公開: 2022年9月16日
更新: 2023年12月15日
現代人に近い新人、ホモサピエンスは、今から20万年から30万年前に、アフリカ大陸でネアンデルタール人のような旧人から進化しました。ネアンデルタール人は、ホモサピエンスが出現してすぐに、アフリカを離れてヨーロッパ大陸やアジア大陸に進出しました。ヒト(ホモサピエンス)は、その後にアフリカ大陸を出て、ヨーロッパ大陸やアジア大陸に進出し始めました。
研究者達は、イスラエルの洞窟で、ネアンデルタール人とホモサピエンスが、同じ洞窟の中で、同じ時期に生活していた可能性のある痕跡も見つけています。実際に、現代人の遺伝子を調べると、ヨーロッパ人やアジア人の遺伝子の中にネアンデルタール人の遺伝子が混ざっていることも分かっています。
ネアンデルタール人は、今から約3万年前に絶滅しました。現代の研究者は、ネアンデルタール人の社会は、人口が少なく、新しい工夫や考えを生み出す力が十分ではなかったと考えています。それに比較すると、ホモサピエンスは数百人の人々からなる社会を作っていた例も確認されています。集団の規模をネアンデルタール人の集団の約10倍にしたことで、我々の祖先は新しい工夫を生み出し、それを発展させる能力を高めたようです。
アフリカ大陸を離れた私達の祖先は、陸伝いにアジア大陸を進んで、その一部は、現在のロシアのシベリアやカムチャッカ半島を経由して北海道に到達したようです。また、中国大陸の南を経由して、朝鮮半島や台湾から島伝いに九州に到達した人々もいたとも考えられています。約4万年前には、日本列島には私達の祖先が到達していたと思われます。その後、温暖化で海の氷が解け、海面が上昇したため、北海道と本州が津軽海峡で完全に分かれ、朝鮮半島と本州の西端が対馬海峡で完全に分かれました。日本列島にいた人々は、そのままそこに住み続けることになったのです。
私達(人間)の祖先は、約700万年前のアフリカ大陸で、チンパンジーなどの知能の高いサルの仲間から進化したことが、人類の化石から分かっています。「化石(かせき)」は、死んだ動物の死体が、骨と同じような性質の粘土の中に埋まり、数万年、数十万年間、地中に埋まったままになっていると、残った骨が石のようになって、固まってできた「石のような物」です。この化石は、骨の形はその動物が死んで、粘土の中に埋まった時のままで、掘り返された土や岩の中から出てきます。ですから、見つけ出された化石を詳しく調べると、もともとの動物の大きさや大体の形(骨格)が分かってきます。さらに、その化石が見つかった場所を詳しく調べると、化石が出土した地層(ちそう)から、その動物がいつ頃、地中に埋められたかもわかります。例えば、骨が埋まっていた場所が、地表からどれくらいの深さなのかによって、何年くらい前に埋まったのかの見当がつきます。
研究者達は、このようにアフリカ大陸で見つかった私達の祖先の化石を調べることで、猿人(えんじん)が700万年前にサルの仲間から進化し始め、約300万年前に原人(げんじん)に変ったことをつきとめました。さらに、約50万年まえに、「旧人(きゅうじん)」と呼ばれるネアンデルタール人に進化したことも突き止めました。ネアンデルタール人は、がっしりとした体つきで、背は私達よりも小さいのですが、大きな頭を持っていました。頭蓋骨(ずがいこつ)の化石を調べた結果、言葉を話す能力もあったことが知られています。ネアンデルタール人は、洞窟(どうくつ)に住み、石で作った「石器(せっき)」と呼ばれる簡単な道具を作り、使っていました。家族を中心とした小さな集団で暮らし、マンモスのような大きな動物も仲間と協力して捕らえ、食べていました。
「新人(しんじん)」と呼ばれる私達と同じ、現代人に近いヒトは、今から20万年から30万年前に、アフリカ大陸でネアンデルタール人のような旧人から進化したようです。ネアンデルタール人は、現代のヒトが生まれてすぐに、アフリカを離れてヨーロッパ大陸やアジア大陸に進出しました。ヒトは、その後すぐにアフリカ大陸を出て、ヨーロッパ大陸やアジア大陸に進出し始めました。約7万年前から6万年前と考えられています。この時、現在のインドネシアで巨大火山の噴火があり、その火山灰が地球上の空を覆い、太陽の光が遮ら(さえぎら)れたため、地球全体の気温が下がり、ヒトもネアンデルタール人も食べるものが減り、人口も急激(きゅうげき)に減ったと考えられています。
このヒトの人口の大きな減少が影響して、ヒトは男性ホルモンを減らし、互いに協力して生活するようになり、争わなくなったと考えられています。また、イスラエルの洞窟(どうくつ)では、ネアンデルタール人とヒトの祖先(ホモサピエンス)が、同じ洞窟の中で生活していた可能性のある痕跡(こんせき)も見つけました。実際に、現代人の遺伝子を調べると、ヨーロッパ人やアジア人の遺伝子の中にネアンデルタール人の遺伝子が混ざっていることも分かっています。白い肌の色や、一部の感染症に対する免疫は、その結果であると考えられています。しかし、ネアンデルタール人は、数十万年の間、ほとんど同じような石器を使っていました。これは、我々の祖先が次々と新しい石器を作り出したことと大きく異なります。
ネアンデルタール人は、今から約3万年前に、ヨーロッパ大陸の西南端で、アフリカ大陸の北西の端が見える、現在のスペインの南西の半島の洞窟の中で、最後の一人が死に、絶滅しました。この最後のネアンテルタール人が、岩の上に何かの印を刻んでいたことも分かっています。ではなぜ、ネアンデルタール人は絶滅し、ホモサピエンスは今日まで生存し続けているのでしょうか。現代の研究者は、ネアンデルタール人の社会は、人口が少なく、新しい工夫や新しい考えを生み出す力が十分ではなかったと考えています。それに比較すると、ヒトの祖先は数百人の人々が集団を作って住む例も確認されています。そのためには、仲間同士で自分の考えや、知っていることを教え合える高度な言葉を持つ必要があります。集団の規模をネアンデルタール人の約10倍にしたことで、我々の祖先はそのような高い学習能力を得たようです。
アフリカ大陸を離れた私達日本人の祖先は、陸伝いにアジア大陸を進んで、現在のロシアのシベリアやカムチャッカ半島を経由して北海道に到達したようです。また、東南アジアから中国大陸の南を経由して、朝鮮半島や台湾から島伝いに九州に到達した人々もいたと考えられています。特に、北から来た人々は、寒冷な時代に、海面が下がり、陸続きになっていたサハリンや千島列島を経由して、マンモスなどの大型動物を追って、本州にまで到達したと考えられています。約4万年前のM石器時代には、日本列島には私達の祖先が到達していたと思われます。その後、地球が温暖化して海面が上昇したため、北海道と本州が津軽海峡で分かれ、朝鮮半島と本州の西端や北部九州が対馬海峡で分かれました。既に日本列島に来ていた人々は、数万年の間、孤立したまま日本列島に住み続けることになりました。
私達の祖先の骨に残った遺伝子を調べて、研究者達は、今から1万年ぐらい前に日本列島に生きていた人々が、中国大陸に生きていた人々や、朝鮮半島に生きていた人々の遺伝子と比べると、その遺伝子に似ている部分が少ないことを知りました。研究者は、1万年くらい前に日本列島に住んでいた人々は、人類がアフリカ大陸を離れてアジア大陸に到着して余り時間が経っていない頃の遺伝的な性質を持った人々が、日本列島に到達し、縄文時代を通して独自の進化を続けたのではないかと考えています。今でも、日本人の遺伝子の中には、ネアンデルタール人の遺伝子と共通する部分が、普通のヨーロッパ人よりも多く残されています。
縄文時代の日本人は、それ以後の日本人と比較すると、背が低く、顔が丸顔で、二重瞼、鼻が大きく、頬骨が発達していて、上下の歯のかみ合わせも良いと言う特徴があります。また、耳垢が湿っていて、ウィンクができます。これらの特徴は、現代の普通の日本人と比較すると、かなり見た目も違うと言えるでしょう。つまり、縄文時代に生きていた日本人は、現代の日本人とは、見た目がかなり違った人々であったと言えます。それは、遺伝子の分析からも言えることです。現代の日本人は、中国大陸の人々や、朝鮮半島の人々の遺伝子と共通する特徴を多く持っていると言えるそうです。簡単に言えば、直線的に並べると、中国大陸の人々、現代日本の人々、アイヌの人々、そして縄文時代の日本人の順序で、並べることができるようです。