ソフトウェアとは

公開: 2021年7月31日

更新: 2021年9月30日

あらまし

コンピュータを作り出した人間は、それを動かすソフトウェアを次々と作り出すことで、今や、私たちのまわりには、数えきれないほどのコンピュータとソフトウェアがあふれています。私たちが毎日乗っている自動車でも、1台の自動車に数十から数百のコンピュータとそれを動かすためのソフトウェアが動いています。

これまで議論してきたように、コンピュータ自身もソフトウェアも、完全なものを作り上げることはできません。つまり、場合によっては「間違い」を起こすモノなのです。さらに、最近では、「人工知能」とか「AI(エーアイ)」と呼ばれる方法で、プログラムを作らずに、自分で「学習」できるソフトウェアを作り、そのソフトウェアにどのような場合にどのような反応をすれば良いのかを教え込ませます。

この人工知能を利用した機械は、教えられた入力に対しては、教えられたように反応しますが、教えられていない入力に対しては、どのような反応をするのかが分かりません。ですから、人間が予想していなかったような反応をする場合があるはずです。人間が、コンピュータを利用し、人工知能で、生活をどんどん便利にすることはできますが、全てが人間に都合の良いように行くとは限らないのです。

人間社会の危うさ

人類は、LSIを作り出し、小さなコンピュータを安く、大量に作り出すことができるようになりました。このような技術の進歩によって、コンピュータは、様々な製品の中に、部品として組み込まれて使われるようになっています。このことは、製品を作る時に、従来は高度な技能を学んだ人々が必要であったのに対して、簡単な部品を使い、部品の動きをセンサで監視し、部品の動きを小型コンピュータ上で動くソフトウェアで修正することで、高度な技能を持った作業者なしで、製品を作れるようになりました。このことは、工場で製品を生産するためのコストを下げることを可能にしました。さらに、工場を建設するのに、有能な人材を集める必要がなくなるため、世界のどの国に工場を建設しても、製品を生産できるようになりました。

それは、工場の労働者に支払うべき給与の高い、先進国に工場を建設するのも、労働者に支払う給与の低い開発途上国などに工場を建設するのも、差がなくなったため、工場を先進諸国から開発途上国へ移動させて、製品の生産コストを下げるようになりました。このことは、先進諸国での労働者の仕事が失われることの原因になっています。仕事が失われると、家族の生活は苦しくなるので、先進諸国では、裕福な人々と、貧しい人々との間での、経済的な貧富の差が大きくなる傾向が著しくなっています。そのことが、先進諸国での人々の間での「格差の拡大」を引き起こしていると、考えられています。経済的に豊かな家庭に生まれた人が、高い教育を受けて、給与の高い仕事に就き、その子供たちにも高い教育を受けさせることができるため、有利になるからです。

社会の中で格差が拡大すると、豊かな人々と、貧しい人々との間で、様々な問題についての感じ方、考え方に違いが生じるため、社会全体の安定が保たれなくなります。2020年の米国で行われた大統領選挙では、トランプ前大統領を支持する国民と、バイデン大統領を支持した国民の間に、深刻な意見の対立を生み出しました。選挙が終わって、バイデン新大統領が就任しても、国民の中のかなりの割合の人々が、トランプ前大統領の、「敗戦」を認めないと言う、異常な事態が生まれました。それでは、国家の政治はうまくゆかなくなります。

先進諸国の社会が安定していないと、それらの国々の経済もうまく発展しなくなり、景気が悪くなって、仕事を失う人も多くなるので、物も売れなくなり、ますます景気が悪くなります。先進国の景気が悪くなると、先進諸国に製品を輸出している開発途上国でも、物を輸出できなくなるため、仕事を失う人々が増えて、景気が悪くなります。つまり、世界中で景気が悪くなるのです。コンピュータを使って、「良い製品を安く、大量に作る」と言う考え方は、それぞれの企業の立場で考えれば、「製品を安く、世界中に売って、もうける」ことができるので、良いことであるはずなのです。しかし、人類全体から考えると、必ずしも良いことばかりではありません。

19世紀から20世紀にかけての人類の発展は、経済の発展に支えられていたのですが、それは、コンピュータがなかった時代には、経済の発展が、人間が行うべき仕事を増やすと言う結果を招いたからでした。この時代、人類全体の経済の規模も大きく拡大しました。そして、その経済拡大とともに、世界人口も2倍、3倍に増えました。コンピュータの誕生と、その発展によって、人類は、「安いコンピュータを必要なだけ生産できる」ようになりました。それは、経済の発展が、仕事を増やすことは意味していても、その仕事を人間がするのか、コンピュータがするのかは、企業が決める時代に移ったことを意味しています。仕事を失う人が、数多く生まれるようになったのです。仕事を失わない人は、今までよりも豊かになり、仕事を失った人々は、今までよりも貧しくなります。

人類の歴史を振り返ると、人間社会では、数多くの仕事が生み出され、そして社会から消えてゆきました。1945年に第2次世界大戦が終わってすぐに、米国社会は大量消費時代に入りました。数多くの人々が働く、大きな工場で大量に生産された製品は、大きな箱に詰められて、工場の端にあるトラックの荷積み場で、トラックに載せられ、全国に送り出されました。そのような製品を運ぶたくさんのトラックを運転するために、数多くのトラック運転手が雇われていました。荷物の量が多かったので、トラック運転手は不足していました。そのため、トラック運転手の給料は高く、なりたい人もたくさんいました。そのような時代が25年ぐらい続きました。

1970年代に入ると、米国の大企業は、賃金の安い外国に工場を移すようになりました。そうなると、工場から米国の各都市に製品を運ぶ必要はなくなり、各都市の近くにある飛行場や、港から各都市に荷物を運ぶ仕事が増えました。トラックの運転手たちは、ある工場と仕事の契約をするのではなく、飛行場や港に倉庫を持つ、運送会社と仕事を契約し、運送会社が製品を生産している会社と契約した仕事の一部として、荷物の運送を担当するようになりました。これによって、トラック運転手には常に仕事があり、休みなく働くようになりましたが、給料は少し安くなりました。

さらに、1995年を過ぎた頃から、インターネットを利用した通信販売が次第に増えたため、同じ製品を大量に運ぶ仕事はなくなり始めました。代わりに、1つ1つ違うものを、一軒一軒の家へ配達する仕事に変わり、「宅配」の仕事が増えました。このことは、通信販売業者間の競争を生み出し、宅配の仕事全体のコストを下げることが重要になったため、トラック運転手の給料は、さらに安くなりました。そして、2020年頃から、宅配の仕事については、人間のトラック運転手を必要としない、ドローンを利用した配送が始まっています。物を運ぶ仕事は残っていても、トラック運転手の仕事はなくなりつつあるのです。

ドローンは、小型のコンピュータとその上で動くGPSソフトウェアによって、移動が管理されます。荷物の送り先を地図上で確認できれば、自動的に荷物を送り届けられます。ドローンを使った荷物の配送には、ドローンの運行や、送り届ける荷物を荷造りする人達は必要ですが、運転手は必要ありません。タクシーの運転手にも似たようなことが言えます。将来は、タクシーに運転手が乗っている必要はなくなるでしょう。自動車が、自動運転になるからです。その意味では、コンピュータの利用によって、「運転手」と言う仕事が、社会から消えると言えるのです。

では、私たち人間は将来、どんな仕事をするようになるのでしょうか。長い目で見れば、人間が仕事をする必要はなくなるでしょう。少なくとも、毎日の生活をするために、給料をもらって、企業や組織のために労働を提供すると言う、「労働力とお金の交換」の必要性はなくなる可能性が高いでしょう。そのような社会が来るのは、50年以上、先のことでしょう。それより前の将来に限定して考えると、コンピュータ上で動くソフトウェアを作るような仕事は、絶対に必要です。それがなければ、コンピュータに仕事をさせることができないからです。特に、「コンピュータにどんな仕事をさせる」のかを考える仕事は、当分の間、人間にしかできないことでしょう。

また、そのようにして作られたソフトウェアが、正しく作られていて、「それを人々が利用しても、社会に混乱が起こらない」ことを確認し、そのソフトウェアの品質を保証する仕事は、新しく必要になる仕事です。そのような仕事をする人がいなければ、社会を混乱させるようなソフトウェアを作り、売ったり、配ったりする人が出てくるからです。今の言葉で言えば、「ウイルス・ソフトウェア」のようなものです。それを使って、詐欺や恐喝などの悪事を働く人々が出現するからです。

すでに、ウクライナの優秀なソフトウェア技術者集団が、他人のコンピュータに忍び込んで、ウイルスのような動きをするソフトウェアを忍び込ませたり、そのコンピュータで行われている作業の内容を秘密のサーバに送信する「スパイのような」役目をするソフトウェアを忍び込ませたり、勝手にコンピュータのハードディスクにあるデータを暗号化して、読めなくするソフトウェアを忍び込ませるなどの、「悪い」ソフトウェアを作り出すことができる、「ゲームオーバーデウス」と名付けられた特別なソフトウェアを開発しました。このソフトウェアは、今、世界中で、犯罪行為のための道具として使われています。

技術は、「善いこと」のためにも役立ちますが、全く同じように、「悪いこと」のためにも使えるのです。人間は、そのことをよく理解していなければなりません。少なくとも、「悪いこと」をするために、技術を使ってはならないのです。そうでなくても、人間は、「善いこと」をしようと思っていても、結果として、「悪いこと」のために技術を利用した例は、人類の歴史を振り返ると、数多くあります。原子爆弾の開発は、その典型例です。規模の大きな、誤りのないソフトウェアを、期限内に作ることは、人類にとって、誤字・脱字のない百科事典を作り出すよりも、はるかに困難な仕事なのです。

(おわり)