

戦争犯罪人として収監された後、政治家の祖父は、政治家として返り咲き、日米安全保障条約の締結を勧めようとしていた米国政府の意向に従って、安全保障条約締結を推進する立場を取り、内閣総理大臣の座に就きました。しかし、日本国内の世論は二分されており、国会議事堂の周囲には、毎日のように学生の 安保反対デモが押しかけていました。岸内閣は、日米安全保障条約調印と引き換えに、内閣総辞職をしました。

政治の表舞台を退いた後も、その政治家の祖父は、反共的な政治姿勢を維持していました。韓国で統一教会を立ち上げたばかりの文鮮明氏も、1950年代から、反共主義的な立場を鮮明にしていました。岸元総理大臣と、統一教会の日本国内での布教を狙っていた文鮮明氏は、反共産主義と言う政治信条で利害の一致を見出し、その後、互いに協力するようになったと考えられます。この反共産主義での、近視眼的な協力関係が、その後の日本政治の歴史に大きな影響を及ぼしました。

岸元総理大臣は、統一教会の日本での布教を裏から支援する役割を担い、統一教会は岸元総理大臣の主張である「反共産主義活動」を強力に支援していました。この二人の協力関係には、二人のこの政治的利害の一致以外には、合理的な説明がつきません。岸元総理大臣の政治信条の根幹には、国粋主義があり、韓国民が日本人よりも優先されるべきとする、文氏の考えとは、全く一致点を見出せないからです。

岸元総理の支援を受けた統一教会は、日本国内における布教活動を成功裏に展開し、信者数を増大させ、日本人信者からの献金も膨大な金額になりました。一部の国会議員の中には、統一教会の支援を受けて、選挙に当選した議員もいたようです。さらに、統一教会の信者の中にも選挙に当選した信者も出るようになったようです。

日米安全保障条約が締結されてから約60年が経過して、日本の政治家と旧統一教会との関係は、単なる「反共思想」の共有だけではなくなり、何人かの政治家の政治生命をも左右する、政治的な問題に変質しました。さらに、そのことは、統一教会思想に影響された日本の信者が、彼らの家庭を犠牲にしても、際限なく献金を続けることで、数多くの犠牲者を生み出す原因になりました。

2022年の夏、ある青年によって暗殺された政治家は、そのような世界の変化を明確に意識することなく、また、岸元総理大臣の娘でもある自分の母親の、「教団とは一定の距離を保つべき」とする助言を、しっかりと理解することなく、ある日、突然に、青年が自ら手作りした「みすぼらしい」銃と弾丸によって、あっけなく命を落としました。身辺警護の警察官たちの手落ちもあったと言えますが、貧しい無職の青年による、きわめてずさんな犯行の結果でした。

(つづく)