公開: 2021年7月13日
更新: 2021年8月6日
古代ギリシャでアリストテレスが「形而上学(けいじじょうがく)」の講義をしてから、1,000年が過ぎたころ、中世のヨーロッパは、キリスト教の考え方で支配されていました。人々は、聖書に書かれていることが「真実」であり、だから『神』は本当に存在し、「人類を救う」と考えていました。しかし、人々の中には、本当に神がいるのであれば、「サタン」もいるはずであると考える人もいました。そして、「『神』は本当にいるのか」と言う疑問を持つ人々もいました。
中世ヨーロッパに誕生した大学で、「神学」を教えていた、イタリア生まれのトマス・アキュナスは、この「『神』は本当にいるか」と言う疑問に対する答えを考え、一つの答えにたどり着きました。アキュナスは、普通、アリストテレスの考え方に基づいて議論を展開するのですが、この問題については、プラトンのイデア論の方法を使って、説明を展開しました。その方法は、今日、アキュナスの「実在論」と呼ばれているものです。アキュナスは、多くの人間が『神』と言う言葉の意味を理解できるのは、その概念が明確に存在するからであり、その意味で「『神の概念』は存在する」としたのです。
この実在論に対して、同時代のイギリスのオクスフォード大学で教えていたオッカムは、言葉は人間が、自分の都合によっていくらでも作り出せるものであり、言葉があるからと言って、それだけでその言葉が指し示す対象(この場合は『神』)が存在するとは言えないとする、「唯名論」を展開しました。これは、プラトンのイデア論に対する、アリストテレスの反論に似ています。このオッカムの主張は、その後、500年の歳月を経て、イギリスの産業革命時代の経験主義、そして実証主義への流れにつながってゆきます。
中世ヨーロッパの哲学者であったトマス・アキュナスは、バリ大学で「神学」を教えていました。その講義ためにトマス・アキュナスが書いた教科書として有名な本が「神学大全(しんがくたいぜん)と呼ばれている書物です。この「神学大全」で、トマス・アキュナスは、当時の多くの人々が疑問に感じていて、その疑問に答えることが容易ではない代表的な疑問を並べ、その疑問に対する答えを示しました。そのような疑問の中で最も有名なものに、「神は本当にいるのか」と言う疑問がありました。
「神」は、人が目で見ることはできないため、本当にいるかどうかを確認することは簡単ではありません。それでも、歴史上の有名な人々が、「神はいる」と信じていました。その人々は、「なぜ、神はいる」と考えたのでしょうか。普通の人々でもそれが分かるように説明するやり方が、「神学大全」に書かれています。トマス・アキュナスは、多くの問題については、アリストテレスの考え方を基にして議論を展開しています。いかし、この「神の存在」に関する問題の議論では、プラトンのイデア論に近い方法を使いました。
トマス・アキュナスは、人間は『神』という言葉が、どのような存在を指しているのかについて共通の理解を持っていることに注目しました。もし、そのような共通の理解を、人々が議論の対象である『神』に対して持っているのであれば、その意味するものや、その意味することは、少なくとも共通の理解が人々の間に存在していると言えます。これを別の言葉で言えば、その言葉が意味している「概念」は、存在していると言えるのです。その概念とは、プラトンの言葉を使えば、「イデア」です。つまり、「神のイデア」は存在しなければならないのです。トマス・アキュナスは、このことが「神の存在」の証明であるとしました。
この「神のイデア」が意味することは、次のように説明できます。私たちは、「善を為している」としていると信じている人が、実際に行っていることがどのようなものであるかを言うことができます。例えば、イエス・キリストと呼ばれていた人が、何を行い、どのような態度を示したのかを、新約聖書で読むことができます。また、イエス・キリストの弟子であったヨハネが、どのようなことをし、どのような態度で人々に接していたのかも記録されています。さらに、中世の世界で「聖人」と呼ばれていたローマのアウグスティヌスやアッシジのフランチェスカが、どのように考え、どのように生きたのかも、アウグスティヌスであれば、「告白」などの書物にかかれており、フランチェスカの場合も、伝説で伝えられていました。これらの例を並べて、これらの人々の行いの共通点を探し出すことができます。これらの人々は神を信じて、自分の心の中にある神と対話をしながら、自分の生き方を常に考えながら、毎日を生きていたのです。
これらの人々の行いの共通点を見ると、自分の欲を捨てた、「無私」の精神に基づいた行動が浮かび上がります。これらの人々の行為は、自分の為に何かをしたのではなく、「他の人々のために、自分を犠牲にしてもするべきことをする」と言う精神に基づいています。さらに、「人々に共通した悩みを知り、その悩みを解決するために必要なこと」について積極的に取り組むことを大事にしていました。キリストは、人間が誰でも持っている「欲」から人々を自由にすることが重要だと考え、全ての人間が生まれながらにして持つ「罪深い心」から人々を解き放すためには、自分の命をも犠牲にすることを厭わなかったのです。
これらの「善を為そうとする心」を強く持った人々が聖人とばれる人々であり、そのような性質だけを持った純粋な存在(人格)を考えると、それが神のイデアになるのです。少なくとも、その「神のイデア」そのものは、存在するはずであるとトマス・アキュナスは考え、説明しました。この説明の仕方を、我々は「実在論」と呼んでいます。神学大全が書かれた後、ヨーロッパの知識人はトマス・アキュナスの考え方を、最も正しそうな考え方として受け入れ、ほとんどの大学では、実在論の講義が行われたと記録されています。しかし、イギリスでは、オッカムと言う哲学者が、この実在論は誤りであると主張しました。
このオッカムの主張は、古代ギリシャ時代にアリストテレスが行った、プラトンのイデア論に対する、彼の反論に似ています。それは、現在は「唯名論」と呼ばれる考え方で、次のような考え方です。人間の言葉は、情報のやり取りを速く、効果的に行うため、話題に関係する様々な対象に名前を付けます。この名前を付ける行為は、その対象が本当に存在するかどうかには左右されないと、アリストテレスもオッカムも主張しました。中世の時代のヨーロッパの人々には、本当に存在すると思われていた「悪魔」(サタン)も、「悪のイデア」に基づいて考えれば、「悪のイデア」を行う存在として、イデア論としては、存在すると主張できるはずです。オッカムは、言葉があることと、その言葉が指す対象となっているものが存在するかどうかは、別の問題であるとしました。オッカムは、その対象が本当に存在するかどうかは、多くの人々がその対象の存在を確認できるかどうかで決まるとしました。これは、17世紀のイギリスで広まり、その後の産業革命を引き起こす基礎となった、経験論哲学の基になる思想でした。
19世紀のドイツの哲学者、カントは、イギリスで広く受け入れられていた経験論哲学の立場を真っ向から批判し、人間の思考には、経験をどんなに集めて考えても、それを絶対に説明できないもの(概念)を、人間の直観によって真実と考えることができるとしました。例えば、無限に広がる空間です。人間が現実に見ることができるのは、有限な「終わりのある」空間だけなのですが、その有限な空間の各軸を無限に長くすることによって、終わりのない「無限空間」を思い描くことができます。実際には「そんな空間は存在しない」と主張することはできますが、「そんな空間は、存在しえない。」とは言えません。我々の宇宙はまさに、無限な空間に広がっているように見えます。無限な広さを持った空間は、人間が経験から得た有限な空間の像を拡張して、その思考から生み出したものです。実は、時間についても同じような議論ができることを、カントは示しました。この無限な空間や時間の存在は、正面から否定することはできません。これらの問題では、プラトンの主張したイデア論が矛盾なく、成り立っています。
19世紀のカントの思想も、古代ギリシャのプラトンの思想も、それぞれの時代の数学者たちの基本的な考え方から学んだと言う意味で、共通点があります。その意味では、カントの思想も、イデア論の拡張であると言えるでしょう。さらに言えば、プラトンも、トマス・アキュナスも、カントも、「絶対的な真実」があると信じている点で、共通点があります。20世紀の哲学者たちの中には、「人間には、人間が信じていることが、絶対的な真実かどうかは、本当は知ることはできない。」と考える人々が少なくありません。人間に分かるのは、「どちらが、より正しそうか」だけだと考えているのです。その立場に立てば、「宇宙空間は無限の広がりをもつ。」とする考えは、必ずしも「正しい」考えとは言えません。今の人間には、どう考えても「それが正しくない」とは言えないだけです。人間の宇宙に対する理解が進めば、「宇宙空間も有限である。」と言われる日が来るかもしれません。かつて、天の川銀河そのものが宇宙でした。天文学が進歩して、宇宙には無限の数の銀河系が存在すると理解できるようになりました。もし、全ての銀河系の数を数え上げられる時代が来れば、今の我々の宇宙は、有限の広さになります。イデア論的な思想は、人間が正しい結論に近づける方法の一つに過ぎないのかも知れません。限られた数の定義と公理だけに基づいて、定理を証明する数学上の理論だけが、ただ一つの例外です。