現在の日本社会における教育制度が確立したのは、明治政府が1890年に発布した教育勅語に替わって、大日本帝国が第2次世界大戦に負けた後、米国政府が日本に派遣した教育使節団からの報告を受けて、教育刷新委員会の決議に基づいて吉田内閣が策定した教育基本法で、1947年のことでした。これによって教育勅語は1948年に廃止となりました。小学校の6年間と中学校の3年間の計9年間の初等・中等教育が義務教育となりました。高校の3年間は、義務教育ではありませんが、1970年代以降の日本社会においては、ほぼ義務教育に近いものになっています。4年間の大学教育は、選択的な高等教育で、社会人に必要な一般教養的な知識と、特定の専門分野についての知識を学びます。この大学教育を修了すると、大学は卒業生に対して「学士」の学位を授与します。現在では、同じ世代の若者のほぼ半数がこの大学教育まで進学しています。
現代の日本社会における雇用制度が確立したのも、教育制度と同じように日本が第2次世界大戦に負けた1945年から1950年頃のことです。既に記述したように、現代の日本社会における終身雇用、新入社員一括採用、年功序列の制度は、第2次世界大戦前からの大戦中の期間に確立されたものが根幹になっています。すなわち、その制度の骨格は、日本社会においては第2次世界大戦が勃発する前から、少しずつ形成されていたもので、特に、戦時中の国家の要請によって形作られたものと言えます。この終身雇用を前提とした、社員の職務遂行に必要な知識は企業内教育でつけさせると言う学校教育に左右されない仕事や配置の制度は、戦前からの雇用制度に従ったものです。
このような第2次世界大戦以前からの教育制度と雇用制度に根差している日本社会では、特に高等教育を必要とする専門的な仕事に従事する社員でも、医師免許などの一部の国家資格を必要する仕事以外では、大学で学んだ専門教育と就職後に従事する仕事には、特別な関係を必要としないという、日本固有の状況を生み出しました。このことは、大学で何を学ぶかと言う専門の選択と、企業でどのような仕事に従事するかと言う仕事の選択に、直接的な関係がなく、大学で学ぶ学生にとっては専門選択の失敗による失業のリスクが軽減されるという利点を生み出しています。同時に、企業側にとっても、大学で学んだ人材であれば、どの学部学科の卒業生でも、企業にとって必要な仕事の労働力として採用し、その仕事に従事させることができると言う融通さを生み出しました。このことによって、社内の配置転換によって社員が従事する仕事を会社側が必要に応じて決定できるため、従業員を解雇しなければならないと言う問題もなくなりました。
特に、1945年から1955年までの10年間を見ると、当時、大学へ進学し、学べる豊かな家庭環境にあった若者の数は、同世代の若者全体の数パーセント程度でした。ですから、企業にとっては大学卒業者を採用すること自体が容易ではなかった時代です。その理由には、若者の数に対する大学の数自体が非常に少なかったという理由もありました。このような社会状況を考えると、大学で学んだ専門的な知識と仕事に従事するための専門知識の一致を要求した場合、要求に合致する学生数が極端に少なくなるため、企業側では深刻な人材不足が発生したはずです。また、当時の日本の大学における専門教育で学生に教授できる知識の内容は、実務的なものではなく、仕事に従事するために必要な知識は、企業内研修で再教育する必要がありました。
このような理由から、企業は新入社員の採用に際しては、特定の専門についての知識よりも、その企業の風土によく適合し、将来の企業の経営幹部に成長しそうな人材を選定することが重要とされました。さらに、将来の経営幹部を育成するため、企業では従業員を定期的に移動させ、企業内の様々な職務を経験させて、各従業員の適正を見きわめと同時に、将来において部下になるかも知れない、様々な仕事に従事する社員との交流を持たせる努力をしました。このため、大学教育において、特定の専門知識を学んでいることを前提とした人材育成はしていなかったと言えます。終身雇用制度と年功序列によって、社員全員を平等に処遇し、経営幹部として働くことが適切な人材を見出すことが企業の成長にとって重大な問題であり、そのことが従業員にとっても結果的に有利だったと言えます。
特に、1980年代までは、日本は産業化社会の発展期にあり、大規模な工場で、多数の工場労働者を働かせ、類似の製品を高い品質で、大量に生産することが、会社の発展にとって重要でした。そのような社会では、個々人の社員の能力に依存して会社の事業を遂行すると言う場面は少なく、むしろこれまでにやってきたやり方を踏襲し、同じことを同じように繰り返してやれる人材が重要であったと言えます。つまり、大学で学んだ専門知識の必要性は低かったと言えます。この状況は、1980年代の後半から少しずつ変わり始めていました。それは、科学技術の進歩で、どんな仕事に従事する場合でも、その基礎となる専門知識がなければ、仕事の成果に間違いが起こる可能性が高まってきたからです。
1980年代の社会では、どの専門分野でも、必要となる基礎的な専門知識が膨大になっていたため、それを入社後の社内教育で充当することは難しくなっていました。また、社内でそのような知識を教えようとしても、特に基礎的な知識になると、それを学んだ人が少ないため、教えられる人がいないと言う状況が生まれ始めていました。さらに、製造業の分野では、同じころから、製品設計の方法に大きな変化がありました。それは、マイクロプロセッサと呼ばれる超小型のLSIを利用し、機械部品や電気回路部品の動作をマイクロプロセッサ上で動くプログラムで制御する方法が一般化し始めたことでした。
このようなマイクロプロセッサ上で動き、機械部品や電気回路部品の動作を決定するプログラムのことを「組込みソフトウェア」と呼びます。この組込みソフトウェアの出現は、単純な部品を、複雑な計算を実行するプログラムで動かし、製品の構造を著しく簡単化することができるようにしました。このことは、部品さえ提供すれば、工場の生産ラインで熟練労働者による複雑な組み立て作業が不要になり、世界中のどの地域の工場でも、一定水準の品質の製品を生産することができるようになります。つまり、製品の組み立て工場を、熟練作業はできなくても労働コストの低い東南アジアの開発途上国に移転させることが可能になったのです。
工場の建設コストが高く、労働コストの高い日本の工場で生産を行えば、結果的に製品の販売価格は高くなり、国際市場での競争力はなくなります。そのような理由から、日本企業は日本で開発した新製品の生産を、東南アジアにある開発途上国の工場で行う方法を採用するようになりました。一時的にはこの方法で、日本の製造業の国際市場における競争力は、大きく向上しました。しかし、新製品の実現に数多くのマイクロプロセッサを利用する方法は、新製品の開発と生産に高度な日本人労働者の技能を必要としなくなったため、開発途上国の企業でも国際競争力のある新製品を開発し、生産することを可能にしてしまいました。米国の企業が1980年代に経験したのと同じように、長期的な視点で見れば、日本の製造業は少しずつ国際競争力を失う結果となったわけです。
このマイクロプロセッサのLSI技術は米国で開発されたものでした。それを安く、大量に生産できるようにしたのは、日本の技術者達でした。このことによって、1980年代の中頃から、高性能な小型コンピュータを組込んだ製品を安く生産することができるようになりました。それまでの製品では、電気回路や機械部品を、1個の完全な部品として設計し、生産することが求められました。この部品工場の生産現場に要求される高度な作業なしには、品質の高い製品を適切なコストで生産することは不可能だったのです。高性能な小型コンピュータを使うことで、電気回路や機械部品のひとつひとつは、完全なものである必要はなくなりました。製品が利用されるとき、小さく単純な電気回路や機械部品の動きを小型コンピュータに検知させ、適切な時に他の小さな電気回路や機械部品をうまく動作させれば十分だからです。LSI技術を応用した小型コンピュータの生産コストは、生産に工場労働者の高度な技能を必要とする部品の生産よりも安いので、それを数多く利用することも問題にはならなくなっています。
そのように製品の開発や生産のやり方が1980年代に大きく変化したため、企業の中で活躍できる人材に必要とされる技術的な知識にも大きな変化が生じました。何よりも重要になった知識が、マイクロコンピュータを動かすための組込みソフトウェアを作成するための知識です。そのようなソフトウェアを作成するためには、単にプログラミング言語を知っているだけでは十分ではありません。ソフトウェアは、どのような順番で何をしてゆけば、確実に、間違いなく動作するプログラムを作成できるかを学ばなければなりません。プログラムの場合、電気回路や機械でできた部品のように、工場で作られたサンプルを、時間をかけて何回もテストしても、見つけることが不可能な問題があることを理解しなければ、質の高い仕事ができないからです。
このような仕事に必要な知識を、大学で専門を学ぶことなく、入社後に仕事に従事しながら学ぶことは困難です。機械部品の設計を学ぶ人も、電気回路の設計を学ぶ人も、ソフトウェアの設計を学ぶ人も、組込みソフトウェアの作成方法を学ばなければなりません。さらに、それぞれの専門分野の仕事に従事するために必要な、個別分野の知識を学ぶ必要もあるのです。そのような知識の中には、個別の分野で組込みソフトウェアを利用した製品を設計するために必要となる知識も含まれるのです。日本人の技術者の場合、大学でそのような知識を学ぼうとしても、現状では、それを教えてくれる大学はほとんど存在しません。
日本社会では、社会人の技術者達が、自分達が必要としている知識を体系的に教えてくれる大学教育も整っていません。さらに、企業に就職して、企業内教育でそのような知識を学ぼうとしても、そのような知識を体系的に教えられる先輩社員もいないのです。つまり、日本社会にはこれからの時代に活躍できる専門家人材を育成し、終身雇用制度の枠組みの中で、専門家人材の能力を活かして仕事に従事し、自分自身の能力を継続的に高めてゆく環境は確立していないのです。1980年代までは、世界の中で競争力の高かった日本製の製品を開発し、生産することを可能としていた日本の教育制度や雇用制度は、1990年代以降の世界では、効果的に機能しなくなっています。