公開: 2023年2月27日
更新: 2023年6月12日
宗教と疑似宗教(つまり宗教を語っているものの、一般には宗教とは言えないものを指します)を区別することは、簡単ではありません。それは、宗教そのものを厳密に定義することが難しいからです。宗教そのものを厳密に定義すると、善なる行いをする『神』(または、それに相当する主体)を信じ、全ての人間はその主体を模範として生きるべきであるとする倫理観に基づいた思想を説いた教祖と、その教祖の「教え」に従って生きるべきであるとする人々の集まりです。人類が信仰した宗教の中には、必ずしも明確な教祖を持たないものもあります。その場合でも、「教え」を人々に説いた人は存在します。典型的な例が、ユダヤ教でしょう。モーゼが説いたとされる十戒がその原点になっていますが、モーゼは教祖とは言われていません。それは、モーゼの十戒が、ユダヤ教の教典である旧約聖書に記されているだけだからでしょう。
日本社会では、神道も宗教と言われています。神道では、太陽神である「天照大神」など、多くの神々を崇拝の対象としていますが、教祖のような存在はありません。強いて言えば、日本の各時代の天皇が、教祖のような役割を担って来たと言えるでしょう。その意味で、世界的な視野に立てば、神道を「宗教」と呼ぶことは、難しいでしょう。神道は、多神教に属する思想と考えられます。数多くの神がいて、天照大神が全ての神を代表する立場にあります。天照大神も、歴史的に見れば、天皇家の祖先にあたる、ある特定の女性が神格化されたものであるとする考えは、合理的な解釈であると言われていますが、それが誰であるかは明確にされていません。ただ、アマテラスは、伊勢神宮に祀られていることは明確です。そのため、天皇家の人々は、伊勢神宮に参拝することが儀礼になっています。また、天皇家の女性が伊勢神宮の神子(みこ)として勤めることも習慣として踏襲されています。
人類の歴史を遡ると、文明が発展してから、エジプトなどでは、多神教が生まれ、王はその子孫であるとされる例が多かったようです。ギリシャ時代になると、執政官を選挙で選ぶ民主主義や、帝王を選任する共和制が生まれて、神と政治的権力者の王を分離する考え方が生まれました。ギリシャ時代のアレキサンダー大王は、マケドニアの王でしたが、神の子孫とは言われませんでした。しかし、同時代のエジプトには、神の子孫とされた王が君臨していました。この頃、ユダヤ人達は、すでに一神教の『神』を信じていました。ローマ帝国は、共和制でしたが、多神教の神を信仰していました。しかし、キリストが生まれ、その教えを信じる人々が増えてくると、ローマ帝国はキリスト教を国の宗教とし、皇帝が教会の長も兼任するようになりました。その慣習は、東ローマ帝国では引き継がれ、トルコによって東ローマ帝国が滅亡されるまで、続きました。
西ローマ帝国では、ローマ教会が政治権力からは独立して、現在のカトリック教会として成立し、5世紀に西ローマ帝国は滅亡しましたが、教会は強大な権力を持ったまま、ヨーロッパ社会の中世を支配し続けました。そして、16世紀に宗教改革が起きるまで、カトリック教会は、世俗の権力である国王たちに、その世俗の権力を承認する世俗社会を超越した権力として、繁栄し続けました。北ヨーロッパ諸国にプロテスタント教徒を中心とした国々が生まれると、ヨーロッパの世界は、北のプロテスタントを信じる国々と、南のカトリック教会の支配下にある国々とに分かれました。カトリック教会の支配下にあったハプスブルグ家は、20世紀になってオーストリアが第一次世界大戦に負けるまで、南ヨーロッパからチェコまで、ヨーロッパの大部分を支配しました。大航海時代にスペインやポルトガルが植民地化した中南アメリカの地域でも、カトリック教国の布教活動によって、カトリック教が広まりました。
17世紀にイギリスが植民地化したインドでは、それ以前から多神教のヒンドゥー教徒が多く、その他の地域では、仏教やイスラム教の信者が多かったようです。特に、ヒンドゥー教は、現状を肯定的に捉える傾向が強く、インド社会に根強く残っていたカースト制を容認するため、インドの社会には適合していたと言えるでしょう。この点については、天皇制を根底としていた日本社会と神道との関係にも、似た面があったと言えます。歴史のある宗教と社会との間には、宗教の教えと社会の構造との間に、親和性が見られます。古代ローマ時代のキリスト教徒と社会の制度との間には、ある時期、衝突する問題も多かったと言えます。しかし、時間とともに社会は変化し、衝突する問題は少なくなってゆき、最後には、キリスト教を違法とする法は廃止され、ローマ帝国がキリスト教を国教とするようになりました。この間、キリスト教自体も変質した可能性はあるかも知れません。
宗教とは一体、どのようなものを言うのでしょうか。皆さんの身近で、宗教と呼ばれているものがあれば、それを考えてみましょう。例えば、日本の社会では、仏教が普通でしょう。皆さんの家庭にも、祖先のお墓が、お寺にある家は多いでしょう。1年に1回または数回、お盆やお彼岸の時など、そのお墓にお参りするご家族もあるでしょう。お墓があるところは、お寺の墓地が多いでしょう。これは、古くから日本社会に根付いていた祖先崇拝の儀礼のための習慣・制度です。最近では、墓園や霊園と呼ばれる、仏教やキリスト教などの様々な宗派の人々のお墓が集まっている場所もあります。さらに、一つ一つのお墓が別々にあるのではなく、そこに葬られている人々全員が、一つの大きな墓に納められている墓地もあります。これは、ヨーロッパ社会の墓が、一人一人、別々の墓に葬られているのとは異なっていますが、祖先を大切にすると言う気持ちには共通した心があります。その心を癒すための仏教やキリスト教は、宗教と呼ばれています。それでは、宗教とは、人間の祖先崇拝の心を癒すための教えを説く組織や制度のことを言うのでしょうか。
もう一つ、皆さんの身近にある、例について考えてみましょう。それは、日本のどの町、どの村にもある、神社です。神社には、普通、その地域を守る「守り神」が祀られています。日本にある神社の中で、最も格式の高い神社は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られている伊勢神宮です。各地に点在する神社は、それぞれの神社で祀る神々が決まっています。その神々が、各地域の「守り神」です。関東地方では、東京の深川にある八幡宮や鎌倉にある八幡宮などが有名です。さらに、明治以降に造られた明治天皇を神として祀った明治神宮や、戊辰戦争以降の戦いで戦死した兵士を祀った靖国神社などもあります。お寺とは違って、神社にはお墓はありません。それは、神社が、国を守る神々を祀るものだからです。伊勢神宮は、天皇家の祖先と言われている天照大神を祀っています。島根県にある出雲大社には、出雲の国をまとめた大国主の命(おおくにぬしのみこと)が祀られています。アマテラスも大国主の命も、古事記などの神話に出てくる神々です。それ以外にも、菅原道真を祀った、天満宮などもあります。
仏教と神社の神々を敬う神道を、比較すると、両者の間に共通点を見出すことは難しいでしょう。日本社会には、なぜ、このような違った性質を持った宗教が根付いたのでしょう。歴史家たちは、古代の日本社会にあったのは、現在の神道のみだったとしています。そして、それは、一族の祖先を神として祀ったものを言うとしています。古代の日本に社会が形成された後、朝鮮半島から仏教が伝わってきました。仏教は、人間にとって、より普遍的な倫理を説いていました。そのため、天皇家は、古代の神道ではなく、仏教を国の宗教として広めるようにしたのです。仏教では、善行を為した人は、死後、極楽浄土に行き、悪行を為した人は、死後、地獄にゆき、永遠に苦しみに耐えなければならないと説きました。善行を為すためには、他人に対して親切に接し、助け、親などの目上の人々には、尊敬の念をもって接することが求められます。また、他人を傷つけたり、殺(あや)めたりすれば、地獄行きになります。仏教では、人の生き方を教えるので、日本社会の支配階級にとっては、社会制度の維持に、都合の良い教えでした。
奈良時代から戦国時代まで、日本の社会は、仏教の教えを守って生きることが理想とされていました。江戸時代になると、徳川幕府は、中国の儒教思想を、社会の秩序を維持するための基礎的な道徳思想として、人間の生き方を、論語などの儒教に基づいて教えるようになりました。つまり、武家社会の日本では、倫理観は儒教思想に基づき、日々の生活は仏教に基づいていたと言えます。しかし、明治時代になると、日本政府は、天皇制を社会の基本とするため、儒教や、仏教に代えて、神道を基盤にした社会に作り変えようとしました。しかし、1,000年以上の間、日本社会の根幹に根付いていた仏教の影響を取り除くことができなかったため、明治以後の日本社会は、仏教、神道、そして儒教の入り混じった思想を基にした、混とんとした社会に変りました。例えば、兵士や子供達には、国家神道が教え込まれ、「天皇のためには命も惜しまない」と教えられながらも、各家庭の祖先を大切にする仏教の教えを守り、社会的な秩序を守るためには、長幼の序、男尊女卑など儒教思想を守ることが教えられました。
そのような日本社会に形成された、宗教についての人々の共通認識には、中世のヨーロッパ社会を通じて形成されてきた、キリスト教の宗教観とは、全く質の異なる宗教観が成立しました。ヨーロッパ社会の宗教では、「絶対的な善」を為す『神』の存在が大前提になっています。日本の宗教観の中に、「絶対的な善」を求める思想は、全くありません。古来から、日本人には、「絶対」や「普遍」を求める精神が弱かったと言えるでしょう。日本人には、相対的な比較の方が、理解し易く、重要なことだったようです。それは、長期的に考えて正しいと思われる普遍的な解決策よりも、短期的に考えて問題がより少ないと思われる、相対的な解決策を好む態度にも表れています。この「絶対」の視点を持つか持たないかで、ものの見方は大きく変わります。つまり、何が正しいか、何が良いかの評価が変わってしまうことがあります。相対的に見れば、良い解決策も、絶対的な見方から言えば、「正しくない」解決策になる場合があるからです。このことは、日本社会は、「絶対的な善」を追求する、本格的な宗教を必要としていなかったことを意味しています。
キリスト教を例に、もう一度、宗教を考えてみましょう。キリスト教や、その基礎となったユダヤ教では、唯一で、絶対的な『神』が信仰の対象になっています。私達が生きてゆく上で、何が正しいことで、「どう生きるべきか」は、絶対的に正しい神が決めています。神の言葉は、教典である「聖書」に書かれています。このことは、「倫理の根幹を決めたのは、神である」と言うことになります。ですから、神を信じると言うことと、正しく生きることは同じことになります。神は、常に正しいので、間違ったことは説きません。ですから、王も神が選び、人々は神が選んだ「人」を王として認めるのです。王は人ですから、間違いを犯します。しかし、神はそれを理解したうえで、その人を王として選んだとされています。王が失脚するのは、神が別の人を支配者に選んだからだとされます。ただ、教典である「聖書」には、人が人生で直面する全ての事件が記されているわけではありません。ですから、聖書に書かれている原則と、書かれている例を理解して、人は、自分で「何が正しいか」を考えて、正しく行動することが求められます。
キリスト教やユダヤ教では、多くの人々が人生の場面で直面する可能性の高い問題については、修行を積んだ教会の神父たちや聖職者たちが、聖書に書かれた原則やいくつかの例を調べて、人々がどう行動すべきかを考え、教えてくれます。特に、キリスト教のカトリック教会は、信者たちがどのように問題を考え、行動すべきかの指針を教えます。この点については、教会を認めないプロテスタントでは、信者自身が、聖書の記述を参考に、全てを自分で考え、神との心の対話を通して、どのように行動すべきかを決めなければなりません。プロテスタントの方が個人主義的であると言えるでしょう。その分、それぞれの個人が背負う責任も重くなります。資本主義の歴史を振り返ると、この原則が、19世紀から20世紀にかけて、プロテスタントの国々において、資本主義経済が急速に発展した理由であるとされています。社会の枠組みの中で、個人個人が「どう行動すべき」かの自由度の範囲が広くなるからでしょう。そのことが、社会の発展には良い影響をもたらしたようです。
キリスト教とユダヤ教との違いについて考えてみましょう。どちらも、根源的には、モーゼが神から受けた啓示である十戒から始まります。このことは、ユダヤ教の教典である「旧約聖書」に記されています。キリスト教の場合、ユダヤ教の教典である旧約聖書と、それに加えて、キリストの弟子であった人々による、マタイ伝、ヨハネ伝、ルカ伝などから成る新約聖書もあります。特に、ヨハネ伝の冒頭にある、「最初に言葉があった」と説いた有名な言葉は、ギリシャ語で書かれた文です。ここで言う「言葉」という語は、ギリシャ語の「ロゴス」で、「言葉」だけでなく、言葉で表現する場合の基礎となる「論理」も意味しています。つまり、論理や理性が重要であることを意味しています。このことからも分かるように、キリスト教では、キリストが説いた「人間の生き方」だけでなく、その基本にある理性的な論理の重要性も説いているのです。論理は、ある人が、別の人に正確に、その人が考えたことを説明し、伝えるための方法です。それを大切にすることを述べています。
ユダヤ教では、このような問題は説かれていません。その理由は、ユダヤ教が説く「教え」は、ユダヤ人からユダヤ人へと伝承する教えだからでしょう。同じ思想を共有し、同じ価値観を持った人々の間で語り継がれることを前提としているのです。キリストは、マタイによれば、ユダヤ教の預言者達が予言していた、将来、地上に現れる「救世主」であるとされています。マタイは、イエス・キリストが、ユダヤ教の預言者によって予言されていた『神』である、と主張したのです。キリスト本人は、自分自身が「救世主」であると断言したことはないとされています。キリストは、ユダヤ教の『神』は、ユダヤ民族だけのものではなく、人類全体の普遍的な存在であると主張し、その考えをユダヤ人以外の人々にも広めようとしました。ですから、どのような人々にも理解できるように、理性的な論理に基づいた説明を、「言葉」で表現しようとしたのです。その教えを引き継いだ弟子たちは、新約聖書の中にその教えを記したのです。つまり、ユダヤ教とキリスト教の違いは、「誰のための」宗教であるか、にあるのです。その意味で、キリスト教は、教えの普遍性を追求するようになりました。
キリスト教の後に生まれたイスラム教でも、この普遍性の原理は、ムハンマドによって引き継がれました。ところで、このユダヤ教からキリスト教への流れとは全く独立に、ブッダも普遍的な教えを説きました。その意味で、仏教、キリスト教、イスラム教は、普遍的な宗教と言えます。これに対して、ユダヤ教や日本の神道は、あくまでその地の人々のための限定的な宗教の性格を持っています。ここで重要なことは、ある宗教の教えが、特定の国や民族を念頭に置いて説かれているかどうかです。もし、現代の宗教が、普遍的に「人間の生き方」を説くものであるとすれば、それは、、古代ギリシャの哲学者達が説いた「倫理」に近いものになります。人々に「善を為すこと」が生きる意味であるとする考え方は、ソクラテス以来、古代ギリシャの哲学者に達にとって、重要な問題の一つになりました。プラトンもアリストテレスも、「善」とは何か、どうすれば「善」が何かを明確にできるかについて説きました。プラトンは、「絶対的な善」があるとして、人間の生き方を説きました。アリストテレスは、「絶対的な善」はなく、どこで、誰が、いつ、考えるのかによって、ある行為が善であるかどうかが決まると説きました。
プラトンは、ピタゴラス学派の人々との交流から、数学のように「絶対的に変わらない真理」があるとして、人々の行為を考えようとしました。アリストテレスは、国や民族、文化が変わると、「何が正義か」の答えが変わることから、「絶対的な真理」はないとして、物事を考えようとしました。この二人の哲学者のどちらの考え方が正しいのかについては、現代でも結論は出ていません。ただ、19世紀に進化論が提唱され、科学が急速に進歩した現在、米国社会でプラグマティズム哲学が生み出され、人間には「絶対的な真理は解明できない」ので、一つ一つの小さな疑問を解決することでしか、物事についての考えを前へ進めることはできない、と言う理解が広まっています。アリストテレス的な理解です。絶対的な真理は存在しても、人間がそれを解明できなければ、人間は「何が正しいか」を述べることはできないと言うことになります。仮に、神がいたとしても、そのことは、人間には分からないはずだと言うことになります。その意味で、人間は神についての真実を語ることはできないとする、無神論が生まれました。無神論は、「神は存在しない」ことを、主張しているわけではありません。