公開: 2019年7月13日
更新: 2024年10月23日
お金と言う新しい制度を考え出した人間の社会では、将来に期待できる収入を考えに入れて、その収入を得るために必要な投資のための資金を、他の人から借り入れると言う方法が考え出されました。その資金を借りるために、資金を借りる人は、貸した人に対して、「もうけ」の一部を、投資に対する利子として支払うことになります。これは、現代の資本主義社会では、普通の考えですが、これを考え出した古代バビロニアの社会では、「当たり前」の考えではありませんでした。しかし、この方法によって、産業革命以後の資本主義社会は、著しく発展しました。
アフリカ大陸でヨーロパの奴隷商人に捕らえられ、アメリカに連れてこられたアフリカ系の人々の中には、奴隷として連れてこられた人々以外にも、自発的にアメリカ大陸に渡った人々もいたようです。この人たちは、奴隷として売られてこられたわけではないので、米国社会の中では奴隷身分として扱われる理由はありませんでした。しかし、アメリカの社会では、アフリカ系の人々は、ヨーロッパ系白人よりも劣った遺伝子をもった人々であると考えられ、社会的にはヨーロッパ系の白人よりも下の階層に組み入れられるようになりました。このことが、現代のアメリカ社会でも、アフリカ系の人が、その人種を理由に差別される現実を作り出しました。最初は、農奴として連れてこられた白人も、アフリカ系の奴隷も身分としては、違いはなかったはずです。しかし、白人であった農奴の人々は、奴隷の身分を脱し、黒人の人々は、人種的に奴隷とされるようになりました。
社会の様々な制度や「しきたり」、問題がはっきりとしたときの解決の仕方、人間同士が情報を交換するための言葉と文法などは、人間が勝手に決めたものです。それらは、自然の法則ではないので、人間の力で変えることができるものです。そのように考えると、これらのものは、私たちの目には見えない、はっきりとは存在することが分からないものです。しかし、それらは、人間が作り出した目に見える機械と似たような性質を持っています。その意味で、「抽象的な機械」と呼ぶこともできます。「抽象的な」と言う言い方は、見た目では明確には分からないが、言葉で説明すれば、分かる状態であることを意味します。
古代の文明社会で人間の祖先達が作り出した「お金」も、これは目で見ることができるものですが、本当は人間社会の制度のひとつですから、「抽象的な機械」です。さらに、現代の社会、資本主義社会、では、実際にはお金を持っているわけではなくても、高額の物や土地などを買うことができます。その方法は、お金をある銀行から「借りて」、そのお金で支払うことができるからです。なぜそのようなことができるのでしょうか。それは、銀行はお金を貸した人が、貸したお金と、そのお金を貸している期間に合わせて、手数料を支払う能力があり、お金を貸すと、結局は「もうけ」が出ると考えるからです。古代のお金、金貨は、本当に金の粒だったので、抽象的な物ではありませんでした。しかし、その金の粒の本当の価値は、「そのお金が持つ」、物と交換できる価値は、はるかに大きいのです。、
「利子」(お金を貸したときの手数料)を取ると言う考えは、古代バビロニアの社会にもあったと言われています。利子が高いと、借りた人がお金を返せなくなります。そのために、自分の持っていた畑を、お金を借りた人に手渡さなければならないという例が数多く発生したそうです。「利子」の計算は難しいので、古代の普通の人たちには、よく理解できなかったようです。そのようにして、普通の人が高貴な人からお金を借りて、返せなくなって畑を取り上げると、畑を耕す人がいなくなるので、食べ物を作ることができなくなり、国中の食物が不足すると言う事態が起こったようです。そのため、古代バビロニアの王様は、時々、「お金を借りている人が、借りたお金や利子を返さなくても良い」と言う特別な命令を出していたそうです。
キリスト教やユダヤ教の経典である旧約聖書にも、「お金を貸しても、利子を取ってはならない」と言う教えが書かれているそうです。「利子」を禁止することで、人間社会の混乱を少なくしようとしたのだと考えられます。それでも、人間社会から「利子」がなくなることはありませんでした。そして、現代社会では、その利子が経済の発展を支える重要な道具になっています。豊かな国は、経済を発展させようと考える貧しい国にお金を貸し、高い利子を取って、自分の国を豊かにしようとしています。私たちが住む日本も、多くの国々にお金を貸し、その利子で国民の生活を豊かにしています。お金を借りた国も、経済が発展すれば、借りたお金や利子を返すことができるので、うまくゆくこともあります。