公開: 2019年7月11日
更新: 2024年10月10日
私たちの祖先の人間や、ネアンデルタール人は、集団の中の人々が意思の疎通をうまく行うために、声を使って意思疎通を行う方法を生み出しました。それは、モノを指し示す「言葉」と、それらの言葉をつなげて、一つの意味を伝えるための文を作り出す規則である、「文法」の発明です。一つ一つの言葉(単語)は、現実には一つ一つの個別の存在を指すものでしたが、やがて、それに似たものの集合全体を指す、「名詞」になりました。この変化は、抽象化と言う知的な操作によって可能になります。この「抽象化」操作を見つけ出した人類は、その後、驚くべき速さで、知識を拡大することに成功しました。
私たちの祖先は、集団内での意思疎通の必要性から、言葉と文法を作り出しました。ここで、言葉とは、普通、自然に存在している「物」や、それらのものがどのような様子であるのかについて説明するための単語です。また、人間や動物、自然界の物がどのように動くかを説明するための単語、動詞、などもそのような単語の一つです。「私たちは狩りに行く」と言う文を考えれば、「私たち」「狩り」「行く」などの単語が必要です。しかし、これらの単語があるだけでは、正確に物事やその状態を説明することはできません。
単語を組合わせて、1つの意味を伝える「文」を作り出すための決まりごとを決めなければなりません。我々の祖先たちが、どこまでそのことを理解していたかは分かりません。しかし、そのような決まりがなければ、「私たちは狩りに行くところ」であることを言いたいのか、「私たちは狩りに行ってきた」ことを伝えたいのか、明確には分かりません。獲物をたくさん持っていれば、「行って」「帰ってきた」ことが推測できますが、そうでなければ、そのどちらかは分からないのです。
そこで、これから何をしようとしているのか言いたい時と、既に何かをし終えたことを伝えようといているのかを区別できるように、個々の言葉をつなげる方法を決めたのです。例えば、「行きます」と「行きました」では、これからのことを言うのと、すでに終わったことを言うのかを区別できるようにしています。日本語のような「こう着語」と呼ばれる言葉では、このように動詞の語尾に「ます」や「ました」を付けて、何を言いたいかを示します。英語などの屈折語(くっせつご)と呼ばれる言語では、言葉(動詞の表現)を変えて、「go」と「went」とを使い分けます。さらに、英語では、将来のことを言うために「will」と言う助動詞を付けて、「will go」という表現を使います。
このような言いたいことを表現するための単語の並びを決める決まりを文法と言います。我々の祖先は、単語を作り出すと同時に、そのような文法の規則も作りだしました。このような能力は、人間以外の動物では確認されていません。ネアンデルタール人の場合は、似たような言葉と文法を持っていたと推測されています。また、ゴリラやチンパンジーの中には、単語と文法を理解し、自分で意味のある文を作り出す能力のある知能の高いチンパンジーやゴリラの個体がいることは分かっています。「リンゴが食べたい」と飼育員に伝えたゴリラもいたそうです。この時、ゴリラと人間は、コンピュータを使って、ゴリラが一定の順番でボタンを押して表現した文が、文字で画面に表されるという方法をとっていました
つまり、知能の高いゴリラやチンパンジーでも、鳴き声だけを使って、自分の意志を伝えることは難しいようです。それは、ゴリラやチンパンジーの喉が、人間の喉のように発する音を、柔軟に変化させることが簡単ではないからだろうとされています。将来、ゴリラやチンパンジー達も、声ではなく、別のやり方を使って、お互いに意思疎通をしていることが確認されるかも知れません。少なくとも、人間とコミュニケーションを取るための方法を学び、それを使って、意思疎通を図ろうとするのは、知能の高い一部のゴリラやチンパンジーだけのようです。
人間は、言葉と文法を使って、お互いに意志を疎通できるようになって、それまで以上に大きな集団を作って生活することができるようになりました。そして、集団の大きさが、千人、万人の大きさにまで増えると、1つの集団内でも個人の間で行う意思疎通は、どんどん多様になったはずです。そして、そのような意思疎通を目的とした動作によって交換される文の意味は、それを 理解する人が誰であるかによって、伝わる意味が変わるという問題が出たはずです。誰が何を言ったかは、その会話を直接聴いた人にしか分かりません。当人たちは、自分の記憶が正しいと考えているかもしれませんが、本当のことはその時、周囲にいなかった他人には分かりません。
そのような問題が発生すると、その人々が参加している人間集団をうまくまとめて行くことが難しくなります。そこで、人々が物事を記憶することを助け、また人々が何を言ったかをその場にいなかった人々にも確認できるようにする手段が考え出されました。それは、ある人が話した言葉を、物の上に書き残し、言葉を表す記号(文字)を作り出し、それを粘土板の上に書き残すことでした。粘土は、最初、柔らかいので木の「へら」などで、簡単に表面に書き込むことができます。そして、一定時間、放置しておけば、その粘土板は乾燥して固まり、長期間の保存ができるようになります。
このようにして、記録を残すことができるようになった私たちの祖先は、自分達が学んだ物事に関する知識を、書き残し、自分の身の回りに居る人たちだけでなく、遠くに住む人々や、後世の子孫達にも、その知識を伝えることができるようになりました。現在、我々は、古代バビロニアの王であったハムラビ王が、その民衆に対して示した数多くの約束事を、粘土板に書いた内容を読み解くことで、理解しています。「ハムラビ法典」と呼ばれている、今でいう法律です。「目には目を」と言う有名な言葉は、皆さんも聴いたことがあるでしょう。
ハムラビ王が治めた国は、数十万人の国民が住む巨大な古代国家でした。この時代に、既に初期の数学や天文学が生まれています。まだ、鉄の作り方は分かっていなかったのですが、農業や大規模な灌漑工事(人工的に川を作り、うまく水を流すために川を作り出す工事)を行う技術や、農耕を効果的に行うための天文学の基礎知識も分かっていました。つまり、太陽の高さ、月の満ち欠け、星座の位置に基づき、種をまき、収穫物を刈り取る時期を正確に決めていたようです。数学では、整数や小数は知っていましたが、分数では表すことができない無理数などは見つかっていませんでした。ですから、1以下の数は、全て分数の形で表しました。
自分自身を掛け合わせるとある整数になる数を考えます。例えば、ある数自身を掛け合わせて、その答えが2になる数を考えます。この答えは、現代の数学では、「xとxを掛けて、その答えが2になるとき、xはいくつか」という問題になり、答えは2の「平方根」で、大体、1.41421356です。古代のバビロニアの数学者たちは、その答えが、「1と2分の1(つまり、2分の3)」に近い数であることを知っていました。この問題は、現代の数学でも簡単とは言えない問題の一つで、ディアフォンタス方程式と呼ばれる形式の問題の一つです。「xとxを掛けて、その答えが4になるとき、そのxはいくつか」は、xが2であることはすぐに分かります。しかし、xとxを掛けて、その答えが2になるxを求める問題は、簡単には解けません。
我々の祖先は、言葉と文法を作り出し、そして言葉と文法を使って話された内容を記録する方法を生み出したことで、飛躍的に知識を増やし、その知識を利用して集団の大きさをさらに大きくすることができるようになりました。そして、今や、地球上の人間の数は、80億人を超えています。地球上で、もっとも数が多い、動物の種類になったわけです。人間がその数を増やす過程で、数多くの動物が絶滅しました。人間の狩りの仕方が進歩して、ある動物を殺し過ぎたためです。有名な例に、大型の象のような「マンモス」がいます。石器時代に人間の祖先は、地球上に数多く生きていたマンモスを、食料や毛皮を取るために殺し、たくさんのマンモスを殺したため、マンモスが絶滅したと考えられています。
日本でも、江戸時代までは数多く姿が見られていた鳥の『トキ』は、弓矢の矢を作るための材料だったため、たくさん捕らえられ、殺されて、昭和時代に日本のトキは数羽にまで減り、その後絶滅しました。今は、中国で捕らえられたトキを日本へ運び、佐渡島などで人工的に育てて、子供を増やし、自然に放すことで、少しずつ数を増やしているそうです。ただ、増えているのは、遺伝的には日本のトキの子孫とは言えません。日本カワウソや日本狼なども同じように絶滅したとされています。我々、日本人の祖先が、獲り過ぎたためです。