公開: 2021年11月19日
更新: 2022年7月23日
1980年代末まで、世界経済は主として「ストック」のみを資産として考える傾向があった。しかし、1980年代の末になると、世界の経済は、社会を循環するお金を、人体を流れる血液のような役目をもつ「フロー」としての側面を重視する考え方に変化した。この考え方の変化を可能にした要因として、誰でもコンピュータの利用が可能になった社会の進歩があった。フローの実態を把握するためには、常に移動し続ける資産や負債を、お金の流れとして計算し、しっかりと把握しなければならない。それを可能にしたのが、コンピュータの計算能力であり、コンピュータとコンピュータの接続を可能にするインターネットのコンピュータ通信機能であった。
お金のフローは、項目ごとの収入と支出をそれらの発生時点でとらえ、高速に計算しなければ、把握できない。収入や支出の発生時点から、計算の時点が「ずれ」れば、「ずれ」るほど、実際の「フロー」をとらえることができなくなる。それは、時間と共に「フロー」が「ストック」に変化するからである。現代社会では、社会全体として、企業間、個人間、企業と個人の間に発生する、このお金のフローを制御するのが、銀行である。そのため、銀行では、大型のコンピュータを利用して、毎日、膨大な量の取引を橋渡ししている。その銀行のコンピュータが停止することは、社会全体の損失を生み出す。
このことは、日本の銀行にも当てはまる。みずほ銀行の度重なるシステム障害は、そのような意味において、日本経済に悪影響を及ぼしたと言える。そして、みずほ銀行の経営陣、特に頭取やCIOの任務に当たっていた人材が、このことをどこまで認識していたのかが疑問になる。彼らは、彼らの銀行員としての人生の歩みの中で、そのような実社会の変化を意識し、学ぶことを怠って来たのではないだろうか。社会は、これからも著しい勢いで変化をし続ける。特に、コンピュータの利用技術では、シミュレーションや機械学習が積極的に利用されるようになる。そのような新しい社会で、銀行の経営陣として、その職責を全うできる人材を育てられているかどうかが、今、銀行に問われている。
1) 銀行の社会的役割に生じている変化
近代日本の社会を発展させるために「銀行が重要な役割を担う」ことを、明治維新になって主張した人々の一人に、「論語とそろばん」の著者である、渋沢栄一がいた。彼らは、日本の産業を成長させるためには、一般の人々から幅広く少額の資金を集め、それを多額の資金にまとめ、それを必要とする資本家に対して資本として提供する機能を担う社会の経済機構として、18世紀の西洋社会で発達した銀行制度が日本にも必要であると考えた。明治維新の政治体制確立のための内戦とその後の政治革新によって、財政が不足していた明治政府には、日本社会の産業を振興させるために必要な原資が不足していて、海外の資本を導入する以外の方法はなかった。この国家の財政危機を打開する方法として、国内の民間、特に一般国民の間に蓄えられていた資金を活用することが重要であった。渋沢らは、当時の日本社会が必要としていた資本の原資を、旧藩に蓄えられていた資金に頼ることには限界があり、日本の国力を十分に高めることはできないと考えた。西洋社会で生まれ、発達した銀行制度は、彼らの問題意識に適合するものであった。このような背景から、日本社会の民間銀行は、最初、官営銀行として設立され、その後、民営化された。同じ頃、日本政府も、英国の郵便貯金を真似た、国内の郵便制度確立のために準備された郵便局を利用し、国営の郵便貯金制度を確立し、国家主導での事業推進のための資金を集めるシステムを確立した。
第2次世界大戦で日本政府・日本陸海軍が連合軍との戦争に負けるまで、帝国憲法下の日本社会はこの枠組みの中で、日本的資本主義を発展させ、世界的にも目覚ましい経済発展を成し遂げた。とは言え、日本政府・日本軍が対米宣戦布告を行う直前の時点で、日本社会の国内総生産は、名目で約368億円、米国社会のそれは、約1014億ドルであった。当時の円・ドル為替レートは、1ドルに対して2円程度であった。これは、実体経済に即したものではなく、実質的には円安が進んでいた。このことから、2国間のGDP格差は、約7倍から10倍であったと推定されている。ただし、国際的には為替レートは、1ドル4円程度にまで円安が進んでいたので、この格差は、10倍以上だったと考えられる。鉄鋼生産能力で比較すると、日米の生産力格差は、約12倍、自動車の生産台数の格差は、100倍以上、発電量の格差は、約5倍であったとされている。明治維新から考えると、日米の経済格差は著しく縮小したと考えられるが、人口比で考えても、2倍以上の差があり、日本社会には、まだ経済発展が必要な余地は相当あったと言える。
第2次世界大戦の敗戦によって壊滅的な打撃を受けた日本社会は、ほとんどゼロの状態から国家の再建に着手した。国民の多くが、「生きることに精一杯」の状態に置かれ、今日一日の食料をどう確保するかに右往左往していた。幸い、日本社会には第2次大戦中に初等中等教育、さらに高等教育を受けた人材が多く残されていた。また、南太平洋の島々での米軍との戦いや、中国大陸での中国国民軍や共産党軍との戦いで生き延びた人材も、戦争が終わって、日本に帰還して来た。これらの人々を原動力として、日本社会は経済的な復興に着手した。この時も、資金不足に悩んでいた資本家に、銀行は資金を提供し、新事業の立ち上げを支援した。特に、中小銀行は、単に資金を提供するだけでなく、経営のノウハウを提供することで、起業したばかりの資本家の事業拡大を手助けした。銀行から提供された資金の量は少なくても、銀行が提供した経営ノウハウや知識の効果は大きく、長期的に見れば、多くの中小企業が大企業に成長することに成功した。当時、中小企業を起業した経営者の多くは、大学で新技術を学んだばかりの若い技術者や、他の企業で技能を身につけた人々が多く、経営に関する知識を十分に持っていなかった。これに対して、銀行員は、大学で経済学や経営学、法学などを学んだ人々が多く、経済や経営の知識を与えることができたからであった。
日本社会が高度経済長期から安定成長期に入った1970年代以降、バブル経済期が終わる1980年代末まで、日本社会における銀行の役割は、それまでの企業に対する資金提供から、個人の住宅購入資金や、企業の土地・不動産購入のための資金提供業務が中心に移っていた。この間、日本社会における人口増加が後押しとなり、日本社会は経済成長を続けた。1970年代の初めに、米ドルが変動相場制に移行し、日本円も1ドル360円の固定相場制から変動相場制に移行した。これに伴い、円の対ドル為替レートは、少し円高に振れた。このことは、日本の輸出産業には、大きな打撃となり、対米輸出に大きく依存していた企業は、収益を悪化させた。それでも1970年代中頃には、日本のエレクトロニクス産業は、対米輸出の量的増加によって、経営規模を拡大し続けていた。これは、日本社会における教育制度に裏打ちされた人材の質の高さから、質の高い労働力が大量に供給され、その労働力に支えられて、工場における製品生産の品質管理を徹底し、高品質な製品を、円安の為替レートをテコとして、安い製品価格を武器に米国市場へ供給することができたからであった。時計、カメラ、テレビ、オーディオ製品などがその代表例であった。セイコー、キャノン、ニコン、パナソニック、ソニーなどが世界的ブランドに成長した。
1980年代に入ると、同じことが乗用車でも展開された。品質の良い小型乗用車が、大量に米国市場に供給されたのである。エレクトロニクス製品などと比較すると、販売価格の高い乗用車が大量に米国市場に投入され、米国の対日貿易赤字が継続的に増大する結果となり、米国経済に大きな打撃を与えるようになった。この背景にも、日本企業が質の高い労働力を、相対的に安い賃金で雇用し、高い品質の乗用車を安い価格で米国市場に供給できることがあった。米国政府は、膨れ上がる対日貿易赤字に悩み、日本政府が故意に「為替レートを円安に誘導しているのではないか」と主張し始めた。この米国の主張を考慮して、日本政府は、日本から米国へ輸出される新車の総数を国内企業間の調整で抑制する「自主規制」と呼ばれた対応策を採った。日本車によって大打撃を受けた米国の自動車産業も、当面の対策として、レイオフ(一時帰休)によって、過剰な労働力を減らし、人件費を削減せざるをえなかった。このことをきっかけとして、1980年代の中頃から、米国経済は少しずつ後退し始めた。米国社会では、21世紀は日本が世界経済を支配するのではないかとする危機感がまん延した。また、経営学者や経済学者は、米国社会の復興の道を探り始めていた。
日本経済がバブル経済の絶頂期に達するまで、日本の銀行は、個人や民間企業の不動産投資を目的とした資金調達の要請に応え続け、大量の資金を投入し続けた。その結果、日本国内の土地価格は、暴騰した。当時、日本社会の銀行は、大蔵省・金融庁の監督の下で、都市銀行、地方銀行、信用金庫などの各層の金融機関が、同一の基準で同じように運営されるように指導されていた。また、1970年代から始まった、銀行のオンライン化によって、全ての銀行が定期的に莫大な資金を投入して、オンラインシステムの開発プロジェクトを実施していた。全ての銀行を一様になるように国が管理することを、「護送船団方式」と呼ぶ。日本の銀行は、この名前が暗示するように、銀行間に著しい差が出ないように、政府の管理下に置かれていたのである。実質的には、銀行が提供する金融サービスにおいて、銀行間の競争はなかった。それは、各銀行に勤務する行員やその経営陣にも、独自の競争力のある「銀行の金融サービス」を創出しようとする意欲を失わせたと言える。サービスのイノベーションによって自分達の銀行を、他行よりも成長させようとする意欲も失われていたのである。この政策によって、銀行の倒産と言う状況は防げたかもしれないが、結果として日本の銀行組織の世界的競争力は損われていったのである。
この銀行の「温室のような状況」は、日本社会のバブル崩壊後、一変し、崩壊した。それは、バブル経済の崩壊によって、各銀行が抱え込んだ莫大な不良資産が、銀行経営を圧迫し始めたからである。バブル期には、優良資産で、放置していても価値が増大していた土地などの資産の価値が、バブル崩壊とともに著しい価値の低下に見舞われ、銀行が抵当として押さえていた資産の価値が暴落したからである。この時、金融機関の一部は、倒産や併合の必要な状態に陥った。山一証券の倒産や、北海道拓殖銀行の消滅などが有名である。これらの事件は、大蔵省は、もはや経営が破たんした銀行を財政的に支援することはないことを、日本社会に対して明確に示した。1990年代の10年間を通して、日本社会は、銀行の不良債権処理に追われ、日本銀行は金融機関の救済のために長期間の低金利政策を続け、資本主義社会では「ありえない」、ほぼ金利ゼロの「ゆるい」護送船団方式状況を受容したのである。このゼロ金利政策によって、日本の金融機関の多くは、バブル崩壊の後遺症から脱却できたのである。しかし、その副作用によって、日本社会の経済成長は低調となり、社会全体の生産性向上も、ほぼ「ゼロ成長」となった。さらに、その間に米国のクリントン政権が採用した円高・ドル安政策によって、日本製品の米国市場における市場価格が高騰し、その国際競争力が失われた。
1990年代に始まった日本経済の低成長は、日本の国際的な経済競争力を著しく弱め、エレクトロニクス産業分野の日本企業の優位性は失われていった。その結果、日本の世界における経済力も次第に弱まり、国内総生産においても、それまでの世界第2位の地位から、中国に次いで、世界第3位に低下した。この間、日本の銀行は、自行組織の存続を最優先し、従来のような日本社会の経済発展を支援する融資活動を積極的に行わなくなっていた。そのことが影響して、日本社会の経済発展は低迷し、企業は自社の存続を優先して、将来の成長のための投資よりも、内部留保を増やすことに注力するようになった。日本の銀行は、その明治時代からの社会的役割を果たさなくなったのである。しかし、日本社会が銀行の役割を必要としなくなったわけではない。現在の銀行では、オンラインでの入出金・振り込み処理以外に、夜間に処理が行われる大量の口座間、他銀行との資金データの送受信処理を行なっている。定期的な振り込み処理だけでも膨大な量である。企業や個人が、現金で支払いを行う代わりに、銀行のコンピュータがその代行をしてくれている。そのために、企業も個人もいくつかの銀行に口座を保持している。みずほ銀行のシステム障害であっても、この振り込み処理の遅れは大きな損失を生む、社会的問題になった。
21世紀に入って、日本社会は少しずつ、キャッシュレス決済が増加しつつある。その決済を支えているのが、銀行のコンピュータシステムである。従って、銀行のシステム障害によって銀行のコンピュータシステムが稼働しなくなると、日本社会での資金の移動は停止してしまう。これは、1980年代末までの状況とは本質的に異なる状況である。ある銀行のシステム障害による処理の停止は、程度の差はあっても、日本全体の資金の流れを遅くする。それは、現代の資本主義社会では、致命的である。特に、日本社会において基幹的な役割を担っているメガバンクのシステム障害は、関係する顧客と関係銀行が多いため、社会全体に対して大きな悪影響を与える結果となる。1990年頃までの日本の銀行の主たる役割は、民間から資金を集めて、その資金を必要としている企業へ融資することであった。しかし、それ以後の社会では、民間に分散されている資金を、必要な時に必要な相手に効率的に流すことが、主たる役割になりつつある。その役割を果たすために必要不可欠な経営資源が、コンピュータシステムと通信網である。つまり、現代の銀行では、コンピュータシステムが銀行の重要資産になっている。そのコンピュータシステムの運用や開発全体を、安易にベンダー企業に任せ、むやみに自社の人材投入を削減することは、本末転倒な対応である。
2) グローバル化する社会における人材育成制度の変化
21世紀の経済のグローバル化は、社会の変化の速度を著しく速めている。それによって、世界中の企業も、個人も、変化の速度を速めている。その変化の速さを加速するために利用されているのが、コンピュータである。かつて、コンピュータが容易に利用できなかった時代には、人間が自ら考え、行動しなければならなかった。そのため、変化にはある程度の時間を必要とした。現代社会では、コンピュータを利用することで、人間の代わりにコンピュータが考えることができることが多くなった。コンピュータは、考える速さだけを言えば、人間より圧倒的に速い。人間ならば、何十年もかかること(計算)を、一瞬に終わらせることができる。つまり、人間の思考作業の一部をコンピュータが肩代わりするこで、人間社会の変化を速めることができる。特に、サービス提供においては、物理的な「もの」を作り出す必要がなく、そのほとんどをコンピュータの情報処理だけで行うことができる。株の売買や通貨の為替取引が良い例である。株の価格が上がり調子の時、それを傍観すれば、本来得られる利益を逸する。逆に、株の価格が下がり調子の時であれば、手持ちの株を早急に売らなければ、大きな損害になる。これを人間が行えば、1銘柄を処理するのに、数秒から数分の時間が必要になる。コンピュータがそれを行えば、一度に数百、数千の銘柄の処理を1秒で終わらせることは容易である。為替の取引も同じである。
このようなグローバル化が進む現代社会では、ほとんど全ての産業分野で、コンピュータによって置き換えられる仕事に従事する人材の需要は、著しく減ってゆく。その代わりに、従来は人間が行なっていたことを、コンピュータにやらせるために必要となるコンピュータソフトウェアの開発を行うIT系人材の需要は高まる。ただし、問題の作業を一旦、コンピュータ処理に置き換えられれば、そのソフトウェア開発の仕事はなくなる。つまり、そのような人材の需要は一過的であり、継続性はない。言い換えれば、同じIT技術者を、ある企業が長期に渡って雇用する必然性はない。ただし、銀行を例にすれば、銀行業務のどの仕事をコンピュータ化するかを考える人材や、コンピュータ化する仕事の内容と法規制などの変化の動向を理解し、コンピュータソフトウェアの開発を担当するIT技術者に説明する人材は、長期に渡って必要である。つまり、銀行は、そのような能力を持った人材を長期に渡って雇用しなければならない。コンピュータソフトウェアそのものの開発を担当する技術者は、ベンダー企業が雇用するIT技術者で、問題はない。これは、調達側である銀行には、調達を行うために必要な人材が確保されていなければならないこと、そして、受注側であるベンダー企業には、銀行の担当者から話を聞き、どのようなソフトウェアを開発しなければならないかを考える人材が必要になることを意味する。
上述した問題に対応するため、米国社会などでは専門家の育成と雇用の制度が確立されている。さらに、最近では調達側と受注側の企業との間で、どのように必要な情報を交換すべきかについて、社会的な共通認識が確立されつつある。1950年代までの米国社会では、特定の専門を教えるよりも、より広い教養を身に着けるための「教養教育」を重視する大学が多かった。しかし、その後、社会の変化とともに、米国社会の教育は専門化を進め、特定の専門教育で、何をどこまで教えるべきかを決めた、「標準カリキュラム」の定義と導入が進んだ。さらに、1970年代からは、社会が、特定の大学の、特定の専門教育の質を認定する「アクレディテーション制度」の導入が進み、その制度で認定を受けた大学教育課程の修了者だけを「専門家」と認めるように変わっていった。そのような専門家育成プログラムの修了者同士が、発注側と受注側にいるからこそ、発注側の意図が、受注側に、ある程度の確実さで伝わるのである。コンピュータ科学で言えば、米国の大学教育でコンピュータ科学を専門的に学んだ人材の約4分の3は、発注側の企業で働いており、約4分の1が、受注側で働いている。既に述べたように、終身雇用制を前提とした日本社会では、理工系の情報系学部学科の卒業生のほとんどは、受注側のベンダー企業に偏って、就職している。それが、発注側と受注側企業間の確実な情報交換の実施を妨げている。
日本の高等教育機関は、このような世界のグローバル化による社会的な人材需要の変化に対応して、教育プログラムの改善に努めなければならない。さらに、教育機関は、単に大学教育を修了した人材の、大学教員としての雇用を優先するのではなく、提供する教育プログラムの内容に適合した教員人材の確保に努めなければ、社会が必要とする人材に対する教育内容の質を充実させることはできない。そのためには、必要な人材の知識と経験を明確に定義して、その要求に適した人材を獲得するようにしなければならない。そのような人材が、産業界にいる場合、人材を産業界から招き入れるような制度を準備することも必要である。逆に、産業界でも、大学教育に必要な人材を、その人材を必要とする大学へ、一定期間、送り込むことができるような制度を準備することなども必要となる。日本社会の雇用の慣習が、終身雇用制から米国社会のようなジョブ型の雇用制度に変わってゆけば、大学と産業界との間の人事交流は、進むことが期待できる。そして、社会が必要とする能力をもった人材が、大学から社会へと巣立って行くようになるであろう。
3) 日本の銀行経営者に求められる知識の変化
経済のグローバル化は、技術者や技術を利用して業務のイノベーションを推進する人々だけでなく、企業の経営者に求められる資質にも大きな変化をもたらす。その一つの側面は、従来の企業経営者に求められていた自社の従業員の資質や能力についての理解や、自国の産業の現状と動向についての理解はもちろんのこと、世界の産業の現状と変化の動向についての理解や、世界の人材についての資質や能力についての理解も重要になる。それは、企業が生産する製品やサービスを供給する市場の現状を適確に把握し、世界市場の変化の動向を理解したうえで、自社の製品やサービスをどのように変えてゆかなければならないのかや、そのために必要となる人材を、どこから、どのように獲得し、どのように獲得した人材を社内で展開すれば良いのかを考えなければならないからである。そのような経営者人材を育成するために、各企業は、将来の経営者人材を国内の組織だけでなく、国外のさまざまな組織での仕事を経験させ、地域による制度や慣習の違いなどを理解させなければならない。そのような人材には、日本語でのコミュニケーション能力だけでなく、英語などの国際的に広く利用されている言語でのコミュニケーション能力が要求される。もう一つは、これからの産業の発展に必要不可欠な情報技術に関する知識を学ぶ必要性である。どのような産業においても、これからの世界では、従来のような人的資源の活用と同時に、情報技術の活用が、必要不可欠になる。
コンピュータの利用が容易でなかった20世紀までの世界では、企業の運営に関するほとんど全ての業務を人間の労働で行っていた。しかし、20世紀末から、インターネットの普及が進み、世界は人間の労働だけでなく、それを「高速に真似ることができる」コンピュータによる計算と、人間の労働を組合わせることで、従来のような人間の力だけでは不可能な高度な処理を、より高速にこなせるようになった。このことは、人間に、世界経済をグローバル化させることを可能にし、その結果、事業の成功による企業の利潤を大幅に増大できるようにした。このため、どの産業分野の企業経営者であっても、情報技術をしっかりと理解し、その効果的な活用を考えられることが、企業や産業の発展に大きく寄与する。経済や経営の分野に限定しても、将来を予測する方法として、数理モデルを構築して、シミュレーションを行い、その結果から将来の状況を予測することができる。従来の経済学のように、静的な論理だけで、定常状態における状況を推論するだけでなく、時間と共に経済がどのように変わってゆくのかも、シミュレーションによって思考実験をすることができる。これは、天気予報が、近年、大きく進歩したことからも、理解できる。さらに、コンピュータを利用することで、大量のデータを集め、そのデータに基づいて、将来の姿を予想することもできるようになっている。これは、シミュレーションによる予測とは異なり、過去の経験に基づいて、近い将来、「何が起こりそうか」を予想する機械学習が利用可能になっているからである。
このような新しい技術をしっかりと理解し、適切な問題に対して適切な方法を利用できなければ、技術の活用はできない。シミュレーションも機械学習も、将来の予測に利用できそうであるが、全く異なる性質の技術であり、問題によってその適用の妥当性は違ってくる。「株価が近い将来、暴騰・暴落するのか」は、機械学習で予想し、その対応を行うことは可能である。しかし、資源の妥当な配分などの問題は、機械学習では予想できない。シミュレーションが妥当な方法となる。これからの世界では、シミュレーションの新しい方法や、新しい技術が開発されるであろう。それらをしっかりと理解し、適切に企業経営に活用できる人材でなければ、これからの企業経営を任せることはできない。銀行も含めて、企業は、そのような人材の確保と適切な育成に着手しなければならない。さらに、企業の財務について、専門的な知識を持ったCFOを任命することが、最近の企業では普通になっている。それと同じように、情報技術の専門的な知識を持つCIOを育成し、任命して、その任務に従事させることが重要である。会計の深い理解がなければ、CFOに就けないのと同じように、情報技術の深い知識がなければ、CIOの任務を全うすることはできない。企業経営に従事する人々も、社会の進歩とともに、専門化しつつあると言える。日本企業も、そのような世界の動向に沿った、人材の採用と人材育成を行わなければならない。
従来の日本社会では、一部の有名大学の経済学部や法学部出身者が、CEOなどの経営陣に名を連ねてきた。特に、銀行のような業界では、その傾向が顕著である。みずほ銀行と、その親会社であるみずほFGを見ても、そのような古くからの名残を見ることができる。みずほ銀行の頭取は、2021年、過去の「しきたり」を破って、有名私立大学出身の取締役が、その座に就任した。この人事は、みずほ銀行が、自ら変革を求めて行った人事と見ることができた。しかし、そのみずほ銀行でも、情報技術の利用を統括するCIOは、人事畑を歩んできた人材で、情報技術を専門としている人材とは言えない。さらに、みずほ銀行では、母体となった旧3行の組織の壁が厳然と存在しているようで、CIOを務めている旧日本興業銀行出身の人材は、旧第一勧業銀行出身者の組織からの排除を狙っていたとの噂もある。そのような環境の中で、みずほ銀行は、システム開発と運用に必要な経費を減らし、経営への負担を減らす方針を採用して、担当部門の縮小を実施してきた。このことは、システムの運用における現場の人々の負荷を増加させ、そのことが原因となって、システムの変更時における機能確認業務に投入できる労力が削減されるようになったと言われている。確認作業の手間を削ると、現場での「利用時に不具合が発見される」障害の原因となる例があり、リスクが高まる。そのようなリスクが潜在することを経営陣がしっかりと理解できていなければ、運用時に必要な労働力は増加することが、経験的に分かっている。その経験則を無視して、みずほ銀行の経営陣が、システムの更新作業が集中していた担当部門への人的資源の割り当てを意図的に削減したことは、システム障害発生の原因の一つになったことが、否定できない。
4) 日本の銀行における情報系専門技術者の採用と育成
これまでも述べてきたように、日本社会の企業では、情報技術の活用が企業の発展に必要不可欠のものであると認識しながら、そのために必要な人材を社内に確保する努力をしてこなかった。その最大の理由は、終身雇用制の壁によって、一度採用した正社員を、その正社員が高等教育で学んだ専門が企業にとって重要なものではなくなっていても、簡単には解雇できないという社会的な慣習が成立しているからである。企業は、正社員の雇用維持を最優先しなければならないので、その専門的な知識が利用できなくなった社員でも、社内教育などによって社員を再教育し、新しい分野の知識を獲得させ、企業が必要とする新しい専門分野の人材として配置転換して活用することが求められている。このことによって、社会全体で見れば、失業者の増加を抑えることができる。一方、高等教育でそのような新分野の専門知識を学んだ人材の雇用に対する需要は減少する。その結果、専門家として養成された若い労働力は、十分に活用することができないばかりか、不十分な知識しか持たない半専門家人材が、企業内で専門的な仕事に従事し、社会全体で見た生産性の低下を引き起こす結果になる。
21世紀の世界では、専門家になるために必要とされる知識の量は、20世紀の世界と比較すると著しく増大している。それを補うために、各国の高等教育機関では、専門教育の細分化が行われている。これは、その分野の専門を学ぶために必要となる基礎知識の量が増加していることに対応するための策である。そのような、各専門分野の基礎知識なしに、専門知識を学ぶことは、極めて危険である。これは、医学部の教育を見れば一目瞭然である。医師として働く者であっても、看護師として働く者であっても、物理療法士や作業療法士として働く者であっても、全ての者が人体の構造や、各臓器の役割、細胞組織やホルモンの理解、筋肉や神経系についての正しい知識がなければ、治療、看護、専門療法に関する専門知識を学んでも、専門知識を正しく活用して、患者の問題を解決する仕事につなげることは難しい。現場の経験だけで、仕事をこなすことはできないのである。このことは、情報系の仕事でも同じである。上述したような社内の配置転換で必要になる専門知識の修得でも、その基礎知識を高等教育で学んでいるかどうかが、大きな問題になる。基礎知識を修得している者が、最新の専門知識を学び直して職務に就くことは、容易ではないとしても、不可能ではない。しかし、そうでない人材が、いくら最先端の知識を学んでも、それを理解して、職務の遂行にその知識を活かすことはできない。それほど、21世紀の専門知識は、進歩しているのである。
この専門知識の高度化に対応するためには、各企業は、自社で将来必要になる専門知識を調査研究し、その専門知識が必要になる前に、その専門知識を持った人材を社内で育成しておかなければならない。例えば、20世紀末からの銀行では、情報技術の専門知識は、銀行業の発展を左右する重要技術の一つである。そのような専門知識を持った人材を、社外のベンダー企業からの派遣に依存することは、企業経営の視点から見れば、大きなリスクになると言える。少なくとも、企業内に必要な各専門で、核となる人材を養成しておかなければならなかった。しかし、20世紀前半からの古い体質から脱却できなかった日本の銀行では、そのような新しい専門分野の人材を養成する必要性に気付くことなく、その仕事を外部のベンダーに任せるやり方を採用してきた。ベンダーに任せても、銀行の経営陣は、ベンダーの人材を活用し、しっかりと管理できると信じていたのである。しかし、情報技術は、その専門を学んでいない人々にとっては、全く理解不可能な技術であり、その現場で起こる様々な現象を、しっかりと理解することはできない。そのため、非専門家の銀行経営陣は、ベンダーの報告を、しっかりとした理解なしに、「鵜呑みにする」傾向が出てくる。銀行側に、少しでも専門知識を学んだ経験があり、ベンダー側からの情報提供に対して、疑問点を明確にして質問をすることができる人材がいて、銀行の経営陣に対して、ベンダー側からの説明の内容をしっかりと説明できることができれば、少なくとも、銀行とベンダー企業間での不十分なコミュニケーションが原因で発生する問題は、未然に防止できたはずであった。コミュニケーションの不備と、非専門家が抱く、理由のない楽観論が事態を悪化させるのである。
とは言え、現在の終身雇用制の下で、銀行に情報系技術者を雇用することは容易ではない。人事部門も、そのような専門性の高い人材を組織の一員として受け入れ、養成した経験が乏しいからである。20世紀の日本社会では、獲得する知識の専門性の度合いが低くても、社会全体の平均より少し高ければ、「企業が認めている」ことを前提として社会的には「専門家」として通用した。しかし、21世紀の社会では、「企業が認めている」というだけで、社会的にも専門家として認知されることはなくなっている。それが、世界的な傾向である。特に、技術者の認定については、厳しい条件が付けられている。その条件の一つが、認定機関による資格試験であり、もう一つが高等教育機関による卒業認定である。世界的には、そのどちらか、または両方が要求されるようになってきている。日本社会では、現在までのところ、高等教育機関による専門教育による専門家の認定は、医学系学部学科以外には、採用されている制度はない。法律の専門家、会計の専門家、その他の工学系の専門家の場合、国家試験が課されている。情報系では、情報処理技術者試験がそれに近い制度といえるが、職業に従事するための資格とはみなされていない。日本社会においては、情報系専門家、情報系専門技術者の認定制度を確立することが急務である。そして、社内教育では、そのような認定制度に合格できる人材を育成することが、求められる。このことは、銀行のようなユーザ側の企業組織でも、ベンダー側の企業組織にも求められている。
5) 日本の銀行に起る変革を支援する情報技術者の役割と知識
20世紀の末から、日本の金融機関の社会的役割は、社会における決済仲介機能が重要性を増している。日本社会の銀行における普通預金口座の管理業務は、米国社会の銀行における当座預金口座の管理業務とほぼ等価である。日本社会では、個人が当座預金口座を開設して、個人名義の小切手を発行する習慣がないため、現金を普通預金口座に蓄え、そこから様々な引き落としを行うことが一般的である。このため、メガバンクのような巨大銀行では、膨大な数の口座を管理しなければならない。さらに、公的・私的組織との決済のために、定期的に膨大な数の伝票を処理しなければならない。現在の日本の銀行システムは、定時のオンライン業務終了後に、一括処理で、この処理を次の営業日までに終わらせなければならない。この口座引き落とし処理が滞れば、大企業などの場合、膨大な量の資金の流入が一時的に止まり、その金利だけでも莫大な金額になってしまう。それが、長期的な遅れになれば、日本経済全体の資金の流れを滞らせる結果になる。その意味でも、口座引き落とし処理や、送金処理を決まった時刻までに、正確に実施することは、銀行の社会的責任である。このことから、定時における、主としてATMからの処理要求に対するオンライン処理と、それ以降の時間に行なわれる一括処理を円滑に実施することが、銀行にとって極めて重要になっている。そのほとんどは、高速なコンピュータを使った、自動処理である。その自動処理を可能とするのが、ソフトウェアであり、そのソフトウェアを開発する人材が、銀行の貴重な経営資源である。
1970年代まで、日本社会における銀行の社会的役割は、経済的ストックの管理であった。しかし、それ以降の社会では、人々は現金でものを売買しなくなり、クレジットカードなどを利用したキャッシュレス決済が利用されるようになった。この時、資金の動きは、現金が動くのではなく、コンピュータ上のデータが動くようになったのである。つまり、実際の現金を運搬する必要がなくなったのである。銀行の社会的役割が、経済的情報のフローの管理に移ったのである。フローは、時間とともに大きく変化するので、その処理に時間がかかってしまうと、社会的な損失が大きくなる。つまり、フローの動きを「実時間」で追う必要がある。このことが、コンピュータに対する負荷を増大させる。特に、コンピュータは、故障する可能性がある機械なので、それを考慮に入れてシステムを設計しなければ、社会的な要求を満たすことはできない。特に、フローを管理するシステムでは、システムが完全に停止することは許されない。そのような高信頼性のシステムを設計し、実現する技術は、最先端のシステム工学を駆使しても、まだ実現できていない。現実に利用できる方法は、システム要素を多様化して、多重化し、システム要素のいくつかかが故障しても、システム全体の故障には至らないようにすることしかできない。現代の銀行のオンラインシステムでは、ネットワークの信頼性も考慮しなければならず、問題はさらに複雑化する。
このようなことから、これからの銀行に必要な情報技術者には、極めて信頼性の高いシステムを合理的に設計し、社会の要請に応えられるようにする役割が期待される。さらに、そのようにして開発されるシステムやそのソフトウェア要素は、常に完全なものを完成することは不可能であるため、不完全な要素を想定した障害時の対応も考慮しなければならない。処理は遅く、不完全でも、どんな状況に陥っても利用できる「人間の力」も考慮に入れた人間機械系のシステムを設計しなければならない。そのような大規模で複雑なシステムの構築を行うためには、情報システムに関する知識だけでは十分とは言えない。信頼性理論に関する知識、高度な人間機械系システムの構築に関するシステム工学の知識、ネットワーク構築などに関する知識なども要求されるはずである。そのような多岐にわたる知識を学んだ専門家をこれからの銀行組織は、養成してゆかなければならない。そのような人材の中には、高度なシステム設計に携わる人も出るが、そのシステムを構成するシステム要素や部分システムの設計に携る人も必要になる。特に、高度なシステム設計に携わる人材の育成方法は、現時点では未解決の問題であり、銀行や金融界が、自らの手で探ってゆかなければならない。将来の銀行のCIOは、そのような高度なシステム設計の能力を身につけた人材になってゆくと思われる。
もう一つの重要な問題は、コンピュータの利用が、従来のようなデータ交換やデータ処理、そしてデータの蓄積を中心としたものから、高度なシミュレーションや機械学習を応用した高度な利用に変化する可能性が高いことが指摘できる。そのような技術利用の高度化に伴って生じる問題の一つに、そのような処理の正しさや、それが社会の要請に適合しており、倫理的にも妥当なものであるかどうかを、その技術をサービス提供に利用する企業や銀行が、どのようにして確認するのかの課題がある。この問題も、現時点で「どのような考え方で、どのように行うべきか」についての専門家の間での合意はない。このことは、各企業、各銀行が、その正当性を合理的に説明できなければ、社会的な責任を全うすることができないことを意味している。その責任をCIOの責任の範囲に含めることには、問題が多い。それは、一般的にCIOに求められている責任とそれに伴う専門知識の範囲を超えているからである。そのようなコンピュータを利用した高度な技術は、人間の行動と同じように、いつも「正しい」と言えるような動きをするとは限らない。そのような、「社会的には受け入れられない処理が行われた」とき、銀行や企業は、その原因と再発防止法について、「社会が納得できる」説明をすることを求められる。銀行は「なぜそのソフトウェアの処理が正しい結果を与えると考えたのか」を合理的に説明しなければならない。その責任者を銀行は任命しなければならない。もちろん、その「証明」そのものは、銀行内での監査等で実施されるが、第三者機関の査察も受ける必要がある。それらを総合して、銀行としてその処理の「妥当性」を主張する必要がある。そのような責任を全うできる人材を、企業や銀行は、養成し任命する必要がある。