公開: 2022年4月15日
更新: 2022年4月15日
弥生時代になると、人口が増加したこと、農耕のための耕作地が必要なことから、集団間の武力抗争が増えた。これは、縄文時代にはなかったことである。その原因が何なのかは、分かっていないが、人々の遺伝的な性質も関係していたかもしれない。特に中国大陸から渡来した人々は、大陸での戦いに敗れ、逃げてきた人々ではないかと想像されている。
農耕は、田畑を大きくし、人口の多い村で、人々が一斉に耕作する方が収穫量が多くなる。このような農耕生産の知識を得た日本人は、各村が、耕作地をより広くし、それを耕作するために必要な労働力を確保するために、隣接する村を攻め、併合するようになったからである。このころから、怪我の跡が残った人骨の出土が増えたのである。さらに、鉄を武器のために使う技術も進歩し、戦いのやり方も凄惨(せいさん)になった。