公開: 2024年5月26日
更新: 2024年9月4日
今、日本の社会が直面している教育制度や教育行政の問題は、日本社会が、明治維新以来、約150年間に渡って積み上げてきた国家像が、現代の世界に適合しなくなったために、表面化したものであると言えます。義務教育の現場における「いじめ」問題、さらに、「不登校」問題、そして日本の社会全体が、世界に先駆けて直面しつつある「少子・高齢化社会」の問題は、日本人自身が、これまで、その問題解決を先送りしてきたために、容易には解決できない状態になってしまったものです。そして、現代社会に生きる私たち自身が、自分たちの手で、今、解決しなければ、解決不能な状態にまで進行する可能性が高いのです。
根本的な問題は、日本の「国家像」の再構築であるため、解決の過程で生じる影響は、教育行政の範囲に留まらず、日本人が生活する様々な局面にまで波及するでしょう。例えば、経済政策はもちろんのこと、外交政策、雇用政策、産業振興政策、医療政策、食料政策、移民政策など、幅広い分野にまで影響を与えます。日本の国民は広い視野で、全体を見通し、最善な選択をしなければなりません。明治維新の政治家たちが重要視した、天皇制や天皇家の位置づけについても、長期的な視点から、議論し、合理的な結論を得ることが重要になるはずです。このことは、別の意味では、第2次世界大戦に敗北した昭和の、平和憲法の制定時に、日本人が意図的に避けてきた、日本社会の根幹についての議論を、原点に戻ってやり直すことに匹敵すると言えます。
それは、その新しい憲法の制定時に、その時の我が国のリーダーたちが、意図的に「先送り」した議論に決着をつけ、日本の社会における国家の責任と、国民の責任、そして国民の義務を明確に定義し直すことから始めなければなりません。昭和の平和憲法の制定時には、根幹では明治時代の大日本帝国憲法の精神を守りながら、表面的には国家の主権を国民に移し、民主主義国への方向転換の姿勢を明確に示す必要があったからです。さらに、平和国家として「戦争の放棄」を鮮明に打ち出すことが求められていました。これらは、日本の国民の中から出た声ではなく、大日本帝国と戦った連合国の要請に従ったものです。それが、現代の日本の政治家の中にも、実際には、天皇が支配する「天皇制の日本」が、日本社会の理想であると信じている人が少なくない理由の一つです。
しかし、20世紀後半の世界の進歩は著しく、経済競争の国際化は、日本人の「好むと好まざる」に関係なく進展し、今、日本経済は熾烈な国際競争に直面しています。これからの日本社会の存続と発展のためには、この国際的な経済競争に勝ち抜く以外にはありません。その競争に勝ち抜くために、世界的に優秀な人材を養成し、世界規模の競争の中で経験を積ませ、世界的な人材に育ててゆかなければなりません。人材教育政策は、そのような世界的な舞台において、自分に与えられた役割を認識し、自らの才能を、自らの意志で発揮し、日本社会だけでなく、世界にある多様な才能を効果的に結集し、世界の発展に貢献できる人材を数多く育成することが重要な課題になります。
今、日本の社会が直面している教育制度や教育行政の問題は、日本社会が、明治維新以来、約150年間に渡って積み上げてきた国家像が、現代の世界に適合しなくなったために、表面化したものです。義務教育の現場における「いじめ」問題、さらに、「不登校」問題、そして日本の社会全体が、世界に先駆けて直面しつつある「少子化」と「高齢化社会」の問題は、日本人自身が、その問題解決を先送りしてきたために、容易には解決できない状態になっています。それは、現代社会に生きる私たち自身が、自分たちの手で解決しなければ、解決不能な状態にまで進行する可能性が高いのです。放置してはならない問題です。
根本的な問題は、「国家像」の再構築であるため、解決の過程で生じる影響は、教育行政の範囲に留まらず、日本人が生活する様々な局面にまで波及するでしょう。例えば、経済政策はもちろんのこと、外交政策、雇用政策、産業振興政策、医療政策、食料政策、移民政策など、幅広い分野にまで影響を与えます。日本の国民は広い視野で、全体を見通し、最善な選択をしなければなりません。明治維新の政治家たちが重要視した、天皇制や天皇家の位置づけについても、長期的な視点から、議論し、合理的な結論を得ることが重要になるでしょう。このことは、別の意味では、第2次世界大戦に敗北した昭和の、平和憲法の制定時に、日本人が意図的に避けてきた、日本社会の根幹についての議論を、原点に戻ってやり直すことに匹敵することであると言えます。
それは、その新しい憲法の制定時に、我が国のリーダーたちが、意図的に「先送り」した議論に決着をつけ、日本の社会における国家の責任と、国民の責任、そして国民の義務を明確に定義し直すことから始めなければなりません。昭和の平和憲法の制定時には、明治時代の大日本帝国憲法の精神を守りながら、表面的には国家の主権を国民に移し、民主主義国への方向転換の姿勢を明確に示す必要があったからです。さらに、平和国家として「戦争の放棄」を鮮明に打ち出すことが求められていました。これらは、日本の国民から出された声ではなく、大日本帝国と戦った連合国の要請に従ったものです。現代の日本の政治家の中にも、天皇が支配する「天皇制の日本」が、日本社会の理想であると信じている人が少なくない理由の一つです。
しかし、20世紀後半の世界の進歩は著しく、経済競争の国際化は、日本人の「好むと好まざる」に関係なく進展し、今、日本経済は熾烈な国際競争に直面しています。これからの日本社会の存続と発展のためには、この国際的な経済競争に勝ち抜く以外にはありません。その競争に勝ち抜くためには、世界的に優秀な人材を養成し、世界規模の競争の中で経験を積ませ、世界的な人材に育ててゆかなければなりません。人材教育政策は、そのような世界的な舞台において、自分に与えられた役割を認識して、自らの才能を、自らの意志で発揮し、日本社会だけでなく、世界にある多様な才能を効果的に結集し、世界の発展に貢献できる人材を数多く育成することが重要な課題になります。
そのような人材育成を成功させるためには、国家として、日本の国会と政府は、新しい日本の国家像を明確に提示して、その実現のための国家運営を支えるための新憲法案を国民に示し、国民の総意をまとめた新憲法を制定しなければなりません。その新憲法では、昭和の憲法の制定に見られたような、古い憲法の理念と、新しい民主主義国家の理想像を、あいまいな表現で混ぜ合わせた、「玉虫色」の表現は避けなければなりません。二つの対立した視点に基づく思想の妥協点を探し、その均衡を取るような姿勢では、これからの混沌とした世界の中を、国家の生存をかけて生き残ろうとする国民の力を「一つにまとめ」、有効に働かせることはできません。
かつて、大日本帝国憲法が、国家の主権者であるとされた天皇の下で、その臣下である「臣民」が、その総力を結集して、国家の経済発展に力を注ぎ、科学技術の振興を成し遂げ、列強諸国と肩を並べる軍事力を整備するまでに至ることができたのは、単なる偶然ではなく、明治維新の政治リーダーたちが描いた国家像が明確であったからでした。これからの時代は、当時の世界とは違って、複雑な問題が絡み合っているだけでなく、国家の主権者が国民であるとされる民主主義の枠組みに適合すべく、政府は国家運営をしなければなりません。そのことから、日本は、約150年前とは全く違った時代状況にあると言えます。つまり、問題を解決するために投入されなければならない労力と時間は、明治維新よりもはるかに膨大になるでしょうし、権力の行使のために政府に与えられている制約は、はるかに厳しいのです。
国会では、まず、新しい国家像の構築のための論点を整理し、国民に説明しなければなりません。そして論点の一つ一つに対して具体的な案を策定し、国会において開かれた議論を戦わせる必要があります。そのようにして明確にされた論点に対して、国会内で議論された解決案について、国民は、その論点と主旨を十分に理解したうえで、最も妥当だと考えられる案を選択し、投票しなければなりません。民主主義においては、そのような国民の投票結果に基づいて、国民の多数が選択した案を、最終的な案としなければなりません。妥当な最終案を得るためには、各国民は、自分の選択が「正しい」と信じる案に投票しなければなりません。それが、容易でないことは、イギリスで実施された「EU離脱」の是非を決定するための国民投票で、多くの国民が、後から考えれば、正しいとは言えない案に投票した例にも示されています。
このイギリスの「EU離脱」投票の例で明らかになったように、国民の総意が必ず「正しい結論をもたらすこと」は保証されません。ほとんどの国民が、正しい情報を得て、論理的に正しい推論を行い、誤りのない投票を行えば、国民による投票で、誤った結果がもたらされることはありません。しかし、この全ての条件が、現実の社会で全て満足されることはほとんどありません。それぞれの問題について、95パーセンとの確率で正しい行動が採られたと仮定しても、数多くの国民の総意が、本当に正しい結論に至る確率は、3分の2程度でしかありません。さらに、もし投票の結果が、「本当に正しい」とは言えない結論を導いたとき、その国の将来、選択の誤りを修正することは容易ではなく、その国の将来に大きな痛手を与えることになります。民主主義国家では、国家の選択に誤りがあった場合、その選択をやり直すことは、「ほとんどの場合」できないのです。
このように民主主義国においては、社会に重大な影響を与える問題の選択においては、国民はそのような選択において、自らが「本当に正しい」と信じる考えに基づいて、「票」を投じなければなりません。そのような行動をとることが、国民の倫理観として、民主主義の根底には仮定されれているのです。それを怠ることは、民主主義の倫理に反しているのです。さらに、全ての国民は、たとえ、その結論が、個人的には自分に不利な状況をもたらすものであったとしても、国民の総意で決定された結論には、それに従った行動をとらなければなりません。それが民主主義国家では、国民全員に課せられた義務なのです。
1989年11月、第44回国連総会において、「こどもの権利条約」が採択されました。1994年、日本の国会でも、この条約は批准され、その内容は、日本の法律にも反映されることになりました。それは日本政府に子供の諸権利について、経済的、社会的・文化的障害から、子供たちの権利を守らなければならないことを意味していました。教育に関して言えば、義務教育においては、無償での教育の提供を保証すること、中等教育においては、それぞれの子供に発達しつつある能力に適合する方法での教育機会が、提供されることが義務付けられます。この条約では、教育は政府や社会の目的に適合させた制度ではなく、個々の子供の能力や適性にも適合できる制度でなければなりません。日本社会と日本政府は、この「こどもの権利条約」に定められた権利が、全ての子供に対して平等に保証されるように努力しなければなりません。