人間、道具、社会

公開: 2019年7月12日

更新: 2024年10月15日

あらまし

バッベージは、複雑な計算を自動的に実行するためには、計算の途中結果を一時的に記憶する方法が必要だと考えました。また、計算の手順を機械に知らせる方法が必要だと考えました。計算結果の記憶には、歯車の位置で結果を記憶させることにしました。。さらに、計算の手順を機械に知らせるために、当時、紡績工場で布の模様を支持するための紙製のテープを使うことにしました。現在の最新鋭のコンピュータでも、似たような「やり方」が使われています。

7. 人間はどのように道具を進歩させてきたか 〜(8)バッベージの計算機械〜

バッベージは、自動計算機械の開発に長い年月を使いましたが、彼が生きている期間中には、動く機械を完成することはできませんでした。歯車式の機械では、最初の歯車は動いても、次の次の次の次の歯車になると、摩擦によって動かなくなります。そのようなたくさんの歯車を動かすには、大きな力と、摩擦の少ない「精巧な歯車」を作る道具や技術が必要でした。バッベージが作ろうとした機械の設計図は、今でも大英博物館に残っているそうです。この設計図を基にして、現代の技術で機械を作り上げた人がいます。その研究者は、アンティキテラの機械を復元した人でもあります。

興味深いのは、バッベージが計算する機械を作ろうとしていたのは、19世紀の初めごろでした。日本では、江戸時代の末です。パスカルが計算機を作ったのは、17世紀半ばなので、江戸時代の初め頃です。この時代、江戸時代の日本には、時計が入ってきて、時計が使われるようになっていました。ですから、機械式の計算機械を作ろうと考えれば、日本人も計算機械を作れる知識はあったはずです。しかし、日本にはそのようなことを考えた人はいませんでした。さらに言えば、世界中を見回しても、計算する機械を作ろうと考えた人々は、フランス、ドイツ、イギリスにしか、いませんでした。日本でも、偉大な数学者は出ていました。和算の関孝和(せきたかかず)などです。また、天体観測の方法も理解していました。伊能忠敬(いのうただたか)は、天文観測の知識を踏まえで、正確な日本地図を作っていました。田中久重は1851年に、「万年自名鐘」と呼ばれる万年時計を完成させています。それでも、計算機械は考えませんでした。

パスカルは、哲学者ですが、数学にも数多くの功績を残した数学者でもありました。ライプニッツも同じです。ヨーロッパ大陸の数学者たちの一部には、「人間が数を計算するように計算する機械をつくることができる」と考える人々がいたようです。日本人であれば、「計算を速く、間違えないようにするには、そろばんの使い方を上達させればよい」と考えるのでしょう。確かに、数十年前まで、計算する機械は、そろばんの達人にかないませんでした。このヨーロッパ的な考え方は、数を扱うことだけでなく、「数学的に物事を考える」ことにも応用が広がります。つまり、「計算ができる」は、「数学的に理論立てて考えられる」ことと同じだからです。

現代のコンピュータは、バッベージが考えた計算する機械と似たような作り方がされています。初期のコンピュータは、時間がかかる計算を素早く行うために使われていました。そのうち、コンピュータは、簡単な計算でも、同じことを何回も繰り返す仕事に使われるようになりました。会社の大勢の社員の給料を計算するなどです。そして、似たようなことは社会のいろいろな場面にあるので、コンピュータを安く作れるようになると、社会のいたるところで、数多くのコンピュータが、広く利用されるようになりました。

LSIと呼ばれる電子回路のチップを作る技術が、大きく進歩したため、現代のコンピュータは、文字を印刷するのと似たようなやり方で、石英ガラスの上に作られるようになりました。これによって、コンピュータの価格は、極端に安くなりました。そのため、以前であれば、歯車やシャフト(軸)、バネなどを使って作られていた複雑な機械は、簡単な機械とそれを動かすモータ、そしてモータの動きを決める小さなコンピュータ上で動くプログラムに変わりました。こうすることによって、部品の数は減り、工場での組み立ても簡単になりました。ですから、安いコンピュータをたくさん使って、簡単に組み立てられる機械に組み込み、複雑な動きをする機械を作れるようになりました。

(つづく)