公開: 2019年7月11日
更新: 2024年10月11日
中世が終わるまで、人類は、「絶対に正しいとされる真実」が存在し、それを「人類は突き止められる」と信じて、数学や論理学、自然科学や社会科学の研究を進めてきました。しかし、ダーウィンが進化論を発表すると、「絶対の真理」の存在についての理解が揺らぎ始め、人間には、「本当の真実が分かるかどうかは、確かめることはできない」かも知れないとする考え方が生まれました。
人間社会の秩序を守るための制度には、「法の秩序」と呼ばれる社会の営みに関する決まりごとだけでなく、一人一人の人間の生き方に関する、倫理的な教えのようなものである「生き方の秩序」もあります。例えば、「困っている人を見たら助けましょう」と言う教えや、「弱い人々に対しては優しくしましょう」と言う教えなどです。また、「容姿(見た目)や裕福さで人々を差別しないようにしましょう」や「一人一人の人間は、生まれた時から平等で、その命の尊さには違いはありません」などの教えも、社会の法とは違った、倫理的な秩序の一つです。
人間の社会をうまく成り立たせてゆくためには、そのような法とは違った考え方で、一人一人の生き方を考えさせることも重要です。古代バビロニアのハムラビ王は、人々を高貴な人々、普通の人々、そして奴隷に分けて、それぞれの階層の人々が従うべき、社会の決まりごとを定めました。しかし、それだけでは社会はうまく営むことができません。人々は、どのような階層に生まれても、どのように生きてゆくべきかを考え、行動しなければなりません。そのような、「どのように生きるべきか」を教えるのが、「倫理の教え」や「博愛の教え」であったり、今日の我々が、普通、「宗教」と呼ぶものです。
17世紀以降、20世紀までの世界は、キリスト教の教えを基本にした考えを重視した社会だったと言えます。それは、6世紀ごろから12世紀ごろまでに、中世のヨーロッパで少しずつ形作られ、13世紀から16世紀ごろまでに大きく発展した、「絶対的な真実がある」と考える教えを基本としたものでした。例えば、「科学的な真実は一つである」とする考え方です。また、「全ての人間は平等である」と言う考えも同じです。科学が急速に進歩し、人口も爆発的に増えて複雑になった人間社会を見ると、「科学的な真実は一つである」も「全ての人間は平等である」も、現実には正しいとは言えなくなっています。
社会が混乱しないように、社会をうまく営むことができるようにするため、人間の祖先達は、誰でもが納得できる筋道を立てて、正しいことを、疑えない事実から出発して、間違いが入り込まないやり方で、考えを進め、間違いがない結論を得るやり方も考えてきました。古代ギリシャの哲学者達、中世イスラムの科学者達、中世から近代を経て現代のヨーロッパの哲学者や科学者達は、どのようにして考えれば、誤りを含まない結論を導けるかについて考えてきました。
近代ヨーロッパ、特にイギリスで生まれた産業革命時代に、その発展を支えた考え方について様々な議論を残したジョン・ロックは、「誤りのない事実とは何か」について考え、複数の人が、全く別々に、同じことを試みて、同じ現象を見ることができた時、それは「正しい(事実である)」と考えられるとしました。これが、21世紀までの社会で、科学が新しい理論の正しさを証明するために行う、「実験」による理論の証明に対する考え方で、現在、「経験主義」とされる考え方です。