公開: 2022年4月6日
更新: 2022年4月6日
1960年代の日本社会では、地方の農村で生まれた若者が、中学校や高等学校を卒業して、集団で東京へ上京し、首都圏の工場や大企業へ就職した。この頃、日本社会での大学進学率は、10パーセントに満たなかった。すなわち、地方生まれの若者達のほとんどは、首都圏の企業に就職したのである。
終身雇用の制度が、日本社会に確立しようとていた時代、地方出身で首都圏の企業に就職した若者は、企業が準備した教育プログラムに従って、さまざまな知識を教育され、男性社員は企業の管理者や技術者に育てられていった。女性社員は、工場で働く行員や、事務職を担当する事務員として20歳代の前半まで働き、その後、退職して結婚し、家庭の主婦となっていった。
この時代の若者の多くは、第2次世界大戦後に生まれた「ベビーブーム世代」の人々であり、1960年代の末から1970年代にかけて、日本の労働生産人口の中心として日本の経済発展を支えた。彼らは、工業生産の現場で働く労働力を提供するだけでなく、市場で巨大な需要を生み出す消費者として、日本経済の拡大に寄与した。