第2章 20世紀の秩序

公開: 2019年7月23日

更新: 2019年7月25日

あらまし
民主主義の秩序と倫理の秩序〜秩序とは

「秩序」とは、人間個人および人間社会の在り方の善悪や良し悪しを決定するための基本的な基準を言います。そのような秩序に対する考えは、古代ギリシャの哲学者たちが考えた「善」や、「正しさ」が始まりのようです。特に哲学者のアリストテレスは、人間のもつ論理的に考える力を使って理解した「自然の法則」を重視したそうです。つまり、自然や自分の周囲にあるものを注意深く観察し、論理的に考えてその観察結果を説明する理屈を打ち立てるべきとする考え方です。

「秩序」と言う言葉の概念は、数学的な「順番」や、人間が他人に対して発する「命令」を意味する、英語のorderと同じ言葉です。17世紀のフランスの哲学者で、数学者でもあったデカルトは、この言葉を、物事を観察し、考えるときの考察の基準となる性質を議論するための見方を意味する言葉として使いました。このデカルトが使ったラテン語の言葉を日本語に訳した語が、「秩序」です。「自然の法則」を考えるときの「秩序」は、全ての人間にとってそれが本当であると確認できる事実から考え始め、そのような事実を論理的・数学的に組み合わせることで、原因と結果の理屈だけで考えて議論を組み立てる立場を意味します。

古代ギリシャのアリストテレスが人間の周囲にある自然のものに注意を向けたのに対して、古代ローマの思想家であるキケロは、人間と人間の関係に注目しました。そして、人間同士の間で、その人間の間の関係を維持するために必要な社会的な規則である「法律」に興味をもったようです。そして、多くの人々が納得できる法律を定めるための方法などについて考えたと言われています。

アリストテレスの「自然の法則」に関する考え方と、キケロの「人間社会の法律」に関する考え方を、キリスト教の考え方に基づいてまとめようとしたのが、中世の哲学者、トマス・アキュナスでした。アキュナスは、神がその考えに基づいて造り出した人間と、人間以外の自然や動物を支配している法則が、基本的には同じようなものであるとして、「自然の法則」を整理しました。

このトマス・アキュナスが考えた「自然の法則」は、人間の行動を対象とした「正しく生きる」と言う秩序と、人間の周囲に存在する自然の動きを説明する「自然の動き」の秩序に分けられて整理されました。そして、前者は「倫理観」と呼ばれ、後者は「科学」と呼ばれるようになりました。

トマス・アキュナスが倫理観とした秩序は、近代になって社会が進歩すると、社会の構成員である人々の行動を規制する法律の秩序と、人間がどのように振る舞うことが正しいかを考える倫理観の秩序に分かれました。さらに、科学の秩序も、自然科学だけを意味するだけでなく、経済などの社会科学をも支配する基本的な秩序を意味するようになりました

(つづく)