公開: 2022年4月15日
更新: 2022年4月15日
弥生時代になって村と村の争いが増え、その過程で、武力の強い村が、隣接した村々を併合して、広大な土地を所有し、人口の多い村が誕生するようになった。その村の規模が数百人から千人を超える規模になると、村の統治のための組織が必要になる。つまり、政治的な組織が必要になる。村を政治的に統治できる能力をもった人々が多い村は、より大きく、強い村に成長する。そのような村の併合過程を継続してゆくと、強大な部族が支配する巨大な地域が誕生する。
その結果、日本に巨大な豪族と、その部族による地域社会の統治を支える政治組織が生まれる。そのような豪族の中で、最も力のあった豪族のリーダーが大王となっていった。その後、大王は、天皇と呼ばれるようになった。その過程を伝えていた話を基に編纂されたのが、「古事記」や「日本書紀」などであると言われている。
大王を頂点とした日本の統治機構は、大王の下に、大王の統治を助ける、大豪族が並び、その大豪族による地方の統治を支える豪族が並ぶと言うような、複数の階層から構成される社会に成長した。この社会の構造は、飛鳥時代頃に天皇制が確立し、中国式の中央集権国家が生まれるまで続いた。