公開: 2019年7月11日
更新: 2024年10月10日
人間社会の経済が発展すると、一つの社会の中に、豊かな人々とそうでない人々が生まれます。豊かな人々は、その豊かさを親から引き継ぐ場合が多いので、豊かな人々は、豊かな家に生まれ、そうでない人々は、そうでない家庭に生まれると言う関係が成り立ちます。このことが、人間社会で(社会)階層を生み出す原因になります。お金がお金を生み出す資本主義の社会では、この社会階層が固定化する問題があります。
100グラムの金に相当(そうとう)する価値(かち)のお金(例えば日本円50万円)を貸(か)す場合、1年間貸した場合には、1グラムの金に相当する利子(りし)を支払(しはら)う約束(やくそく)をしたとします。1年後に借(か)りた人が貸した人に返すお金の額(がく)は、金で101グラムに当(あ)たる、50万と5千円になります。その間に、お金を借りた人が、借りた50万円をうまく使って、60万円のもうけを出すことができれば、借りた人は9万5千円の「もうけ」を稼ぎ出したことになります。これは、貸した人の側では、遊(あそ)んでしまうお金を、今、そのお金が必要な人に貸して、お金儲(もう)けをさせ、全体としては経済(けいざい)を活発(かっぱつ)にする方法と言えます。現代の社会では、貸す余裕(よゆう)のあるお金を持っている人々を資本家(しほんか)と呼びます。
この資本家と呼ばれる人々も、そのような種類(しゅるい)の人間が本当にいるのではなく、言葉の上で、我々がある種の人々をそう呼んでいるにすぎません。実際には、誰が資本家で、誰がそうでない人なのかは、簡単には見分(みわ)けがつきません。現代社会では、他人にお金を貸してはいるものの、自分も他人からお金を借りている人がほとんどです。個人でお店をやっている人は、しばしば、売った物の代金(だいきん)を、その月の終わりにまとめて集金(しゅうきん)するのは普通のことです。これは、そのお店の主人が、物を買った人にお金を貸しているのと同じことです。そして、その人も、売った物を誰かから買って仕入れているので、その支払(しはら)いを月の終わりにまとめて行っていれば、借金をしていることになります。
しかし、他人に貸すことができる大量のお金を持っている人は、そうでない人に比べて、豊(ゆた)かな人と言えます。一定の期間に、いくらお金を貸し、いくらお金をもらったかを計算(けいさん)して、もらった金額(きんがく)から貸した金額を引いて、もらった金額が非常に多い人達は、裕福(ゆうふく)な人々です。そのような人々は、最初に大量のお金を持っている場合が普通です。ですから、自分の親が持っていた大量のお金を引き継(つ)いで、そのお金を基(もと)にして、お金を貸している人達が、そのような裕福な人々と呼ばれることが普通です。
つまり、親が裕福な人は、自分も裕福であり、さらにその子供も裕福になるのが普通なのです。そのような理由から、特定(とくてい)の家庭に生まれた人々が裕福である例が多く、そうではない家庭からは、めったに裕福になる人が出てこないため、資本主義(しほんしゅぎ)が進んだ社会では、家族の裕福さの度合(どあ)いに応じて、生活に違いが出てきます。この生活の違いが明確になった場合、その違いに基づいた社会の中の人々の分け方を、「社会階層(しゃかいかいそう)」と呼びます。
人間の祖先達が、大きな社会を作れるようになると、その社会の中には、とても豊かな人々の階層、豊かな人々の階層、普通の人々の階層、貧(まず)しい人々の階層ができて来ます。そして、各階層に属(ぞく)する人々の数は、下に下がるほど多くなるのが普通です。古代バビロニアのハムラビ王が出した決まりであるハムラビ法にも、豊かな人々、普通の人々、そして奴隷(どれい)という区別(くべつ)があり、さらにそれぞれの階層(かいそう)に男と女の区別がありました。ハムラビ法では、女性は同じ階層の男性の所有物(しょゆうぶつ)のように考えられていたようです。ですから、ある男性が、同じ階層の別の男性と結婚(けっこん)している女性を傷つけてしまった場合、傷つけた男性は、その女性の結婚相手である男性に対して、一定量の金(きん)に相当する額の賠償(ばいしょう)を支払(しはら)わなければならないとされていました。
ハムラビ王がそのような決まりを作ったのは、女性が生物的に男性に劣(おと)っているとの理由からではなく、そのように決めておくと、古代バビロニアの人々の間では、その社会における人々の営(いとな)みがうまくゆくと考えたからだったと言えます。同じように、人々を「豊かな人々」、「普通の人々」、そして「奴隷(どれい)」に分けたのも、そのように分けることが、当時の人々には自然に感じられたからだと言えます。「奴隷」と言う種類の人間が、本当にいたのではなく、当時の人々が、一部の人々にそういう名前を付け、区別をすることで社会全体がうまく動いたからだと言えます。現代に生きる我々には、理解することができない人間の区別です。
そのような「階層(かいそう)」と呼ばれる区別は、他の動物たちのように、集団の中の一人一人には特別な区別はなく、ただ、「力が強い」とか、「新しいことを考えることが上手である」とかという、その個人の特徴(とくちょう)を意識(いしき)するだけで、基本的には集団内での地位(ちい)が明確に決まっていなければ、集団の大きさが大きくなっても、それはただの集まりに過ぎません。人間の祖先達は、一人では時間内にはとても成(な)し遂(と)げることができないことを達成(たっせい)するため、複数の人間が互(たが)いに協力(きょうりょく)して、手分(てわ)けをして仕事をすることで、大きな仕事を成し遂げることができるようになりました。社会階層は、社会を構成する人々を階層によって分類することで、社会における役割分担を円滑(えんかつ)に行うための手段だったと言えます。