公開: 2019年7月12日
更新: 2024年10月12日
古代ギリシャの哲学者、アリストテレスが、極端な意見を排除していって、中庸を見つけ出す方法を考えたのと同じように、プラトンは、イデアの概念に接近するため、弁証法を使いました。古代ギリシャの哲学者にとっては、良く知られていた方法のようです。より純粋なイデアの概念を見出すために、2つの対立する概念を作り出し、その2つを見比べて、それらよりもより純粋で理想的なイデアの概念を作り出す方法です。
今日的な言い方をすると、プラトンは「理想主義的」であり、アリストテレスは「現実主義的」と言えるでしょう。ただ、この二人が議論していた問題は、『善く生きる』とはどういうことなのかという問題で、当時の人間にとって「最も重要な問題」の一つでした。この問題をできるだけ、誤りがないように議論を進めるため、二人の哲学者たちは、議論の方法を深く考え、そしてその方法を、この問題に適用したのです。プラトンが考えた議論の方法は、他の哲学者たちも使っていた、「弁証法(べんしょうほう)」と言うやり方でした。これは、必ずしも正しいとは言えない議論でも、最も良さそうな議論を作り上げ、その議論の正反対の議論を作り出して、この相対する二つの議論を見比べて、お互いの良い部分を見つけ、その良い部分をつなぎ合わせた新しい議論を作るという方法です。これを繰り返せば、最後には本当に良い議論が作れるはずだからです。
アリストテレスの中庸と同じように、この弁証法も現代の我々がしばしば応用する方法です。その意味で、議論を組み立てる方法においても、また、正しい議論を作り上げる考え方においても、プラトンとアリストテレスは、その後の時代に生きた人々に大きな影響を与えた古代の哲学者と言えます。この二人が、議論のために使っていた言葉が古代ギリシャ語です。古代ギリシャの人々が作り上げたこの言葉は、言葉の文法から見ると、物事を深く考え、議論するときに、とても便利な「考える道具」だったと言えます。
例えば、プラトンは、ギリシャ語の「どのようにある」を意味する形容詞(日本語の優しさや美しさのように、次に来る言葉(名詞)がどのようにあるのかを説明する言葉)から、形容詞によって説明される、「質」を意味する名詞を作ったと言われています。これは、ギリシャ語の場合、形容詞から名詞を作るのは、簡単にできるようです。人類が物事の「質」を意識したのは、このプラトンの造語によって可能になったのでした。今日、我々は「製品の品質」などと、しばしば言いますが、プラトンが「質」の概念を示す造語をしなければ、このような言葉は生まれませんでした。ちなみに、私たち日本人は、明治になるまで、「質」という概念を知らず、気にもしませんでした。その代わり、江戸時代までの日本人は、「良い仕事をしている」と言う、問題の対象そのものではなく、その対象を作り出した人の「技量」を褒(ほ)めました。
以上のように、人間は言葉と言う、なるべく間違いの入らない考えに、行き着くための道具を生み出し、発展させてきました。私たちが使っている言葉も、日々進歩していると言えます。この言葉と同じように、人間の祖先たちが、他の動物たちに比べて大きな集団を作るために考え出したものに、植物を人間の目的に合う性質に作り変える方法があります。元々は、自然に生えていた植物の種を見つけ、その実から何代かの子孫を作り、その子孫たちの中に人間の都合によく合ったものを見つけ、その種から人間に都合の良い品種を作り出す方法です。これは、植物だけでなく、動物にも使える方法で、犬、猫、牛、馬、豚、鶏など、もともとは自然にはいなかった特別な生物を人間は作り出しました。
例えば、犬は、自然界では、元々、オオカミでした。そのオオカミを餌付(えづ)けし、人間に馴(な)れさせ、何代もの交配(こうはい)を重ねて、オオカミよりも大人(おとな)しく、人間に対して従順(じゅうじゅん)な動物を作りました。そのような犬の仲間には、嗅覚(きゅうかく)を使って獲物を探す能力の高い犬や、足が速く、獲物を追いかけて、人間が獲物を捕らえやすい場所に追い込むための犬、小さな穴に入って、そこに潜んでいるウサギなどの小動物を追いだすための犬、雪の多い場所で、人間が乗ったそりを引くための犬など、様々な目的に合った種類の犬が作り出されました。ボーダーコリー犬のように羊の群れを、人間の命令に従って動かすことが得意な犬もいます。現代社会では、盲導犬(もうどうけん)のように目が不自由な人が外出するとき、その人の周囲に何があるのか、何が近づいているのかを見て、知らせることができる犬もいます。犬は、訓練をすることで、様々な人間の活動を手伝えるようになる動物です。