公開: 2019年7月13日
更新: 2024年910月24日
目に見える道具にしろ、抽象的な道具にしろ、最初、道具にはさまざまな不具合が隠れています。人間は、それらの不具合を取り除いて、自分たちが作った道具が、使い物になるまで、改良を加えてゆきます。人間のように考えることができる機械であるコンピュータも、さまざまな改良が加えられて、今日の姿になりました。その一つの例が、十進法の計算を、二進法の計算に変えたことです。
人間は、自分達の生活を良くするために、さまざまな道具を発明してきました。そのような道具の中には、人間集団をより大きなものにして、集団に属する人々にとってより便利な生活ができるようになる、「決まりごと」も数多くあります。その「決まりごと」に特徴的なことは、それまでに作られてきた「決まりごと」を基にして、より良い決まりごとになるような、「新しい決まりごと」を作ることです。しかし、新しい決まりごとが人間社会に普通になって、時間がたつと、言葉と同じように、古い決まりごとは忘れ去られる問題がしばしばあります。そうすると、最初は、「古い決まりごと」が「こうであった」から、「新しい決まりごと」は「こうでなければならない」という理屈で、「新しい決まりごと」が成り立っていました。それがしばしば、いつの間にか、古い決まりごとが当たり前のようには成り立たない、「新しい」社会に変化するのです。
例えば、18世紀のスコットランドの社会は、カトリック教徒が多く、その影響を受けた倫理観(何を善いこととするかの考え方)が社会の基本にありました。そのような社会で、アダム・スミスの資本主義は生まれました。当時は、産業革命が進展していたので、産業革命と資本主義はすぐに結びついて、社会の経済を発展させる力になりました。この社会の発展には、産業革命がもたらした技術の進歩も大きく寄与していますが、当時の普通の人々が持っていた「倫理観」も大きく寄与していたはずです。それは、「利子を嫌うキリスト教徒の考え方」「自分が得た富は社会に還元すべきとするキリスト教徒の友愛・共生の考え方」「一生懸命に働くことは全ての人間に与えられた使命であるとするキリスト教徒の考え方」「自分が働いて得たものは、自分が所有できるものであり、自分の意思で処分できるとするイギリス人やスコットランド人の考え方」などです。
これらの考え方は、18世紀にアメリカ大陸に渡り、アメリカ合衆国を建国したピューリタン(清教徒)と呼ばれたアメリカ人に引き継がれ、やがてアメリカ合衆国の産業を発展させる原動力になりました。そのことは、20世紀に入って、ドイツの社会学者が「ピューリタンの倫理観と資本主義の精神」と題した書物にうまく表現しています。当時の普通のアメリカ人にとっては、自分の最善を尽くして一生懸命に働くことは、自分自身が「救われる」唯一の道だったのです。しかし、時代は変わり、人々の宗教観、倫理観も変化しました。現代人には、自分が救われるために働くと考える人は少ないでしょう。むしろ、お金をたくさん稼いで、豊かな生活をするために働く、と考える人の方が多いでしょう。以前は、当たり前のように思われていたことが、今の世の中では、全く成り立たなくなっているのです。
似たようなことが、技術の世界でも起こり始めています。18世紀にイギリスで、バッベージが考えていた「人間のように考えることができる機械」は、20世紀に入って、電気で動く機械を作れるようになった人間社会においては、それを本当に作れる可能性が高くなりました。その結果、産業革命が終わったアメリカの大学で、電磁石を使った電気式のコンピュータが作られました。ハーバード大学のエイケンらが、IBM社の協力を得て作り上げたマークIと名付けられた機械です。この機械は、現代のコンピュータとは違って、人間と同じように10進法で、計算を行う機械でした。10進法は、機械で計算を行うためには不向きですが、当時はそれが分からなかったために、そのようになりました。
その後、第2次世界大戦を経て、電子を利用した通信の技術が大きく進歩したため、電磁石ではなく、真空管を使ったコンピュータを作ろうと言う人々が出てきました。真空管を使って、電磁石の動きに似た動作をさせることで、人間の記憶に似たことができる回路も作ることができました。真空管は、真空にしたガラスの中にある金属の板と板との間に、電気で温まる性質のある線が発生する熱によって、金属板が熱せられ、その金属板から飛び出す電子を利用するため、時間がたつと熱を出す金属線が焼き切れます。そのために一定時間を経過すると真空管は故障して使えなくなります。真空管を数多く利用するコンピュータでは、この問題で、いつでも数本の真空管が故障することになってしまいます。ですから、最初、コンピュータはいつも故障していました。