公開: 2019年7月27日
更新: 2019年7月30日
2.4節で議論したように、1990年代から世界経済は急速にグローバル化しました。それは、あたかも世界全体が単一の市場になったかのような有様を生み出しました。その結果、世界的な競争に勝った企業は、巨大な資金を集め、その資金を事業の拡大のために用いることで、さらに大きな資金が得られると言う循環が生まれます。そのことは、逆に、その競争に負けた多くの企業は、その企業組織を維持することも難しく、廃業に陥ったり、競争に勝った企業に買収され、その企業の一部分になったりします。そして、そのような負けた企業で働いていた人々の多くは、仕事を失うのです。
この経済のグローバル化と同時に、先進諸国では、経済のサービス化が進展しました。その理由は簡単です。経済が発展していた先進諸国では、企業が雇っている従業員に支払う給与の水準は、発展していない国々の企業に働いている従業員に支払われている給与の水準よりもかなり高く、同じ仕事をしていても従業員に支払われている給与に大きな差があったからです。経済がグローバル化したと言うことは、労働市場も自然とグローバル化します。アメリカの労働者は、賃金の安いメキシコの労働者と競争しなければなりません。
同様に、日本の労働者も、韓国や中国の労働者との競争になります。企業は儲けなければなりません。ですから、日本国内でできることと、中国でできることに差がなければ、日本で行っていた労働を中国の労働者を雇って行うようにします。そうしなければ、日本の企業は、製品の値段が高くなり、中国や韓国の企業との競争に負けてしまうからです。日本の企業が工場を中国に数多く作ったのにはそのような理由がありました。そうなると、日本の工場で働いていた労働者は、仕事がなくなるため、失業したり、仕事を変えなければならなくなります。
2000年頃から、日本の企業が新入社員の採用を減らし、仕事の量の変化に対応して労働力をやり繰りするため、非正規労働者や派遣労働者によって労働力をまかなうようになりました。これは、日本の労働法では、正規社員の解雇がほとんど不可能だったためです 。そのため、正規社員の採用を減らし、不足した労働力を派遣労働者など、非正規の労働力で補おうとしたためです。しかし、日本では正社員と非正規の社員や派遣労働者では、給与だけでなく、失業保険や健康保険に対する会社側の負担がないため、被雇用者としての労働者の労働条件は給与を含めて悪くなります。
似たようなことは、1985年頃から米国でも起こりました。ただし、米国では仕事がなくなれば、その仕事のために採用した従業員を解雇できる契約になっています。従って、米国の大企業では退職金を出して、数多くの希望退職者を募ると言う例が発生しました。そして、そのことが原因で1990年頃、米国社会では経済状態が悪化しました 。当時、失業率は8パーセントに近くなっていました。つまり、働きたいと考えている人100人のうち8人には、仕事がなかったのです。それは、1980年代の終わりごろまでは、米国の大企業は製品を開発し、製造し、国内市場を中心に販売して、利益を得ていたからでした。
1980年頃から、製品の開発と製造に力をつけてきた日本やドイツの企業は、自国の工場で開発し、生産した製品を米国の市場に持ち込み、質の高い製品を安い価格で販売しました。それまでの時代は、米国製の製品と比較すると、日本製の製品もドイツ製の製品も品質が劣っていました。ですから、米国の消費者はそのような外国製品よりも米国で生産された製品を好む傾向がありました。しかし、日本やドイツの企業が、米国の製品よりも良い品質の製品を、それよりも安い価格で売るようになったので、米国市場の消費者の多くが、日本製品やドイツ製品を購入するようになりました。
その結果、米国製の製品が米国市場で売れなくなり、米国企業の経営状態は悪化しました。そして、多くの大企業が数多くの工場労働者を実質的に解雇しました。製造業では、従業員の80パーセントを工場の労働者や、倉庫で働く労働者が占めています。この人たちは、製品が売れるときには必要な人たちですが、製品が売れなければ必要ありません。ですから、企業は解雇したのです。労働者を解雇すれば、企業は従業員に支払う給与や、従業員の教育費、保険や年金などの負担が減ります。さらに、不要になった工場を売却すれば、売った金額がそのまま収入になります。このようにして、米国の大企業は従業員を減らし、工場を売ることで、出費を減らし、収入を増やしました。このようにして、企業の生き残りをしようとしました。
この米国が不景気に悩んでいる時期、日本やドイツの経済は好調でした。それは、米国市場で製品が売れ、その売り上げが収入として手に入ったからです 。特に、ドイツや日本の通貨と比較して、高く交換されていた米国のドルのため、米国の労働者の賃金は、日本円で計算すると、日本の労働者の何倍もの賃金に相当していました。このことが、米国内に工場を持つことの意味を失わせたのです。そのため、米国内では労働者を解雇し、工場を売却しましたが、賃金の安かった日本やイギリスなどに工場を建設し、そこで生産した製品を米国企業は米国市場向けに売りました。
このことは、米国内において、米国の労働者がどのような仕事をすべきかの議論を巻き起こしました。その結果、日本やドイツの労働者にもできる仕事は、米国人の労働者にやらせるべきではないと言う、考えが生み出されました 。つまり、賃金が高くても、日本やドイツの労働者が苦手とする仕事を米国の労働者にやらせれば、日本やトイツとの経済競争には負けないはずだと言う考えでした。そのような議論から、米国では労働者が持っている知識や経験を活用して働かなければならない、知的な労働や仕事が重要になると考えました。
そのような仕事の例としては、企業経営やコンサルタント業、医療に関係する仕事、製品の開発やそのための技術の研究、投資に関係する仕事、映画やテレビ番組の制作などの娯楽に関係した仕事、コンピュータソフトウェアの開発に関係する仕事などが挙げられていました。これらの仕事をするためには、大学などの高等教育機関で、専門的な教育や訓練を受けなければなりません。また、これらの仕事では、良い仕事をするために新しいアイデアなどがどんどん生み出されるので、絶えずそのような新しいアイデアを学んで行ける人材が必要になります。
このような分析から、米国社会では、新しい教育が考えられ、導入されてゆきました。また、どのような仕事に従事しても、コンピュータを道具として扱えなければならなくなると言う予想から、小学校からコンピュータ関係の知識を教育するため、新しい教育科目が作られたりしました。特に大きく変化したのは、大学における専門教育のプログラムです。大学を卒業した人が、すぐに企業内で仕事ができるようにするため、現場で必要になる知識は、大学教育で教えるようになりました 。さらに、大学での教育が、社会で必要とされる人を育てていることを確かにするため、大学の専門教育プログラムを検査する制度が確立されました 。これによって、検査に合格した大学の卒業生は、社会に出て、専門家として働ける能力を持つことを裏付けられるわけです。
米国社会の変化に比較すると、1990年代から2000年代へかけての日本国内の経済のグローバル化とサービス化への対応は、ゆっくりと進みました。それは、日本の国民が急激な変化を嫌う傾向が強いからだと言えます。特に、社会の基本的な流れを決定づける法律の制定や修正と言う、国会における法律策定作業の遅れに表れています。それは、新しい法律の制定や、既に実施されている法律の改訂によって、それによって不利益を被る人々が、現在、その人々が持っている有利な立場を失うことに強く反対するからです。そして、日本ではそのような現在所持している権利を重視する文化的背景が強いからです。日本の社会は、変化が必要になった時でも、簡単には変わらない特徴があります。
日本では、そのような日本人の特質は、古墳時代から2000年に渡って維持されてきたようです。そして、そのことは日本人にとっても、日本の国家にとっても、結果的に良い影響を与えてきたと言えるでしょう。大陸から稲作が伝わってきたとき、朝鮮半島を経由して鉄が日本列島に伝来してきました。また、漢字が伝えられてきたとき、仏教が日本に渡ってきたとき、我々の祖先はそれまでに日本列島に根付いていたものと、新しく伝わってきたものや方法とをうまく混ぜ合わせ、日本的なものや方法を作り上げてきました。その結果、日本にもともとあったものを捨て去ったり、絶滅させたりせずに、それらも維持したまま日本の文化に定着させることができたのです。
永久に変わることのない原則に基づいた宗教の仏教が日本に伝わってきても、それまで天皇家を中心に伝えられてきた神道は、本質的な影響を受けることなく、取り入れた仏教に少しの変更を加えることで、日本の文化に合わせることに成功しました。天皇家は、神道を守りながらも、仏教の推進者として、国民を支配したのです。漢語と一緒に漢字が伝えられてきたときも、古くから使って来た日本語の古語を捨てることなく、日本語を守りながら、漢文を高貴な人々の教養として位置づけることで、漢語をこの国の正式な国語とすることはありませんでした。ものの場合はもっと簡単で、日本人にとって有益なものだけを取り入れたのです。
しかし、1990年代に始まった経済のグローバル化は、これまでに日本人が経験した「新しい流れ」とは、性質が違うものです。それは、日本だけの対応や日本化を許さない、世界が全て「同じ変化を同じように受け入れることを要求する流れ」だからです。経済のグローバル化を拒絶すれば、日本の経済は世界のグローバル経済から孤立します。取り残されてしまうわけです。だからと言って、日本にとって都合の良い部分だけを取り入れると言うことは、余りに身勝手な選択となるので、世界の他の国々が許しません。つまり、経済のグローバル化の流れは、それを拒むことのできないものなのです。
この経済のグローバル化を受け入れると言うということは、少なくとも2つ以上の国家間で生じる取引においては、世界的に受け入れられている約束ごとに従わなければなりません。そのような約束ごとの中には、日本や日本の企業にとって、不都合なものもあります。それは、我々日本人や日本社会が、江戸時代からの400年間をかけて築き上げてきた社会的な制度や決まり事を根本から変えなければならないことも多いからです。例えば、日本では取引において、長期に渡る信頼関係を重視し、長年にわたって取引関係のある相手との取引を、それまで全く取引関係のなかった相手との取引よりも大事にすると言う慣習があります。このような慣習は、特にキリスト教徒を中心としたヨーロッパ社会では、公平でない取引と思われ、法律に違反することもあります。
このようなことから、日本では、新しいグローバルな経済制度への対応のため、日本社会の習慣や法律を変えてゆかなければならないのです。これまでの、国家別の経済を中心とした制度であれば、日本における取引は、日本固有の習慣や、日本の法律に基づいて実施することが許されたのですが、グローバルな経済の制度では、そのような国別の対応は許されません。それは、商取引だけでなく、雇用や教育の問題でも同じです。日本では、大学を卒業した新しい人材を、新規卒業者として特別に採用する習慣があります。この場合、大学生は就職する企業を選び、応募します。このような就職制度は、日本固有のものであり、世界的にはほとんどありません。
外国においては、企業は必要な時に必要な能力を指定して、採用を行います。ですから、採用時には、その企業で何の仕事に従事するかが決まっています。そして、採用する人材が大学を卒業する人材か、既に卒業をして他社で仕事をしている人かの区別はしません。さらに、大学を卒業したばかりの人と、卒業して何年か経っている経験者とでは、担当する仕事が同じですから、賃金はほとんど変わりません。そのため、既に大学を卒業した経験者と、仕事の経験のない大学生とでは、大学生が不利になります。大学生は、本当に仕事ができるかどうか、分からない部分が多いからです。
これまでの日本企業が実施してきた社員の採用方法は、グローバルな経済制度の中では、継続することが難しくなります。もし、日本の企業がそれを続ければ、外国の企業のように仕事に適した人を、有利な条件で雇うことが難しくなるからです。もし、日本の企業が優秀な人を採用できなければ、海外の企業との競争に勝てなくなり、日本企業は国際的な市場から消えてゆくでしょう。このような背景から、2000年以降、日本のいくつかの大企業において、外国人を試験的に採用する試みが行われています。
しかし、日本企業ではこれまで、日本人以外の人々を採用した経験が乏しく、どんな問題が発生するのか分かりません。雇用制度の違いや、習慣の違いから、問題が発生することも考えられます。さらに、米国などで高等教育を受けた人材は、ある企業で働いていても、より良い条件で働くことを勧められると、他社へ移ってしまう可能性があります。そのようなことが起こると、それまで勤めていた企業の秘密情報が、従業員の移動とともに他社に漏れる可能性があります。そのような大切な情報が洩れることは、企業の経営にとっては大きな不利益になります。
このようなことから、労働法や雇用慣行だけでなく、企業内の組織の作り方や社内規則なども含めて、日本企業は新しい時代に適した制度を確立しなければなりません。それと同時に、国としても日本は、国際的な労働慣行に準じた法律の制定を急ぐ必要もあります。さらに、上述したような社員の採用を実施するためには、社内におけるコミュニケーションのための言語を国際的な英語にする必要もあるでしょう。そうしなければ、国際的に活躍できる人材を採用することができないからです。さらに、日本の大学における教育も、グローバルな経済制度に合わせた、専門家育成を目的とした教育制度に変更しなければなりません。
経済のグローバル化は、以上のように、我々に基本的な秩序の変更を強いる問題だと言えます。それは、基本的には科学技術や経済などに限定された、「理性の秩序」に関係しただけの問題と思われがちですが、実は、法律や道徳の秩序にも強く関係した問題なのです。法律の秩序に関係していることは、上述しましたので、「道徳の秩序」について述べます。我々個人が行動するときも、企業組織が何かをする時も、そのような行為を行うかどうかは、それが組織の目的に合っているかや、利益を得られるかだけでなく、それが法律に触れないかも検討する必要があります。しかし、それだけで十分ではありません。個人として、または企業組織として、この行為を実行することが望ましいことかどうかも検討しなければなりません。これが、道徳の秩序に関係した問題です。
道徳の秩序の細かな部分では、時代によって少しの差異があります。例えば、古代ギリシャや古代ローマの社会では、社会制度の中に「奴隷」が位置づけられており、奴隷は、他の家財と同じように、主人の財産の一部と考えられていました。従って、奴隷の意志に関係なく、主人はその奴隷を他人に売り渡すことができました。このようなことは、現代社会では考えられません。それは、現代社会では人間を「もの」のように取り扱うことができないからです。特に、個人の人権、すなわち財産、生命、信教の自由を侵すことは許されないからです。
とは言え、企業は雇用契約の内容に従って、従業員を辞めさせることができます。ここで重要なことは、雇用契約に、企業による従業員の解雇が許される条件が規定されていなければならないことです。その雇用契約は、雇用者と被雇用者である、企業と従業員との合意で結ばれなければならないので、企業側が全てを勝手に決定することはできません。企業と従業員との間で、解雇に関して意見の相違が生じた場合には、裁判所においてその解雇が、契約条件に合っているものであるかどうかが判断されます。つまり、道徳の秩序においての問題解決が難しい場合、それは法の秩序に基づいて裁定されるのです。
この裁判における裁定においては、裁判所は関係する法律の条文だけでなく、社会的な慣習や前例なども考慮して、判決を決めます。その前例や慣習を作り出すのは、その社会を構成している人々の道徳観・倫理観です。グローバルな経済制度に基づく新しい社会では、複数の異なる文化的背景をもつ国々を母国とする人々や組織の間での争議が発生します。それぞれの人々、組織は、自分たちが生まれ育った国の文化を背景に物事を考え、行動するのでその行動を選択した理由や過程についての考えが異なる事例はしばしば発生します。そのことが人々を混乱させ、社会全体をあたかも無秩序であるかのように見せます。