人間、道具、社会

公開: 2019年7月11日

更新: 2024年10月10日

あらまし

約6万年前、インドネシアのトバ火山の大噴火の後、アフリカを出ていたネアンデルタール人に遅れて、私たちの祖先もアフリカ大陸を出ました。そして、ネアンデルタール人たちと同じように、地中海を回って、ヨーロッパに到着しました。当時の気候は寒冷で、寒いヨーロッパでの生活は容易ではなかったはずです。私たちの祖先は、洞窟に住み、精巧に作った石器を使い、獲物を効果的に獲ることで、少しずつ数を増やし、一つ一つの集団を大きくして行きました。これに対して、ネアンデルタール人たちは、家族を中心とした小さな集団で、生活をしていました。石器の改良も、我々の祖先たちほどではありませんでした。

4. 人間は何のために社会を作ったか 〜(1) 文明が発祥するまで〜

最初、我々人間の祖先たちは、自分達の子供達や子孫達を数多く生み、自分達の集団を大きくして、生き易く、人間の血を絶やし、自分達の種族が絶滅することがないように願ったはずです。これは、ゴリラやチンパンジー、そしてその他のライオンなど、全ての動物に共通する本能的な行動の原理です。ネアンデルタール人も同じだったと考えられています。

家族を増やし、自分達の集団を大きくすれば、獲物を獲ったり、森の木の実や野草を集めるとき、よりうまく獲物を捕らえられるようになり、よりうまく木の実や野草を集められるからです。食べ物に困って、集団の仲間が命を落とすこともなくなります。ですから、我々の祖先は、より大きな集団を作る方が有利になると考えたはずです。それは、地球上に生きていた人間の数が、他の動物の数に比べるとまだまだ少なかったからです。

そのようにして、集団としての人間の数は少しずつ大きくなってゆきました。ネアンデルタール人の数と人間の数が同じくらいになると、ネアンデルタール人の集団の近くに人間の祖先達の集団が生活するようなこともあったと考えられます。現実に、現在のイスラエルにある遺跡では、ネアンデルタール人の住んだ大きな洞窟と同じ洞窟に、人間の祖先達が住んだ跡が残る例が発見されています。人間の祖先達は、ネアンデルタール人達を見ていた可能性があります。

当然のことですが、人間の祖先達が狩りをしているところに、偶然、ネアンデルタール人達も狩りのために獲物を追ってきたこともあったでしょう。しかし、そのような場合でも、人間達の祖先とネアンデルタール人達の間に、戦いは起こらなかったようです。ネアンデルタール人の小さな集団と、人間の祖先の小さな集団が互いに相手を見つけ、戦いを起こせば、体が大きく、筋肉が発達したネアンデルタール人の方が有利で、体が細く、華奢(きゃしゃ)な体形の人間の祖先は、戦いに敗れていたでしょう。

数万年と長い時間をかけて、人間の祖先達はその数を少しずつ増やしてゆきました。そして、すでにヨーロッパ大陸を中心に活動していたネアンデルタール人を追いかけるように、人間の祖先の一部も、アフリカ大陸からヨーロッパ大陸に進出していったと考えられています。それは、人間の祖先達の集団の大きさが大きくなり過ぎたため、アフリカ大陸だけでは、獲物が足りなくなったためだと考えられます。当時、ネアンデルタール人の集団の大きさは、人間の祖先の集団と比べると、小さかったため、ヨーロッパ大陸ではまだ獲物が豊富だったからです。

ヨーロッパ大陸に移動した人間の祖先達は、地中海側の南ヨーロッパから、獲物を求めて徐々に北ヨーロッパへと向かいました。この時代、地球は寒冷期と呼ばれる、全体に温度が低くなっていた時期でした。ネアンデルタール人も人間の祖先も、その寒さに耐えて狩りを行うため、狩りで捕らえた動物の毛皮を身にまとうことを学んでいたようです。洞窟で火を焚き、暖を取り、狩りに出るときは、毛皮を幾重にもまとって、寒さをしのいだと思われています。

このようにして、人間の祖先やネアンデルタール人は、他の動物では考えられないくらい広く、地球上に分かれて生きるようになりました。その過程で、衣服だけでなく、寒い雪の中でも歩けるような靴や帽子を作り出しました。さらに、狩りの獲物から取った毛皮だけでなく、骨なども使って、弓矢の先につける矢じりや、毛皮同士を縫い合わせるための針も作り出しました。

ある程度の寒さに耐えられるようになった人間やネアンデルタール人は、ヨーロッパ大陸から東に向かい、アジアに向けて移動を始めました。現在のロシアへと向かったのです。獲物も大型の動物になりました。そのため、狩りをする集団の大きさも大きくなってゆきました。また、狩りのための道具も少しずつ進歩し始めました。主として、石で作った道具ですが、少しずつ精巧な石器と呼ばれる道具を作れるようになりました。初期の石器は、人間の祖先達が使っていたものと、ネアンデルタール人達が使っていたものには大きな違いがありませんでした。

しかし、数万年間に人間達の祖先が使った石器は、著しく精巧な加工がおこなわれるようになり、様々な目的に合わせた道具が作られるようになりました。それに比較すると、ネアンデルタール人達が使っていた石器は、初期の物からあまり変化せず、進歩がありませんでした。このことは、人間達の祖先の集団の大きさが、すごい勢いで増え、集団の中に専門的な仕事をする人々が生まれていたことを物語っています。狩りで得られる獲物の量も、狩りに参加する人の数が大きい分、多くなっていたと考えられます。ネアンデルタール人達の数は、少しずつ少なくなっていたと考えられます。

そのような時に、地中海の沿岸地域、現在のイランやイラクがある地域の近辺で、人間の祖先達は、自然に咲いていた植物の中から、人間が生きるために都合の良い食べ物であるになる植物の祖先を見つけ出しました。そして、それらの種を集め、地に「まく」ことで、次の年にその実から麦を収穫できることを学びました。さらに、それらの実の中から、食べるのに適し、長期間の保存でも痛まない種を見つけ、その種をまいて次の世代の種を収穫して、さらにその種をまいて、より多くの実を収穫することを学び、農業を行うことを学びました。これが、人間の祖先達が生み出した「文明」です。

(つづく)