人間、道具、社会

公開: 2019年7月11日

更新: 2024年10月11日

あらまし

約2,000年前、地中海沿岸に巨大な帝国、古代ローマ帝国が生まれました。ローマでは、最初は、多神教が一般的でしたが、1世紀頃、ユダヤ教から生まれたキリスト教が最も一般的な宗教となりました。そこで、ローマ帝国は、キリスト教を国家の宗教とすることを定めました。その後、ローマ帝国は、西ローマ帝国と、東ローマ帝国に分離し、西ローマ帝国ではカトリック教会が中心となり、東ローマ帝国ではギリシャ正教が中心となりました。西ローマ帝国では、国家は、皇帝や王が支配し、宗教的には、ローマ教会が支配するようになりました。そして、教会が皇帝や王の支配権を認める、王権神授説が認められるようになりました。

5. 社会と人間の関係 〜(4) 全知全能の神が世界を治めている〜

紀元5世紀の終わりごろ、繁栄を誇っていた古代ローマ帝国は、西ローマ帝国東ローマ帝国に分かれます。西ローマ帝国は、現代の西ヨーロッパと呼ばれる地域を治め、東ローマ帝国は、現代、東ヨーロッパと呼ばれる地域から、中近東と呼ばれる地域までを治めるようになりました。西ローマ帝国の首都は、ローマに残され、東ローマ帝国の首都は、コンスタンチノープル(現在のトルコのイスタンブール)に置かれました。

西ローマ帝国も、東ローマ帝国も、複数の神々を信仰する多神教から、キリストを唯一の神とする一神教を国家の宗教とし、キリスト教の教えに従う国家に少しずつ変わってゆきました。そして、西ローマ帝国では、後のローマ(カトリック)教会の教えが採用され、東ローマ帝国では、同じキリスト教のギリシャ正教会の教えが採用されました。また、西ローマ帝国では、教会の頂点に立つ教皇(きょうこう)と、帝国の政治権力をもつ皇帝や王が分かれ、政教分離(せいきょうぶんり)の原則が確立しました。

西ローマ帝国では、経済の停滞や、アジアから流入してきた異民族に押され、ゲルマン系の人々が南下し始めたことなどもあって、5世紀の後半に帝国は、滅亡しました。しかし、ローマ教会が残ったため、西ローマ帝国の滅亡後に西ヨーロッパに台頭したゲルマン系の王たちは、キリスト教に改宗(かいしゅう)し、ローマ教会から王としての権威を認められるべく、戴冠(たいかん)を受けるようになりました。このことから、政治的な権力は、宗教的な権力の下に位置づけられるようになりました。

それからの1,000年以上の長い中世の時代、ローマ教会が認めなければ、それぞれの国の王は、武力で地域を制圧(せいあつ)しても、「王」を名乗り、社会全体を支配することはできませんでした。このようなことから、ヨーロッパ社会では、「王の位を自分が受け継(つ)ぐことができるのは、神が自分を王と認めているからだ」とする、「王権神授説(おうけんしんじゅせつ)」が信じられるようになりました。従って、「王を殺して、代わりに王位に就(つ)くことは、神の意志に反した行為になる」と信じられ、宗教的にも罪になると考えられるようになりました。

ある国の王になることは、王家に生まれ、王の血を継(つ)ぎ、家来や民衆の理解を得て、王に選ばれ、教会の承認によって、王位に就(つ)くことになります。これらは、全てが「全能の神の意志に従ったもの」であると考えられたわけです。教会も、民衆の意見を完全に無視して、王を決めるわけにはゆきません。民衆の意見を完全に無視すれば、長い目でみれば、教会の権威も揺(ゆ)らぐからです。

ある国の王家が滅びるのは、王家を継(つ)ぐ縁者(えんじゃ)がいなくなった時、他国との戦争に負けて、王と一族の人々が殺されてしまった時です。どちらも、「全知全能の神の意志である」と言うことができます。さらに、中世末期になると、悪政が続くとき、王の家の誰かや、家臣の中の誰かが、「この王は、王としては認められない」として、「暗殺(あんさつ)」を計画する例も出てきました。この場合、暗殺者は民衆の支持を受ける例が多いので、教会もその王位の継承(けいしょう)を認めることになります。

中世ヨーロッパでは、それまでの人間社会の基本的な秩序であった、「」や「戦争」だけでなく、その上位に、「全能の神の意志」、別の言葉で言えば「宗教」がより高い秩序として存在したことになります。ところが、この「全知全能の神の意志」を基本にしても、2つの国の間の利害の対立は、簡単には解決できません。だからこそ、人類は、20世紀に入って、第一次世界大戦第二次世界大戦と、二つの大きな、膨大な犠牲を払った戦争に突き進みました。

この二つの世界大戦の経験から人類が学ぶべきことは、国と国との間の戦争で、お互いの国の利害の対立を解決しようとすることは、「知性のある人間が行うべきことではない」と言うことでした。しかし、あの悲惨な第二次世界大戦を経験したにも関わらず、人類は今でも、世界のどこかで戦争をしているか、戦争を始めようとしています。日本の周辺だけでも、朝鮮半島の戦争、中国と台湾の武力衝突、ベトナムでの南北ベトナム間の戦争、カンボジアでの内戦、そして今でも続いているインドとパキスタンの間の戦争などがありました。

日本と中国との間でも、東シナ海にあるいくつかの島の領有権を巡って、意見の対立があり、両国ともその領有権を主張し続けているので、将来、状況が変化すれば、武力衝突が起きるかも知れません。また、日本と韓国との間でも、日本海の隠岐の島に近い「竹島」(日本名)の領有権を巡って、両国の主張の対立があり、実際には竹島に韓国軍が基地を建設し、実質的に韓国の領土として支配を続けています。この問題も、第二次世界大戦以前であれば、武力衝突になるような事態だったと言えます。似たようなことは、日本とロシアとの間でも、日本が主張する「北方四島」の帰属についても言えるでしょう。

(つづく)