公開: 2024年3月9日
更新: 2024年7月27日
「ヨーロッパ社会」とは、ヨーロッパ大陸の国々の社会、イギリスとアイルランドの社会、グリーンランド、カナダ、そしてアメリカ合衆国を含む国々の社会です。これらの社会では、カトリックやプロテスタントなどのキリスト教の社会倫理基盤を採用しており、民主主義国家を標榜している国家による社会です。アメリカ合衆国の社会を除けば、これらの国々の社会では、大学は、中世ヨーロッパに確立した高等教育制度の枠組みが基礎になっています。つまり、各大学に自治権が認められており、大学の運営は、国家や教会から独立しています。それは、警察権を含めて、大学は、独立した自治権を認められた社会なのです。大学は、そこで学んだ学生に対して「学位」を与えることができる唯一の機関です。
このようにしてヨーロッパ中に設立された大学では、共通語であるラテン語で教育が行われていました。それは、教科書に使われている全ての文献が、ラテン語で書かれていたからです。これは、中世の初めごろ、ヨーロッパ社会では修道院にのみ知識が集約されており、書物の生産は、修道院に限定されけていたからでした。12世紀にイタリアのボローニャに最初の大学が設立され、領主や教会からの支援も管理も受けない、純粋に知識を学び、探求するための組織が作られ、世界中から学問を学ぼうとする人々が集まりました。そこで教えられたのは、従来は修道院で教えられていたラテン語の文法や、修辞学、論理学や数学などの基礎的な学問と、医学、法学、神学、や哲学などの専門知識でした。
ヨーロッパ社会が中世から近代に移ろうとしていたころ、ドイツで印刷機が発明され、その技術を利用した出版業が発達し、それまでは手作業で行われていた書籍の出版は、印刷機を利用し、大量に行うことができるようになりました。これによって、人類の知は、爆発的に増大し、それぞれの地域の大学を中心に、様々な分野での知の探究が行われるようになりました。このことは、大学などの高等教育機関で、教える学問分野や、その教授法などの改善が進み、各地域別に、大学教育制度が変化するようになりました。この傾向は、近代の国家が中央集権的になると、さらに極端になりました。また、各国の言葉で学問の内容を説明できるようになり、それぞれの国々の言葉で、学問探求の成果を書き記し、印刷・出版することもできるようになりました。
このような時代背景の中で、ヨーロッパの国々では、国家間の競争が激しくなり、各国において、次の世代の人材を上手に育成することが、国家の課題になってきました。その目的を達成するため、義務教育制度が、それぞれの国に導入されました。この各国の教育制度を定めるためには、基礎教育に始まり、高等教育までの、教育制度を定め、それに従って、国民に必要な知識の修得を義務付けることになりました。このとき、それぞれの社会には、独特な歴史的・文化的な背景があったため、教育制度は、それぞれの国々で異なる制度として定められることになりました。
ここで言う「ヨーロッパ社会」とは、いわゆる「西洋社会」や「西洋世界」のことを意味します。すなわち、フランスやドイツなどを中心とした西ヨーロッパ大陸の国々の社会と、イギリスとアイルランドの社会、グリーンランド、カナダ、そしてアメリカ合衆国を含む国々の社会です。これらの社会では、カトリックやプロテスタントなどのキリスト教を社会倫理の規範とした、自由主義経済を採用しており、民主主義国家を標榜している国家の社会です。
アメリカ合衆国の社会を除けば、これらの国々の社会では、大学は、中世ヨーロッパに確立した高等教育制度が基礎になっています。それは、各大学に自治権が認められており、大学の運営は、国家や教会から独立しています。つまり、警察権を含めて、大学は自治権のある組織です。大学は、そこで学んだ学生に対して「学位」を与えることができる唯一の機関です。また、大学で学生に教育を提供できる人々(つまり教授など)は、その大学や他の既存の大学で学位を授かっている人々に限られます。米国の大学も、基本的には、このヨーロッパ社会の大学と似た制度を採っています。
このようにしてヨーロッパ中に設立された大学では、共通語であるラテン語で教育が行われていました。それは、教科書に使われている文書が、ラテン語で書かれていたからです。これは、中世の初めごろ、ヨーロッパ社会では、図書館があった修道院にのみ知識が集約されており、書物の生産も、修道院に限定されけていたからでした。12世紀にイタリアのボローニャに最初の大学が設立され、領主や教会からの支援も管理も受けない、純粋に知識を学び、探求するための組織が作られ、世界中から学問を学ぼうとする人々が集まりました。そこで教えられたのは、それ以前は修道院で教えられていたラテン語の文法や、説明のし方を学ぶ修辞学、論理学や数学などの基礎的な学問と、医学、法学、神学、や哲学などの専門知識でした。
ヨーロッパ社会が中世から近代に移ろうとしていたころ、ドイツで印刷機が発明され、その技術を利用したが発達し、それまでは手作業で行われていた書籍の出版は、印刷機を利用し、大量に行うことができるようになりました。これによって、人類の知は、爆発的に増大し、それぞれの地域の大学を中心に、様々な分野での知の探究が行われるようになりました。このことは、大学などの高等教育機関で、教える学問分野や、その教授法などの改善を加速させ、それぞれの地域別に、大学教育が変化するようになりました。この傾向は、近代の国家が中央集権的になると、さらに極端になりました。また、ラテン語ではなく、各国の母国語で学問の内容を説明できるようになり、それぞれの国々の言葉で、学問探求の成果を書き残し、印刷・出版することもできるようになりました。
このような時代背景の中で、ヨーロッパの国々では、国家間の競争が激しくなり、各国において、次の世代の人材を上手に育成することが、国家の課題になってきました。その目的を達成するため、義務教育制度が、それぞれの国に導入されけました。この各国の教育制度を定めるためには、基礎教育に始まり、高等教育までの、教育制度を定め、それに従って、国民に必要な知識の修得を義務付けることになりました。このとき、それぞれの社会には、独特な歴史的・文化的な背景があったため、教育制度は、それぞれの国々で異なる制度として定められることになりました。
例えば、ドイツ社会では、学問を学び、教える人々のための大学の制度と、高度な職人を育成するための徒弟制度は、全く異なるものであるのですが、国家が定める教育制度では、初等教育が重要であるため、徒弟制度と大学制度の両者に共通する知識の修得を目的とした基礎的な教育のための制度を定めることになります。さらに、大学で研究者になる人々や、政府で要職に就く人々のためには、世界的な水準での地理、歴史、文化、文学、芸術に関する知識なども要求されます。これらの専門的ではない知識の基礎的なものも、初等教育で教えることは重要です。このような複雑な問題を解決するための案が、各国の教育制度には求められていました。
フランスでは、中央集権的な性格が強い政府であったため、その政府の要職に就く、有能な官僚を育成するために、通常の大学とは異なる、エリート育成のための特別な教育制度も必要とされていました。中世の社会であれば、貴族たちに要求されていた役割でした。そのような国家のエリートを育成する高等教育機関として、グランゼコールが設立され、大学と並立するようになりました。しかし、初等教育は、共通であるため、フランスの教育制度は、エリート養成、高度な知識を持つ人々の育成、そして一般の労働者として生きる人々を要請する、3つの教育制度を並立できるような初等教育制度を設計する必要がありました。
イギリスの事情はもっと複雑で、中世まで、別の国であったイングランド、ウェールズ、スコットランド、そしてアイルランドには、少しずつ異なった制度が歴史的に存在していました。特にスコットランドは、近代まで独立した国家であったため、大学まで設置されており、イングランドとは異なる教育制度を採用していました。大枠だけを見れば、イギリスの全ての地域の教育制度は、中世の貴族階層の人々のための教育制度と、産業革命以後の時代に労働者階級の人々のために導入された初等教育制度の2本建てでした。前者は、私学を中心とした独立系教育機関の教育制度であり、後者は、公的な教育機関が提供する教育制度です。前者の代表が、パブリック・スクールです。後者の代表は、職業に就くために必要な知識を教える、グラマー・スクールです。
以上の例に見られるように、ヨーロッパ諸国のように、国によって違いのある教育制度を採用している場合、現代の世界で、グローバル化が急速に進展したため、人々の国家間の移動が阻害される原因になります。ある国で初等教育を受けた生徒が、別の国で中等以上の教育を受けようとすると、その入学資格の認定が困難になることが考えられます。さらに言えば、ある国の大学で特定の学部を卒業した人材を採用しようと考える企業が、別の国の大学を卒業した人材を採用とようとするとき、その企業は、その対象となる専門家をについて、どのようにして必要な資格の持ち主であると判断すればよいのでしょうか。場合によっては、その個人、または特定の企業に、とても不利な問題が発生する可能性があります。この問題を解決するため、ヨーロッパがEU統合されたとき、ボローニャ宣言が出され、国境を越えた一律の判断で、学位などの資格認定を行うことが提案されました。
これに対して、米国社会は少し異なる方針のもとに教育が制度化されています。米国では、独立直後から、個々の地域別に、初等教育を住民の手で作り上げる必要性に迫られていました。そのため、米国の教育制度は、大学の制度と、義務教育の制度が独立して発展してきていました。義務教育制度は、幼稚園教育から12年制までの基礎的知識の修得と、その知識を利用して社会生活をおくることを可能にすることを目標としたものです。大学教育は、その基礎教育をもとに、世界で活躍できる人材を養成することを目標にしています。1990年以降の米国社会では、従来は学区ごとに独立に策定されていた教育目標や実施方法に対して、国家全体に適用されるべき教育成果基準を設定し、国際競争に勝ち残れる労働力を育成することが重視されるようになりました。
米国社会では、20世紀末まで、義務教育制度の管理は、住民が居住する場所を基礎に設定されている学区が基本となり、その学区にいくつの小学校、いくつの中学校を建設し、どのような高校教育を実施すべきかが決められます。そして、それぞれの小中学校で、どのような教員を集め、どのような教育を実施するのかは、学校長とPTAによって議論され、PTAがそのための予算案を作成します。その予算案は、その学区を対象とした住民投票にかけられ、予算案が認められれば、住民が所有する土地の面積に応じた教育税が決められます。このため、子供たちの数が少ない地域では、予算の規模は小さくなる傾向があります。また、貧しい家庭が多い地域でも、予算の規模は小さくなります。予算が少なければ、校長やPTAの役員たちが望むような教育は不可能となり、長期的には、住んでいる土地の価格も値下がりします。
このような背景から、米国社会では、実施される義務教育の質は、学区に住む人々の豊かさに比例する傾向があります。そのことが、地域間格差を生み出し、人々の間の経済格差を生み出します。そのような問題から、大学の入学選抜では、ハーバード大学のように、入学希望者の住む地域(学区)や、家庭の経済状況なども勘案して、合格・不合格を決定します。つまり、入学希望者たちの学習達成度試験の成績だけでは、合否が決まらない場合が多いのです。さらに、高校卒業までの、入学希望者の社会活動の履歴や、運動競技大会の成績なども、入学希望動機などを記した文書などとともに、大学の入試事務局による審査を経て、決定に至る例が多いのです。このやり方については、米国社会の中でも、反対している人々は少数ではありません。
新しい大学の設立が自由な米国社会では、大学の卒業証書は、ほとんど意味がありません。そのため、20世紀の末までは、卒業した大学、学部、学科、指導教員などが分かって、初めて学生の能力の高さの評価が決まりました。しかし、グローバル化が進展した20世紀になると、世界の各地から人材が流入するようになったため、労働者の出身国を問わずに、就職希望者の能力を事前評価する仕組みが必要になりました。このため、米国社会では、就職希望者が卒業した大学の教育水準を審査するため、アクレディテーションと呼ばれる制度が導入されるようになりました。これは、ヨーロッパ諸国で導入されているボローニャ宣言に基づく方法よりも、きめ細かく、就職希望者の能力を事前評価しようとしたものです。
同じような視点で、各国の義務教育に関する教育水準の評価について、OECDでは、PISAの標準試験が実施されています。これは、主として国を単位とした教育の実態を知るためのものです。幸い、日本の義務教育に対する評価は、とても高い評価を受けています。ただし、日本の小中学生は、文章問題に対する分析と解答を出す能力が十分でないことも指摘されています。このことは、日本の義務教育と、欧米諸国の義務教育の方式・方法が著しく異なることが原因であると分析されています。日本以外でも、シンガポール、香港、中国、韓国などの評価が高いことも分かっています。また、文章問題に対する解答からは、北欧諸国の生徒の解答能力が高いことも知られています。これも、アジア的な教育と、ヨーロッパ的な教育の方法の差の現れであると、考えられています。