原子爆弾とは

公開: 2019年8月12日

更新: 2023年11月29日

あらまし
ここでは、核兵器の開発が何から始まったかについて、科学史をひも解いてみます。中国で作られた火薬、その威力を著しく増強したノーベルのTNT火薬の発明、そしてそれを利用した兵器の開発と、人類はより大きなエネルギをもつ爆発物を開発してきました。それを飛躍的に増大したのが、核分裂のエネルキを利用した核爆弾です。その核分裂の発見について歴史を振り返ってみましょう。
何から始まったのか

人類が大きなエネルギの爆発を自由に起こせるようになったのは、中国で火薬が作られるようになってからです。それは、中国で、唐の時代でした。この黒色火薬を兵器として有効利用し、世界帝国を作ったのが蒙古のチンギス・ハンとその子孫です。蒙古軍が13世紀の中頃に、ペルシャを攻めた時、投石器(とうせきき)を使って、火薬を詰めた玉を飛ばし、武器として利用していたことが、記録されています。さらに、13世紀末には蒙古軍が火槍を参考にして、青銅製の鉄砲を開発していたとの記録もあります。この火薬を使った兵器と、騎馬民族としての乗馬の技術や戦術によって、モンゴル人と漢人からなる元軍は、朝鮮半島から東ヨーロッパまでの広大な地域と数多くの民族を支配することとなりました。

13世紀に元軍が使った黒色火薬と銃は、14世紀にオスマン・トルコに伝わり、オスマン・トルコ軍は、銃を活用して戦ったとされています。15世紀のオスマン・トルコの発展・拡大の基礎には、この銃の利用が原動力であったと言われています。オスマン・トルコが使った銃は、16世紀には西ヨーロッパに伝わり、兵器として使われ始めました。そのような銃の一つが16世紀末に日本の種子島(たねがしま)に伝わり、「種子島」と名づけられ、国内に広まりました。織田信長(おだのぶなが)は、この「種子島」に着目して、それを活用した新しい戦い方を開発し、日本国内の統一を進めたことは有名です。この後17世紀に、火縄銃(ひなわじゅう)に代わって、火打(ひう)ち式の銃が開発されました。さらに18世紀になると、ライフル銃が開発され、アメリカの南北戦争(なんぼくせんそう)で広く使われ、地上戦では記録的な数の死者を出しました。

銃の進化が続いたものの、火薬の原料は、1,000年以上の間、木炭(もくたん)、硫黄(いおう)、硝石(しょうせき)でした。しかし、硝石の原産地は限定されていて、ヨーロッパ各国はその供給源(きょうきゅうげん)を常に求めていました。イギリスは、早い時点で国内での硝石生産をあきらめ、インドでの生産に切り替えました。その後、南米で硝石が産出されることが分かり、南米のチリなどは、世界的な硝石の供給地となりました。しかし、19世紀の中頃、スウェーデンでアルフレッド・ノーベルが、ニトログリセリンを珪藻土(けいそうど)にしみ込ませたダイナマイトを開発しました。その後、ヨーロッパでは、つぎつぎと新しい火薬の製造法が研究され、黒色火薬の時代から、19世紀の末には、空気中の窒素(ちっそ)からアンモニアをつくる技術が開発され、アンモニアを使った爆発力の高い無煙火薬(むえんかやく)の時代へと移りました。

20世紀に入って、イタリア生まれの物理学者のフェルミらは、自然界にある様々な物質をつくる元素に中性子(ちゅうせいし)を当てると人工的に新しい物質を作り出せることを発見し、数多くの新しい人工的な物質を作り出すことに成功しました。そのようにして作り出された元素を放射性同位元素(ほうしゃせいどういげんそ)と呼びます。この一連の実験からフェルミは、物質に向けて発射された中性子の動きを止めるためには、中性子に近い質量(重さ)の軽い物質の原子と衝突させればよいことを発見しました。例えば、水素などです。つまり、水を作っている水素と酸素の水素に、中性子を衝突させることで、中性子の動きは吸収されることが分かりました。この性質は、現在の原子力発電所の原子炉(げんしろ)でも応用されています。

1938年、ドイツの物理学者オットー・ハーンは、ウランに中性子を当てると、バリウムが作られることを発見しました。そして、オーストリア生まれの女性物理学者リーゼ・マイトナーは、それが核分裂(かくぶんれつ)の結果であることを発見しました。つまり、ウランに中性子が当たると核分裂(かくぶんれつ)が起こり、バリウムと中性子になることが分かりました。この後、1939年に、フランスのイレーヌとジョリオは、そのようなウランの核分裂の結果、2個から3個の中性子が飛び出すことを実験で確かめました。このことは、核分裂が連鎖的(れんさてき)に起きる可能性があることを証明したのでした。核分裂反応(かくぶんれつはんのう)は、中性子や陽子(ようし)を持ちすぎた不安定な重い元素(げんそ)に中性子を当てると、少し軽い二つの元素に分かれる現象を言います。ウランのように不安定で重い元素は、自然に中性子を放出し、少し軽くなる性質を持ちますが、特に外部から中性子が当たると、大きく変化して、より軽い元素に分かれます。この時、元素の中核(ちゅうかく)でしっかりと結びついていた陽子や中性子が結合を解かれて、分裂するため、大きな力(エネルギ)が熱として放出されます。

このリーゼ・マイトナーが発見した核分裂で発生する大きなエネルギを利用すれば、膨大(ぼうだい)なエネルギが得られることを知った物理学者たちは、そのエネルギを爆発力として利用できると考えました。それが実現できれば、従来の無煙火薬では不可能なほどの、莫大な爆発力を生み出せるからでした。特に、核分裂で発生する中性子を利用して、次の核分裂を起こし、その核分裂で発生する中性子でさらに次の核分裂を起こすという、核分裂の連鎖(れんさ)によって発生されるエネルギは、それまでの人類の力では想像できないほどのエネルギを発生させることが予想できるからです。リーゼ・マイトナーは、そのきっかけを見つけ、そして人類に知らしめました。しかし、その過程で発生する中性子線(ちゅうせいしせん)などの放射線(ほうしゃせん)の量も膨大です。中性子線は、それを遮(さえぎ)ることが難しいため、核分裂で放出された大量の中性子線によって、人体には大きな悪影響(あくえいきょう)がでます。

ラジウムなどの、自然界に存在する物質でも、自然に弱い核分裂を起こし、放射線を放出することは、キューリー夫人らの研究の成果として知られていました。また、その放射能が人体に悪影響を与えることも、放射性の物質で作られた蛍光剤(けいこうざい)を時計の文字盤(もじばん)などに塗る作業していた女性の作業員の多くに、皮膚がんや舌(ぜつ)がんなどの後遺(こうい)症を残したことから、広く知られていました。しかし、人工的に起こす核分裂で発生する大量の放射線(放射能)が、人体にどのような影響を引き起こすかは、実際にはまだ知られていませんでした。物理学者達は、この中性子線問題を軽視し、核分裂によって発生させることができる巨大なエネルギだけに注目していたようです。そのため、戦争の相手国のドイツが先に核分裂を利用した兵器を実現する前に、自国(イギリスやアメリカ合衆国)がそれを保有すべきだと考えたのでしょう。

軍人が戦略爆撃を思い付き、それを実際に行った時も、その結果として何が起こるかを考えることはありませんでした。東京大空襲のように膨大な数の市民の犠牲者(ぎせいしゃ)が出た攻撃でも、その倫理性(りんりせい)を問題にして議論した軍人や政治家は、多くありませんでした。似たようなことが、科学者でも起こりました。新しい理論を応用した技術を開発するとき、科学者たちは、その新技術によって得られる期待される効果にだけ着目しがちです。その新技術によって発生する新しい問題を深く考えることなしに、新技術の開発に突き進む傾向があります。科学者によっては、その技術を兵器に応用し、実際の戦闘に利用するかどうかは、政治家が考える問題であり、軍人が考える問題であるとする人々もいます。しかし、その新技術によって得られる望ましい効果も、逆に起こりうる望ましくない副作用も、それを想像できるのは知識のある科学者達だけなのです。その科学者達が考えることを諦(あきら)めれば、誰が考えられるでしょう。

(つづく)