人間、道具、社会

公開: 2019年7月11日

更新: 2024年10月11日

あらまし

近代イギリスの産業革命で、成熟した経験主義は、科学技術の発展に大きく寄与しました。しかし、科学技術が大きく進歩した今日、その経験主義的な考えでは、解明できない問題が出てきています。科学技術が極限にまで迫りつつある今日、極端な状況では、経験主義的な考え方では、説明できない現象があります。例えば、電子一つ一つの移動を問題にすると、普通の状態では流れているように見える電気の流れも、一つ一つの電子に注目すると、移動する場合もありますが、移動しないこともあるのです。これでは、これまでのような物理学は成り立ちません。

6. 人間社会はこれからどう変わるのか 〜(1) 経験主義の限界〜

21世紀になって、科学がどんどんと精緻になって、別々の人々が、同じことを試みても、全く同じことを起こすことが難しくなりつつある現在、古い意味での「経験主義」では、新しい理論の証明ができなくなりつつあります。それでも、現代の科学者達は、新しい問題を見つけ、その解答を説明する新しい理論を作り上げようと努力しています。例えば、古典的な電気は、電子が大量に移動するときに成り立つ理論です。この電子の流れを使って、高速に計算を行うのがコンピュータです。しかし、最近では、一粒一粒の電子を見ながら計算をさせれば、もっと少ないエネルギでもっと高速に計算できると考える科学者がいます。

そのように電子、一粒一粒を問題にすると、ある回路を作って計算を行わせると、「あるところから入ってくる電子と、別のところから入ってくる電子の両方がある時、この回路は、電子を出口から出す」と言う決まりの回路でも、その通りに動かないという現象が出ます。それは、入ってくるべき電子が入ってこなかったり、出てゆくべき電子が出てゆかなかったりすることがあるからです。一粒一粒の電子の動きは、それが大量に移動するときとは違って、動きが確実ではなくなります。ですから、同じような回路を数多く作って、同時に計算を行わせ、多くの回路が出した答えが何であるかを見て、それを答えにしようと考えられています。

これは、家を出て、学校へ行くまで、一人一人の生徒が、どの道のどの辺を歩き、駅のどの改札機を通り、電車のどの扉から電車のどの辺りに乗り、どの駅で降りて、どのように駅から学校まで歩き、どの教室に入って、席に着くのかを細かく見ているのと同じです。別々の家を出て登校する生徒も、授業が始まる時間までには、ほぼ全員が着席しているので、授業開始時間に着席している学生の数が、ほとんど全員であれば、いつも通りの授業を行うことができます。集団で病気になったり、ある鉄道の事故で多くの生徒が欠席したり、遅刻したりしたときは、問題が起こっていると考えることができます。つまり、一人一人を見る方が精確だと思うことは、必ずしも正しいとは言えません。

いずれにしても、我々人間は、以上に述べたような問題について、同じような考え方をもつ人々が集まって社会を作るようになりました。ですから、違った考えをもった人は、犯罪者や変人とされて、隔離されたり、遠ざけられたりしてきました。中世のヨーロッパでは、普通とは違った考えを持った人は、「狼男」や「魔女」と呼ばれて、人々から遠ざけられ、初期のアメリカの社会では、「魔女狩り」で殺されたりしたこともあったと記録されています。

また、中世のヨーロッパでは、現代物理学では普通に信じられている「ビッグバン」による宇宙の誕生と、その後の物質の誕生を説明しようとしたイタリアの宿屋の主人で、パン職人だった人は、「全知全能の神がこの宇宙を造った」とする聖書の教えに反することを言ったとして、「宗教裁判」にかけられたとの記録が残っています。しかし、この宗教裁判を担当した神父たちにはこのパン職人が何を言っていたのか理解できなかったため、「有罪とは言えない」と言う判決になったことが、記録に残されているそうです。興味深いことは、このパン職人がどのようにしてこの理論を思いついたかです。

現代の研究者たちは、この宿屋には、ヨーロッパ中を旅していた中世の大学で哲学などを教えていた人々が泊まることもあり、そのような研究者から聴いた話が基になったのではないかと推測しているそうです。そのパン職人は、宗教裁判の尋問に答えて、「これは私自身が考えた理論である」と述べたそうです。そして、「牛乳を大きな窯に入れて、温めながら棒で攪拌(かくはん)していると、少しずつ固まり始め、最後にチーズができる。この大地もそのようにしてできた。」と述べたそうです。現代物理の理論と共通する点があります。

(つづく)