公開: 2021年10月21日
更新: 2021年10月22日
アジャイル開発の時代背景として、経済のグローバル化に伴った先進国経済のサービス化は、それまでの資本主義における「時間」とは違った時間観を我々に突き付けている。従来の資本主義、特に産業化社会時代(Industrial Society Age)の時間は、一人の人間の一生をかけてゆっくりと進む程度の進み方であった。1960年代の社会は、1970年代・1980年代の社会と似ていた。しかし、1990年以降の時代になると、社会の様相は、1960年代のものとは様変わりした。1980年代中頃までの時代は、時間の進み方がゆっくりとしていて、我々は社会の変化を実感できるほどの著しい変化を感じなかった。
このような変化が次々と起こる現代の世界においては、我々は数年先に起きそうなこと、10年先の社会がどのような社会であるのか、10年先の人々が何を必要とするのかなどを予想することが難しい。つまり、産業化社会の時代であれば、10年先の社会がどのような社会であるのかを予想し、予測できたが、今の社会ではいくつかの根源的な変化を除き、将来の変化を予測することができない。予測が可能なことは、各地域の人口の変化、各地域に居住する人々の最終学歴の変化程度である。10年後の我々の住む国家のGDPの予測値ですら、予測は困難になっている。
このように変化の激しい時代、ソフトウェアでどのような機能を実現すべきか、どのようなサービスを開発すべきかなどの問題を考えることは、難しい課題の範疇に入る。仮に、特定の目的を達成するシステムを計画したとしても、そのシステムの主要な機能がどのようなものであるべきかについては、それを具体化してゆく過程で、初期の段階では全く想定されていなかった機能を、組み込まざるをえない状況に陥ることは頻繁に起こるであろう。
このような当初想定していなかった要求が、開発活動の進展に伴って発生する例は、従来の開発でもまれに経験された。しかし、それはプロジェクトの初期段階における検討不足が原因で、しっかりと検討しておけば起こらなかった機能の追加や修正が必要になったものであった。つまり、その新しい機能の追加や既存の機能への修正は、不可避的なものではなく、人為的な現場作業での失敗で発生したものなのであった。これに対して、これからの時代に我々が直面する問題は、どんなに注意深く検討しても事前には予測不可能な事態が現実となり、要求や機能仕様の変更をせざるをえない状況が発生するというものである。
日本人は、国民性として変化を嫌う傾向がある。そして、変化や変更が不可避と認識する状況に追い込まれても、可能な限り従来からのきまりごとに沿って物事を決めることを好む。しかし、そのような態度は、問題の原因が本質的な変化である場合、問題への対応が表面的になり、実質的には問題の解決にならない結果に終ることがある。このような表面的な取り繕いを重ねていると、いつか社会全体としては、全く時代の潮流に適合しないものとなり、社会全体が危機に陥ることになりかねない。
特に、経済のグローバル化が進むと、他国の法律と日本の法律との不一致や矛盾が問題になる。それは、日本企業が外国で業務を遂行する場合にも、逆に、海外の企業が日本国内で業務を実施する場合にも、ある企業が事業を実施する国において守るべき法律が本国と異なると、業務実施上の制約が国によって違う結果となる。2016年当時、日本政府や米国政府と環太平洋諸国の政府が協議を行い、条約締結にこぎつけようとしていた環太平洋パートナーシッププログラム(TPP)は、そのようなこれまでは国別に決められていた法律を、国境を越えて共有しようとする努力であった。グローバルな経済の運営を効率的に実施しようとするとき、このような調整が必要になる。
日本社会が世界の変化に対して即応性が低い理由の一つに、日本社会における根源的な規範である「既得権」重視の態度がある。社会の制度を変更するとき、できるだけ、その変更によって不利益を得る人が出ないようにするという考え方である。新しいシステムや制度の導入により、サービスの対象となる人々の中で、誰がどの程度の利益を受け、誰がどのような不利益を被るのかを総合的に評価して、導入を決定することが一般的な世界的規範である。しかし、日本の社会では既得権を持つ人々が被る不利益を過大評価する傾向がある。
このことが、日本社会における迅速で適切な変革を困難にし、日本社会を硬直化させる。このような傾向は、ヨーロッパ社会の一部にも見られることであるが、ヨーロッパでは日本社会ほどの硬直性はなく、時代の変わり目においては大きな変化を受け入れる社会規範が確立している。これは、両社会の有史以来の社会における歴史の蓄積の差が影響していると言える 。
日本の社会は、中国式律令国家が成立した貴族を中心とした社会、鎌倉幕府が成立して以降、江戸幕府が滅びるまでの武家を中心とした社会、明治維新以降の第二次世界大戦に敗戦するまでの官僚と軍人を中心とした天皇制の社会、敗戦後の平和憲法に基づく国民を中心とした民主制の社会へと、変化してきた。この間、行政の主体は変化してきたものの、行政の主たる方法については、戦後の民主制に移行するまで基本的な変化はなかった。
経済のグローバル化は、これまでに人類が経験した封建社会から資本主義社会への変革、巨大国家の帝国主義社会から民主主義国家の産業化社会への変革などと同じ水準か、またはそれ以上の大変化が予想される地球規模での社会制度の変革である。日本が今後も国際社会においてこれまでと同じような貢献を維持しようとするのであれば、この大きな社会的変革にどう対応すべきかの戦略に基づいた制度改革、さらに国民の意識改革を進める必要がある。我々は、その覚悟を明確に持ち、この国家的な改革事業、すなわち社会制度と国民意識の改革に立ち向かわなければならない。