縄文人と私達


古代日本語の成立

公開: 2022年9月22日

更新: 2024年1月28日

あらまし

古代から現在まで、同じ語彙が継承されている可能性は小さくても、古代日本語にあった文法の特徴的な部分の痕跡は、その言語を継承している言語にも残されているはずです。1万年以上の期間に渡り話されていた言語の痕跡が、たったの2千年で完全に消失する可能性はほとんどないでしょう。アイヌ文化の研究者である瀬川拓郎が、「アイヌ語は、古代日本語、即ち、縄文時代に話されていた言葉を継承している言葉ではないか」とする主張を展開しています。東北北部で、現在話されている方言と、現在のアイヌ語とに共通する部分に注目すれば、縄文時代に話されていた言葉の特徴を、一部でも復元てきる可能性があるでしょう。

縄文時代の日本語が成立したと考えられるのは、今から1万年前ぐらいのことです。それ以前の時代に日本列島にたどり着いた人々が話していた言語は、新石器時代の古い言語だったでしょう。当時、日本列島の周囲にいた人々、が話していた言語の特徴は、アイヌ語のような古い言語の特徴を残した、抱合語の特徴を持った古代の言葉だったと考えられます。日本語とアイヌ語の文法の特徴は、ほとんど同じと言えることから、哲学者の梅原猛氏は、アイヌ語と現代日本語の基本的な動詞を並べ、アン(有ル)→ある(有る)、オロ(入ッテアル)→おる(居る)、エ(食スル)→えさ、えもの、などを例示しました。

梅原氏は、「言語においてもっとも変わらない言葉の一つは日常的によく使われる動詞であると思う。」として、アイヌ研究の開拓者、バチェラーの辞書からアイヌ語の動詞を列挙したのです。アイヌ語と現代日本語との間には、アイヌ語が日本語を取り入れた「カムイ」に対する『神』のような名詞も少なくありません。特に、名詞の場合、縄文時代の日本語の古語が現代アイヌ語になっている語もありますが、奈良時代以後の日本語が現代アイヌ語になった「ウマ」(日本語の馬)のような例も、数多くあると考えられています。それは、古代の北海道に馬がいなかったからです。名詞に比べると、身近で基本的な動詞の場合、言葉(表現の仕方)が変化する例はまれです。

古代日本語の成立

本章の「縄文人が話していた言葉」の節で、言語学者の小泉保による「縄文時代の人々が話していた言葉は、現代日本語の東北北部方言に近い言葉である」とする主張を紹介しました。小泉氏の主張は、古代日本語の音韻規則(おんいんきそく)の特徴が、現代日本語の東北方言に引き継がれているのではないかと言うものです。しかし、それは古代日本語の語彙(ごい)と、現代日本語の東北方言の語彙に共通するものが見出されることを主張しているのではありません。小泉氏は、古代日本語の音韻的な特徴は、現代の日本語の東北方言に似ているとしていますが、縄文時代の人々が話している言葉は、古代の九州で話されていた言葉であろうとする立場をとっています。古代九州の言葉と、朝鮮半島から渡来してきた人々の言葉、大和地方を含む西日本で話されていた言葉が混ざり合って、弥生時代の日本語が成立したと主張しています。

古代から現在まで、同じ語彙が継承されている可能性は小さくても、古代日本語にあった文法の特徴的な部分の痕跡(こんせき)は、その言語を継承している言語にも残されているはずです。1万年以上の期間に渡り話されていた言語の痕跡が、弥生時代から現在までのたったの2千年間で完全に消失する可能性はほとんどないでしょう。前節の「アイヌ語」の節で、アイヌ文化の研究者である瀬川拓郎が、「アイヌ語は、古代日本語、即ち、縄文時代に話されていた言葉を継承している言葉ではないか」と主張していることを紹介しました。これまで議論してきたことから、東北北部で、現在話されている方言と、現在のアイヌ語とに共通する部分に注目すれば、簡単ではないかも知れませんが、縄文時代に話されていた言葉の特徴を、一部でも復元できる可能性があります。この方針に基づいて、古代日本語の特徴を復元してみましょう。

縄文時代の日本語が成立したと考えられるのは、今から1万年前ぐらいのことです。それ以前の時代に日本列島にたどり着いた人々が話していた言語は、新石器時代の古い言語だったと考えられます。当時、日本列島の周囲にいた人々、カムチャッカ半島やアジア大陸の東北部で生活していた人々、が話していた言語の特徴は、アイヌ語やアメリカ・インディアンの人々が話している言葉に残っているような古い言語の特徴を残した、「抱合語」の特徴を持った古代の言葉だったと考えられます。日本語とアイヌ語の文法が、ほとんど同じと言えることから、哲学者の梅原猛(うめはらたけし)は、その随筆の中でアイヌ語と現代日本語の基本的な動詞を並べ、アン(有ル)→ある(有る)、オロ(入ッテアル)→おる(居る)、エ(食スル)→えさ、えもの、などを例示しています。

梅原氏は、「言語においてもっとも変わらない言葉の一つは日常的によく使われる動詞であると思う。」として、アイヌ研究の開拓者、バチェラーの辞書からアイヌ語の動詞を列挙したのです。アイヌ語と現代日本語との間には、アイヌ語が日本語を取り入れた『神』に対する「カムイ」のような名詞も少なくありません。特に、名詞の場合、縄文時代の日本語の古語が現代アイヌ語になっている語もありますが、奈良時代以後の日本語が現代アイヌ語になった「ウマ」(日本語の馬)のような言葉も、数多くあると考えられています。それは、古代の北海道に馬がいなかったからです。名詞に比べると、身近で基本的な動詞の場合、言葉(表現の仕方)が変化する例はまれです。存在する状態を意味する日本語の「有る」は、変化しにくい言葉の例なのです。二つの異なる言語の間で、基本的な動詞に多くの共通点を見出すことができるのは、比較している言語の間に直接的な関係があると推理できるからです。

縄文時代の古語がアイヌ語のような抱合語であるとすると、なぜ、現代の日本語が「こう着語」になったのでしょうか。梅原氏は、朝日新聞に掲載した随筆の中で以下のように述べています。

『私は、日本語の代表的な格助詞である「を(お)」及び「へ(え)」について、次のように考える。たとえば「京都を発って東京へ行く」というとき、アイヌ語では「オ京都、エ東京」という。「オ」はお尻あるいは性器を指し、「エ」は頭あるいは顔を指す。つまり京都に尻を向けて東京へ顔を向けるという意味である。ところが、このような言葉が古代朝鮮語を話したと思われる弥生人によって使われるとき、この語頭にあった「オ」「エ」が語尾の位置に下り、助詞「を」及び「へ」になったと私は考える。また朝鮮語にはR音で始まる言葉が存在しないので、渡来した弥生人はR音で始まる言葉を話せなかったのであろう。 それゆえ他の音で始まるアイヌ語の言葉にはそれに対応する古代日本語があるのに対し、R音で始まる言葉にはそれがない。この二つのことは、抱合語であった 縄文語が弥生人に使われることによって「こう着語」になり、古代日本語になったことを物語る。』

つまり、アイヌ語を起源とした縄文語は、朝鮮半島から渡来した人々が話していた言葉である「こう着語」の特徴を持った朝鮮語と、アイヌ語を起源と考えられる古代日本語が融合して、新しい弥生語、つまり現代の日本語に変わったとする説です。

「アイヌ語」の節で説明したように、抱合語であるアイヌ語には、普通の名詞とは異なり、代名詞の場合だけ動詞と接合すると言う、特殊な性質があります。このような例外的な処理を必要とすることは、言葉を使う人々に、過度な記憶の負荷をかけることになります。例外処理が少なければ少ないほど、そのような言葉を話している人々にかかる負荷が減るため、話しやすい言葉になります。こう着語では、そのような負荷を減らして、可能な限り一般的な規則を適用するだけにするため、助詞と動詞や形容詞などの語尾変化に関する規則を導入します。これによって、言葉の話し手が記憶すべき規則や、語や語の連なりに関する変化は、大幅に少なくすることができるからです。つまり、言葉として便利で、使い易くなるからです。生物の自然淘汰と同じように、言葉の自然淘汰に似たような現象が起きるのです。それが、アイヌ語に近い縄文語が、こう着語の現代日本語に近い、弥生時代に話されていた言葉に変化した理由ではないかと考えられます。

(つづく)