公開: 2019年7月13日
更新: 2024年10月16日
人口規模が増大した人間の社会を維持するためには、その食料生産のために、膨大な量の労働力が必要になります。そのため、古代の社会では、身分制度を作り上げ、身分を親から子へと『世襲する』制度が確立されました。世襲制の制度を採用していた社会では、身分は、親から子へと世襲されるので、社会階層間を移動することは禁じられていました。これを封建制度と呼びます。現代社会では、封建制度をそのまま維持している国は、ほとんどありませんが、社会の制度としては残されていなくても、その制度の名残りが残っている社会は、多数あります。
18世紀になって、ヨーロッパの社会では、いくつかの国で、庶民による社会革命が起こされ、王様や貴族など、それまでの社会で頂点にいた人々が、庶民たちの手で処刑されたりました。フランスで、オーストリアから来た女王マリア・テレジアの娘で、フランス国王ルイ16世の妻、マリー・アントワネット王妃がギロチンにかけられ、処刑されたことは有名です。この時代になるまで、人類は、「階層のピラミッド」を守り続けてきていました。それができたのは、一般の庶民は、生まれた時から、農民や奴隷(農奴)として働くことを教えられ、そのことを不自然とは考えなかったからです。宗教も、「王になれるのは、神がその人を王にすると決めたからである」と教えていたからです。王権は神から、その権利を授けられたものであると言う考え(王権神授説)です。だからこそ、人々は王様を王様として受け入れていたのです。
私たちの日本でも、80年前の20世紀の半ばまで、「天皇は、神であり、天皇家に生まれた長男だから天皇になる」と教えられ、多くの国民は、昭和天皇が第2次世界大戦後に人間宣言をするまで、それを信じて疑いませんでした。さらに、江戸時代までは、「大名の家に生まれた男子だから大名になる」とされていました。このようなやり方を「世襲制(せしゅうせい)」と言います。今でも日本社会には、世襲によって仕事や社会的役割、身分が親から子へと引き継がれている例は少なくありません。特に古典芸能の世界や、戸籍にはなくなったものの、貴族や華族と一般の人々との区別は強く残っています。貴族は平安時代に天皇家と関係のあった人々の家系であり、華族は明治時代になって大名ではなくなり、領地を失った人々を中心とした家系の人々を言います。さらに、大名に仕えていた数多くの武士も特別な身分の人々でした。
さらに、日本社会では、他の国の社会にも残っていますが、普通の人々の下に、第2次世界大戦が終わるまで、「非人」などと呼ばれた階層の人々がいました。この人々は、仏教の影響で動物を殺すことを嫌った昔の人々が、それを職業的にしなければならなかった人々を、特別な場所に集めて住まわせたのが始まりだと言われています。今でも、日本の地方の町へ行くと、肉屋を商売としている人々が、差別を受けている例があります。特に、牛や豚を殺し、肉にする施設が残っている場所では、そのような例が時々見られます。牛や豚の肉を扱うのは、日本では「穢(けが)れた」仕事とする偏見があったからです。
この例からもわかるように、人間社会にある差別や階級制度には、合理的には説明できないことが多くあります。ただ、これまでの社会では、そのような制度を維持することで、社会全体の活動を無理なく進められていたからのようです。肉体労働に従事する人々が数多くいなければ、農業中心の生産が重要であった人間の祖先達の社会では、生産がうまくゆかなくなるので、奴隷やそれに準じた階級を作ることが必要だったのだと考えられます。しかし、それは、奴隷の家に生まれた人々が全て肉体労働に向いていたということを意味していたわけではありません。
実際に、アメリカの社会では、150年ほど前まで、南部の畑で、多くのアフリカ系アメリカ人が、奴隷として働かされていました。彼らは、アフリカ大陸で捕らえられて、船でオランダへ連れて行かれ、オランダの奴隷市場で奴隷貿易業者に買われ、アメリカ大陸などへ連れて行かれました。アフリカからオランダ、オランダからアメリカ大陸へと、長い船旅を余儀なくされたため、多くの人々が、旅行中に船中で死んだそうです。ですから、アメリカ大陸に生きて到着できた奴隷は、体が強く、健康的な人が多かったようです。それまで、アメリカ南部の農園では、ヨーロッパから送られた多くの白人農奴が働いていたそうです。このヨーロッパ系の農奴と比較すると、アフリカから連れてこられた奴隷たちは過酷な環境でも重労働に耐えられたため、アメリカ南部では、アフリカ系の奴隷を使うようになったと言われています。