縄文人と私達


縄文人が話していた言葉

公開: 2022年9月18日

更新: 2023年12月21日

あらまし

言語の専門家の中には、日本語が周辺地域の言語である中国語や朝鮮語との強い類似を見出せないことから、日本語は日本列島が孤立してから約1万年の間に、閉ざされた日本列島の中で独自に形作られたと考えるべきであると主張している人々がいます。これらの研究者の中には、比較言語学(ひかくげんごがく)の方法にしたがって、日本語の方言に残っている音の特徴とその変化から、言葉の変遷(へんせん)を推定して、言葉の発展過程(はってんかてい)を見出す方法を試している人々がいます。

民族学者の柳田国男(やなぎだくにお)は、1930年に『蝸牛考』(かぎゅうこう)を出版し、「方言周圏論」(ほうげんしゅうけんろん)を提唱しました。この理論は、新しく生み出された言葉は、発祥(はっしょう)の場所を中心として、そこから離れた場所に行くにつれて、古い表現が残っているとする主張です。日本語の古代語を研究している小泉保(こいずみたもつ)は、顔を意味する「カオ」と「ツラ」、昆虫のトンボを意味する各地方の方言を比較し、「ツラ」やトンボを意味する「アケズ」に類する表現が、沖縄や九州と東北地方の岩手などに残っていることから、大和政権のあった近畿地方を中心に、弥生時代の日本語が生み出され、時間をかけて周辺地域に伝わり、東北北部や九州・沖縄に、古い表現が残ったとしました。

このような分析から、小泉氏は現在の日本語の基礎となった弥生時代以後の日本語が、日本社会の中央集権化(ちゅうおうしゅうけんか)が進むにつれて、少しずつ、それ以前の縄文時代の日本語に置き換わっていったと主張しています。このことから、小泉氏は、東北北部や九州に残る「アケズ」のような言葉が、縄文時代に話されていた言葉の影響を強く残していると主張しています。

縄文人が話していた言葉

言語の専門家の中には、日本語が周辺地域の言語である中国語や朝鮮語との間に、強い類似点を見出せないことから、日本語は日本列島が孤立してから約1万年の間に、閉ざされた日本列島の中で独自に進化したと考えるべきであると主張している人々がいます。これらの研究者の中には、比較言語学(ひかくげんごがく)の方法である日本語の方言に残っている発音の特徴(音韻率(おんいんりつ))とその歴史的変化から、言葉が時間とともに変化する様子を推定し、言葉の発展過程を見出す方法を研究している人々がいます。

民族学者の柳田国男(やなぎだくにお)は、1930年に『蝸牛考(かぎゅうこう)』を出版し、「方言周圏論(ほうげんしゅうけんろん)」を提唱しました。この理論は、新しく生み出された言葉は、言葉が発祥した場所を円の中心として、そこから離れた場所へと、時間と共に広がってゆくので、発祥地から遠くの場所へ行くにつれて、古い表現が強く残るとする考えです。日本語の古代語(こだいご)を研究している小泉保(こいずみたもつ)は、顔を意味する「カオ」と「ツラ」、昆虫のトンボを意味する各地方の方言を比較し、「ツラ」やトンボを意味する方言の「アケズ」に類する言葉が、沖縄や九州と東北地方の岩手などに残っていることから、大和政権のあった近畿地方を中心として、弥生時代の日本語が生み出され、時間をかけて少しずつ周辺地域に伝わり、遠隔地(えんかくち)であった東北北部や九州・沖縄に、「アケズ」のような古い表現が残ったと考えられます。

このような分析から、小泉氏は現在の日本語の基礎となった弥生時代の日本語が、日本社会の中央集権化(ちゅうおうしゅうけんか)が進むにつれて、少しずつ、それ以前に日本列島の各地方で話されていた縄文時代の日本語に置き換わっていったと主張しています。このことから、小泉氏は、東北北部や九州に残っているトンボを意味する言葉の「あけず」が、縄文時代に話されていた言葉の痕跡(こんせき)を強く残していると主張しています。特に、古い言葉の発音上の特徴は、東北の言葉や九州・沖縄の方言に強く残っているのではないかと主張しています。

20世紀のヨーロッパの言語学では、世界の言語は文法的な特徴に基づいて、大きく、「孤立語」(こりつご)、「こう着語」(こうちゃくご)、「屈折語」(くっせつご)の3種類に分類されていました。現代の日本語は、「こう着語」に分類されています。同じ種類に分類される言語としては、ハンガリー語やフィンランド語などが有名です。さらに、蒙古語や朝鮮語なども、こう着語に属するとされています。ところで、中国語は孤立語に分類されています。古代の世界の日本周辺では、中国語と朝鮮語という、異なる言葉が話されていました。そのような国外の状況を考えると、日本語が朝鮮語の影響を強く受けたことは、自然なことだと言えます。しかし、言語学者の中には、朝鮮語から日本語への直接的な関係を認めていない研究者が少なくないことも確かです。しかし、言語の専門家の視点からは、「日本語と朝鮮語の音韻律(おんいんりつ)が似ている」と言う主張は、広く受け入れられているようです。

上述した「縄文語の発見」の著者である小泉氏は、日本語が朝鮮語とは異なった特徴をもつと主張する研究者の一人です。さらにアイヌ文化の研究者である瀬川拓郎も、縄文時代に日本列島で話されていた言葉は、現代の日本で話されている言葉の文法である、こう着語の日本語、とは異なっていたと主張しています。瀬川氏は、その著書「アイヌと縄文」の中で、日本列島の周辺の民族の中には、近隣地域に類似の言語を話す人々がいない、「孤立した言語」を話している地域が多いと主張しています。アイヌ語、朝鮮語、日本語などがそれらの孤立した言語の例です。

言語学者の松本克己(まつもとかつみ)は、世界の言語を系統的に分類する新しい方法を提唱しています。この新しい分類法を適用すると、日本語とアイヌ語は、朝鮮語やギリヤーク語と同じ太平洋沿岸北方群の言語に分類されます。言語学者でアイヌ語の研究をしていた金田一京助(きんだいちきょうすけ)は、日本語とアイヌ語は全く異なる言語と考えていました。それは、アイヌ語が、日本語に似た音韻的な特徴を持っているにも関わらず、文法的な特徴からは「こう着語」ではなく、抱合語(ほうごうご)に分類される特徴を持っていたからです。抱合語も、20世紀の言語学では、「こう着語」の一種と考えられています。

松本氏が「世界言語のなかの日本語」において述べているように、文法の構造をよく見ると、日本列島とその周辺の、朝鮮半島、中国大陸北部(蒙古を含む)、サハリン、カムチャッカ半島を含む地域で話されている言葉には、似たような特徴が見られます。個別的に見るとアイヌ語などの抱合語に属する言葉と、日本語や朝鮮語などのこう着語に属する言葉ですが、(1)RLの音を区別しないこと、(2)冠詞を用いないこと、(3)名詞の単数複数を区別しないこと、(4)語順が主語・目的語・動詞の順序を基本としていることなど、元々は同じ言語族から発生したと考えられる共通点があります。さらに言えば、アジア大陸からベーリング海を超えて、アメリカ大陸に渡ったと考えられているアメリカ・インディアンエスキモーのような人々が話す言葉にも共通点が見出されます。

エスキモーやアメリカ・インディアンの人々を見ると、サハリンやカムチャッカに住んでいた人々との間に、遺伝的な共通点が多くあると言われています。それは、海が凍っていてアジア大陸と北アメリカ大陸が陸続きであった頃、カムチャッカ半島に到達していた人々の中に、マンモスを追って、北アメリカ大陸に渡った人々が、エスキモーやアメリカ・インディアンの祖先になったと考えられるからです。そうだとすれば、カムチャッカに住んでいる人々の祖先と、北アメリカ大陸にもともと住んでいた人々の祖先は、同じ遺伝子を引き継いでいると考えられます。そうであれば、これらの人々が話している言葉の根源は、古い日本語と同じ言葉であったとも考えられます。

アメリカ・インディアンの言葉が、抱合語であることから考えると、この人々がかつて話していた言葉は、抱合語であった可能性が高いでしょう。現代の日本人が話しているこう着語の日本語は、古い日本語が、こう着語である朝鮮語の影響を受けて、今のような言葉に変化したと考えられます。小泉氏や瀬川氏が示唆(しさ)しているように、縄文時代に日本列島で話されていた日本語は、抱合語のアイヌ語に近い言葉だったのかも知れません。弥生時代から奈良時代・平安時代を通して、東北の蝦夷(えみし)の人々が、アイヌの人々との交流によって、相互に影響し合った結果、アイヌ語に似た東北方言が作り出され、その方言が今も残っていると考えることもできます。

(つづく)