公開: 2019年7月11日
更新: 2024年10月11日
人間の社会で農耕が始まると、自分たちが栽培し、収穫した「自分たちの穀物」を、他の人々が栽培し、収穫した穀物と区別するようになりました。古代の社会では、この考え方を一般化して、「自分たちが栽培・収穫した穀物」だけでなく、「自分たちが得た財産」と「他人が得た財産」を区別して、所有権の概念を確立しました。古代バビロニアのハムラビ法典にも、個人の財産の貸し借りに関わる問題が、述べられています。
人間の祖先が、植物の種(たね)をまいて、実がなった時にそれを収穫(しゅうかく)し、さらに収穫した種の一部を翌年(よくとし)の次の時期まいて、毎年、食物を収穫(しゅうかく)することができることを知り、種をまくための土地を耕(たがや)し、毎年の収穫量を減らさないようにすることを学びました。そして、人間の祖先達は、その耕作(こうさく)地(畑)の近くに家を建て、その家に住んで暮らすようになりました。定住(ていじゅう)の始まりです。狩猟(しゅりょう)を主たる食料獲得(しょくりょうかくとく)の方法としてきたそれまでの人間の祖先は、獲物と一緒に広い場所を移動していました。そのため、定住はしていませんでした。
人間の祖先達は、定住して生活するようになると、それまでよりも時間をかけて、しっかりとした家を作るようになりました。そのようにして建(た)てた家に住み、同じように時間をかけて耕(たがや)した畑や田に種(たね)や苗(なえ)を植えて、作物を作るようになると、家や田畑(たはた)の土地は、人間にとって大切なものになります。さらに、田畑から収穫される穀物(麦や米など)は、動物の肉とは違って、長期間の保存(ほぞん)ができるため、大きな倉庫(そうこ)を作って、そこに貯蔵(ちょぞう)しておくことができます。
住(す)む家、穀物(こくもつ)を作る田畑、穀物倉庫(こくもつそうこ)の中の収穫(しゅうかく)した穀物など、人間の祖先が時間をかけて作った成果(せいか)は、とても重要なものなので、簡単には他の人々の手に渡(わた)すことはできません。そのようなことから、人間の祖先達がもった重要な考えの中に、「自分の持ち物」に対する「所有(しょゆう)」の考えがありました。自分達が作った家は、「自分達のもの」であるという考えです。自分達が耕(たがや)して作った田や畑も、「自分達の田や畑」です。さらに、倉庫の中に置かれている、自分達が自分達の田畑に栽培(さいばい)し、収穫(しゅうかく)した穀物も、「自分達の仕事の成果」です。
人間には、「自分(達)のもの」と「他の人(人々)のもの」を区別して、「自分(達)のもの」を他人に取られないようにすると言う考えが、自然に生まれたものと考えられます。しかし、「自分のもの」と「他人のもの」を明確(めいかく)に区別できる場合は別として、我々が生きている場面では、絶対に「自分のもの」と主張することが簡単ではないことがあります。例えば、田や畑の境界線上(きょうかいせんじょう)では、ここまでが「自分達の畑」、ここからは「あなたの畑」と、明確に言うことは簡単ではありません。
そうすると、自分の畑になった麦の穂は、「自分のものである」と言えても、自分の畑の近くに生えている麦の穂になった、麦は、「自分のものである」のか、「隣人の物であるか」を区別することは簡単ではありません。それを区別するためには、自分の畑と、隣人の畑との「さかい」をはっきりとさせておかなければなりません。同じことは、村と村の境目や、国と国の境目でも起こります。「境界をはっきりと決めておく」ことは、とても重要な問題になるのです。私たちの祖先は、土地の境目に、「目印を置く」ことを考え出しました。