公開: 2019年7月13日
更新: 2024年10月26日
人間の社会が進歩して、道具も進歩しました。すると、大きな力を自由に扱える機械や、物を早く動かす機械が必要になります。そのような仕事を簡単に行える機械が考えられ、作られるようになります。最初は、長期間の訓練を受けた、特別な人がそのような機械の運転を担当していましたが、便利な機械であれば、普通の人も運転できることが望まれます。そのためには、運転や操作で難しい部分を、機械に自動的にやらせることが必要になります。それを可能にするのが、人間の代わりができるコンピュータです。
人間の祖先達は、自分達の集団が大きくなり、社会が複雑になると、その複雑な社会の中で人々が楽に生きられるように、もともと守っていた社会の古い決まりごとの上に、新しい決まりごとを「つぎ足し」て、「積み上げる方法」を学びました。そして、その複雑に絡み合う決まりごとを全員が守るために、言葉で表現し、それを書いて記録するようになりました。しかし、それだけでは集団に属している全ての人が決まりごとを憶えて、その決まりごとを守って生活できるわけではありません。そのため、人間の祖先達は、自分達が作り上げた決まりごとの重要なものから順番に、自分達の子供たちにも教えるようになりました。そして、そのような決まりごとをしっかりと守れない人々を、その集団の中で、別のグループに入れて、普通の人々とは一緒に暮らさないようにさせました。これが、現在の裁判と「刑罰(けいばつ)」の始まりです。重い刑罰の場合には、決まりごとを守らなかった人の命を奪うこともありました。現代日本の「死刑」と同じです。
このような法律を定め、それに従って、法律を守らない人々を、社会として罰するやり方を取り入れたため、人間の祖先達の集団には、法律を守れない人々が生まれ、そして育つ可能性は小さくなりました。良いことばかりではありませんが、今でも人間は、他の人と同じように生きることができない人々を、自分達から遠ざけようとする傾向があります。それは、7万年近くをかけて、人間の祖先達が少しずつ、自分達の性質を変えてきたからでしょう。そのことは、学校や社会の中で、少し変わった人がいると、その集団の中から、皆がその人を「変わった人」として遠ざけようとするからです。それは、今から数百年ぐらい前までの社会では、人間の社会の秩序を守るために重要なことだったのです。
同じようなことは、人間が作り出した道具と、それを作り出した人間自身との間にも生まれつつあります。100年ぐらい前までは、人間と同じように計算をしたり、考えることができるような道具(機械)を、人間が作ることはできませんでした。しかし、人間が道具を動かすために電気を利用するようになってから、この事情は大きく変わってしまいました。複雑な機械でも、その動作の途中で、数多くの歯車を使ったために、歯車と歯車がかみ合うときに出る摩擦(まさつ)で、伝わる力は弱まります。だから、100個の歯車をかみ合わせて、力を伝えることはできません。しかし、電気を使うと、弱くなった信号を、途中でもう一度、作り直すことができます。「増幅(ぞうふく)」と言う現象です。
特に、コンピュータで使われる「ゼロ」か「イチ」かのどちらかしかない信号の場合、ある程度弱まって、「ゼロ」か「イチ」かの判断が難しくなる前に、「ゼロ」を新しい「ゼロ」に、「イチ」を新しい「イチ」に書き換えれば良いのです。ですから、そのような信号を何回、中継(ちゅうけい)して伝えても、最初に出した信号と同じ信号が、最後まで到着します。宇宙の彼方から飛んでくる微弱な信号を、地上のアンテナで捕らえて、人工衛星が撮影した天体の画像を元に戻せるのはこのためです。さらに、最近では、宇宙空間を飛ぶ電波が、他の理由で入った雑音によってかき消された部分があっても、ある程度の間違いが発生した程度であれば、それを正しい信号に戻すこともできます。誤り訂正(あやまりていせい)という技術です。
このような電気を使った信号の伝達(でんたつ)を使えるようになって、人間は計算を行い、人間の考える動作を「まねする」ことができるコンピュータを作ることができました。そのようなコンピュータを小さくして、電気掃除機やカメラ、飛行機や自動車の中に忍び込ませると、電気掃除機やカメラ、飛行機や自動車は、それまでは人間にしかできなかったことも、まねできるようになります。カメラの例で言えば、カメラのレンズを回して、ピントを調節しないと、写った像がピンボケになります。レンズの焦点が合っていないからです。これは、写真に撮りたい被写体とカメラとの距離に合わせて、レンズを調節しないと、被写体の映像がその映像を写すフィルムやセンサの上に、ピッタリと焦点が合った像を結ばないからです。しかし、コンピュータを内蔵した最近のカメラでは、センサ上で焦点が合っているか、そうでないかを判別して、レンズを動かすモータを動かして、焦点を合わせます。だから、誰でも失敗なく、良い写真を撮影することがます。
このようなコンピュータ付きカメラを作ったことで、専門家でなくても、カメラを使って写真が撮れるようになりました。以前は、フィルムが高価で、失敗すると、その損失(そんしつ)が大きかったため、そのような操作の難しいカメラを使う人が少なかったのです。自動車も同じです。昔の自動車は、アクセルとブレーキの他に、クラッチと、ギアが付いていました。車を走らせるためには、エンジンにかかる力と、車輪の回転を合わせる正しいギアを選ばなければなりません。そして、正しいギアを選んでも、ギアを変えるとき、一度、クラッチを踏んで、ギアとエンジンからの動力を伝える車軸とを、切り離して、別のギアに入れ替え、その後でもう一度、クラッチを踏んでエンジンの回転に合ったギアにつなぎ変えます。クラッチは、2枚の鉄の円盤で、この2枚がくっついた時、エンジンの回転がギアに伝わります。クラッチペダルを踏むと、円盤同士が離れます。クラッチから足を離すと、円盤同士がくっつきます。これを正しくやらなければ、エンジンに力がかかり過ぎて、自動車が止まってしまいます。そんな運転の難しい自動車は、誰にでも運転できるものではありませんでした。