人間、道具、社会

公開: 2019年7月13日

更新: 2024年10月16日

あらまし

集団の規模が大きくなったホモサピエンスの社会と、規模の小さいネアンデルタール人の社会との間では、言葉による互いの意思疎通(いしそつう)の重要性が大きく違っていました。少ない数の人間の間では、意思疎通の齟齬(そご)は、発生しても大問題にはなりませんが、大規模な集団になると、一度誤って伝わった情報を、正しい情報に直すことは、大変難しくなります。

8. 機械と人間の関係 〜(2)ネアンデルタール人と人間〜

人間の祖先たちとネアンデルタール人の間の違いを研究している専門家の中には、その原因が集団の大きさだと言っている人々がいます。集団の大きさが大きくなれば、誰かが知ったことは、他の多くの人々も知ることができます。多くの人々が知ると、知ったことをさらに進めて、より集団の人々に役立つ新しい考えを思いつく人も出てくる可能性が増えます。このような情報の伝わり方と、新しい情報を生み出すことに関して、人間の祖先たちは、自分達よりも肉体的には強靭(きょうじん)であったネアンデルタール人との生存競争に勝ったという説明です。

確かにこの頃の遺跡を調べると、ネアンデルタール人達は、同じ家族を中心とした数十人の小集団で暮らしていたのに対して、人間の祖先たちは、大きな集団の場合、既に数百人の人々から成る大集団で生活していたことが分かりました。集団の大きさが、新しい情報を生み出す原動力になっていたのかも知れません。では、なぜ人間の祖先たちには大きな集団を作ることができて、ネアンデルタール人にはそれができなかったのでしょうか。その原因については、確実なことは分かっていません。ただ、今の時点で最も有力な説明は、「人間の祖先達が持っていた<、新しいb>言葉を作り出す能力」に差があったとするものです。

これは、既に古代ギリシャの哲学者プラトンのイデア論の説明で述べたことです。人間もネアンデルタール人も自分達が見て得る情報に違いはありません。その情報を集団の他の人々に伝え、その情報が集団にとって「何を意味するのか」を考えるとき、その問題を考える人の数が多ければ多いほど、色々な案が出てきて、より正しそうな考えを結論として採用できることが多いでしょう。このとき、プラトンが言ったように、個々の事実は、大きな問題ではなくても、集まってきた事実に関する情報が増えると、それらの情報に共通する部分を取り出し、その裏にどんな意味があるのか(つまりイデア)を考えることができます。その表面的な意味だけでなく、裏の意味も見つけ出すことが重要なのです。

このようなやり方を、現代の我々は、「抽象」と呼びます。人間は、言葉をうまく利用することで、この個別の事実以上の情報を、集めた情報から導き出せる能力があるのです。この能力は、文明が進歩すると、科学的な知識の拡大に大きく影響します。この抽象能力は、実際に我々が、我々の目で見た以上のことを、人間に考えさせます。その典型が、「」の存在です。科学的には、「神」が存在するとは言えないのですが、多くの人間は「神」の存在を信じています。それは、一人一人が立派な人間を見て来た過去の経験から、それら、実際に出会った人々の記憶から、「神」という存在を抽象して作り出したからです。そして、そのような「神」を信じることで、人間の祖先達は、ネアンデルタール人よりも大きな集団を、一つの集団に「まとめる」ことができたのです。

大きな集団を、「まとまり」をもって維持するためには、その集団の中で生活する人々が守らなければならない「決まりごと」が必要になります。その決まりごとを集団の中の誰かが提案しても、それを集団の全員が守るようにすることは難しいでしょう。一つの方法は、決まりごとを決める人が、強靭な肉体を持ち、他の集団の仲間の誰よりも力が強く、力で支配することができれば、一時的にはその決まりを全員に守らせることはできるかも知れません。しかし、その人に近い力を持った別の人が、もう一人の力を持った人と話し合って、一番力の強い人を倒してしまえば、その人が決めたことは、集団の中での決まりごととして守られることはありません。これは、ゴリラやチンパンジーの群れで、ときどき起きていることです。

(つづく)