人間、道具、社会

公開: 2019年7月12日

更新: 2024年10月12日

あらまし

古代ギリシャの哲学者、プラトンは、ソクラテスの弟子で、ソクラテスが言う「人は倫理的に生きることが大切である。」との教えについて、深く考えました。そして、「倫理観とは、何か」を説明しなければ、人々には、それが何かを理解できないことに気付きました。そして、プラトンは、数学者のピタゴラスが使った、様々な数学の概念に関する定義の仕方に注目しました。そして、そのような概念に関する定義の本質に、「イデア」という名前をつけました。

7. 人間はどのように道具を進歩させてきたか 〜(3)正しく考えることを突きつめた哲学者〜

ソクラテスの教えを整理して、人間は「どう考えるべきか」について考え、教えた哲学者が、古代ギリシャのプラトンでした。ブラトンは、人間が自然や社会を考えるとき、一つ一つの個別の物事を見て、それらの中に、似たような性質の共通する特徴を見出して、似たような性質をもった物事の集まりに名前を付けることを提案しました。そのように実際に人間が見ている物、見た物などの共通点を集めて、名付けたものをイデアと呼びました。つまり、ソクラテスやブラトンは、一人一人のギリシャ人ですが、それらに共通する「人」に注目し、「人のイデア」なる概念を考えようと、提案したのです。そして、プラトンは、現実に存在する個々の物ではなく、それらから見い出される「イデア」こそが、本当に存在するものであり、人間が考えるべき対象であるとしました。

例えば、立派な人々が行う「善いこと」の例を集め、それに「」と言う名前を付けます。その「善」はイデアであり、人間が考えるべきものであると言ったのです。今の我々の言葉で言えば、「概念」がイデアです。「善いこと」は、人間が行うこと(行為)の状態の一つであり、行(おこな)ったことの性質を言っています。ですから、もともとは「善いこと」という状態が最初から、それだけで存在しているのではなく、ある人が何かをして、それを我々が見て、「善いこと」であるかどうかを言うことができます。それでもプラトンは、人間が他人の行いを見て、それが「善いこと」であるかどうかを言えること自体、「善」のイデアが存在するからであると説明しました。

プラトンは、イタリアの南にあるシシリー島で、一時、過ごしていました。その時、数学者のビタゴラスとその弟子たちに会い、多くを学んだようです。例えば、当時の数学者たちは、直線と言う概念を知っていました。直線は、一つ一つの線を言っているのではなく、2つの点を結ぶ、最も短い「線」です。いくら、一つ一つの線を見ても、この「直線」と言うものにはたどり着きません。真っすぐな線をたくさん思い浮かべ、それらをまとめて何と呼ぶかを考えるとき、初めて「直線」の概念にたどり着くことができます。ブラトンが言う、「イデア」の原点は、ここにあったようです。この場合、「直線のイデア」と言うことになります。

このプラトンは、ソクラテスと同じように、都市国家アテネの市民でした。つまり、プラトンとソクラテスは、同じ人間集団に属する人として生まれ、育ちました。その意味で、ソクラテスの教えは、多分、プラトンにはごく自然に理解できたでしょう。プラトンは、ソクラテスの教えを、多くの人々に分かり易く説明しようとしたようです。それでも、ソクラテスによる人間の生き方についての教えには、他人には理解が難しい部分もあったようです。ソクラテスは、善いことの例や悪いことの例を示して説明しましたが、別の個別の例の場合、それは善いことかどうかを決めることは、プラトンにも難しい例があったようです。

(つづく)