「日本人は最初からモノづくりに向いている人々なのだろうか?」この最初の問題に立ち返って考えてみましょう。これまでの議論を振り返ってみると、本質的な意味で「日本人がモノづくりに向いている人々である」と言う仮説は、単純に承認できる仮説ではなさそうです。日本人の一部にそのような人々がいたことは事実です。しかし、同じような人々は、世界の、特に先進諸国には、数多くいました。日本だけに特有なこととは言えません。さらに、第2次世界大戦の前後で日本国内に形成された社会的な制度や習慣は、それまでの農耕を中心とした日本社会に築かれていた、大家族を中核とした村社会の伝統に息づいていた変化を嫌う日本人の特性から、組織的に、大量に良い品質のモノを作り出すことが得意な社会を作り出しました。
このことは偶然のたまものであり、その時代にたまたま適合していたものであったとしか言えません。現実に、1990年代以降の日本では、ドルに対する円高と少子高齢化が進み、対外的な人件費が高騰したため、モノづくりに適した人々の社会とは言えなくなりました。さらに、この頃から日本経済の中核を担っていたベビーブーム世代が中年から初老へ差し掛かる時期と重なり、従来のようにと長時間労働に耐える力も衰え始めていました。そのことが、日本企業の人件費をさらに高騰させたのです。日本企業は、若手の労働者を雇用することを抑え、企業の支出に占める人件費の割合を低減する戦略を取っていました。これらの要因が多重に影響し合い、日本製品のモノづくりの一部は、日本から労働コストの低い東南アジアの国々に移ってゆきました。
この潮流は、1980年代末に米国社会で起きていたオフショア生産の流れに沿った戦略でした。当時、強い米ドルの影響で米国における単純労働者の国際競争力は著しく低下していました。米国企業はその問題に対応するため、主力の生産工場を海外、特に労働コストの低い東南アジア諸国へ移しました。そのような労働コストの低い国において生産を実施する方法をオフショア生産と呼びました。5年ほど遅れて日本企業も、生産拠点工場を東南アジア諸国へ移す政策を採り始めたわけです。これによって、日本企業は製品の国際競争力を増強させることに成功しました。しかし、この政策によって、日本国内の工場は閉鎖されたり、規模の縮小が実施されました。当然のことながら、それまで日本におけるモノづくりを支えていた熟練労働を担っていた人々の多くは職を失いました。そして、熟練労働者が持っていた技能も日本から消失しました。
歴史的に見て日本社会が人材と制度の観点でものづくりに適した社会であった時期は、1950年代から1980年代までの約40年間だけでした。それは、第2次世界大戦後の国際社会において、人口の急増を含めたいくつかの条件が偶然に重なったことで生じた、幸運の賜物の時代でした。このことは、これまでに繁栄した世界のどの国についても言えることです。18世紀の産業革命期のイギリス、19世紀の科学技術に支えられた工業化の著しいドイツ、19世紀半ばから20世紀にかけての資本主義の高度化で産業化社会が生まれた米国、そして20世紀後半の米ソ冷戦時代の日本です。
これら、近代世界においてモノづくりを核に経済発展をとげた先進諸国には共通した特徴がありました。その一つは、それぞれの社会における各種制度を含めた過去の遺産の蓄積があったことです。特に、人々の日常生活を律している倫理観において、まじめに働くことを「善し」とする考え方が、宗教的または社会的に主流となっていたことです。個人主義的な文化が根差していたイギリスや米国では、資本主義の精神に裏打ちされた「資本の蓄積を認める」社会が出来上がっていました。逆に、全体主義的な文化が根差していたドイツや日本では、個人が社会のために個人の生活を犠牲にすることを美徳と考える文化ができていました。そのことが、お金を貯めることを良いこととし、勤勉に働くことを良いこととする規律を生み出していたと言えます。
21世紀に入って、中国が経済力を増し、世界経済において重要な役割を担うようになりました。それは、中国の人々の労働コストが安く、低コストでモノづくりができたからです。中国の工場で生産された製品が世界中の市場に出回りました。これによって、中国の経済は著しく発展しました。さらに、2010年頃から中国では、先進諸国の企業が開発し、設計した製品を製造するだけでなく、自国の企業が開発し、設計した製品を製造し、輸出するようになりました。先進諸国の企業が設計した製品と同程度の製品を、中国で設計できるようになったからです。このよう自国開発の製品設計が可能になり、コスト競争力の高い中国の企業は、先進諸国の企業の製品を圧倒するようになっています。つまり、1990年頃までの日本のモノづくりを、今や、中国が手掛けているのです。
その中国では最近、人々の生活水準が上昇し、人件費が高くなってきています。つまり、モノを生産するためのコストが上昇し、中国製品の先進諸国における市場での価格競争力は少しずつ低下し始めています。そのため、世界的な企業は生産工場を移すための次の拠点国を探しています。いずれ世界的な企業は、その生産工場を移す中国以外の拠点国を見つけ出すでしょう。それは10億人以上の人口をもつインドかも知れません。一般の労働者の賃金水準も現在の中国より低いからです。さらに、インドでは英語が広く通じるため、世界的な大企業にとっては中国よりも有利な条件もあります。仮に、世界の製品製造拠点が中国からインドへと移動すれば、インドの経済力は大きく発展するでしょう。そうなれば、その時点でインドがモノづくりに向いた人々の国と言うことになります。
このような考え方から、「モノづくりの拠点が集中する国」となるための重要な条件は、その国民の知的水準や労働観ではなく、労働コストが低く、一定の人口が既にあり、その人口が増加傾向にあることです。ですから、「日本人がモノづくりに向いている」と考えることは、日本人の勝手な思い込みかも知れません。確かに人類の歴史の一部分で、日本は世界一のモノづくり拠点でした。それは、これまでに述べたように、偶然が重なり合って起きた「たまたまの」現実だったのです。その事実が存在するからと言って、「日本人はモノづくりに向いた人々である」という結論は導き出せません。ですから、これからの世界に生きる皆さんは、自分の幸福の為だけでなく、日本の発展のためにも、広く働くことの意味を考え、その考えに基づいて生きてください。
(おわり)