人間、道具、社会

公開: 2019年7月13日

更新: 2024年10月26日

あらまし

日本社会は、20世紀の終わりまで、世界で起きている変化に対応できるように、日本の社会制度の一部だけを変えて、大部分は従来からの制度を踏襲するやり方で、社会をゆっくりと変化させるやり方で、社会的な混乱を少なくしながら、世界の動きに対応してきました。

9. 知と社会の発展 〜 (10)日本社会の弱点 〜

日本の社会は、人間社会の変化に対応して、社会の様々な取り決めを、必要だらと言っても、簡単に変えることを好まない社会です。明治維新になって、日本の社会をヨーロッパ社会のように変えようとする、強い意識はありましたが、江戸時代までに作り上げられた、様々な社会の決まりごとの多くは、明治時代に入ってもそのまま踏襲され、日本の法律になりました。さらに、第2次世界大戦に負けた直後の危機的な状況でも、明治時代に決められた法律の多くは、ほとんどそのままの形で、戦後の民主主義の社会になっても引き継がれました。その一部が、教育制度です。大学教育も、戦後、少し変わりましたが、本質的な部分はそのままの形で引き継がれたため、大学教育の目的は、高度な専門家人材を育成すると言うよりも、日本の社会を導く人材を育てると言う点に、重点が置かれていたと言えます。

企業と企業で働く専門家との関係も、アメリカ社会と日本の社会では、大きく違うあゆみをしてきました。既に述べたように、アメリカ社会では、20世紀に入って、工場で働く人々の中に、専門的な教育を受け、その知識を使って働く、知的な労働者が生まれ、その人材を育成するために大学教育が専門家育成の教育を重視するように変わりました。その結果、大学で学んだ人を採用するとき、企業は専門家として見て、自分達の企業で「働くために必要な知識や実務経験」を持っているかどうかを、客観的に判断しなければなりません。これに対して、日本社会では、企業は将来、自分達の企業の経営を担う人になれるかどうかで、大学卒業生を判断します。その意味で、その採用しようとする人が、卒業した大学で学んだ専門的な知識は、あまり問題になりません。むしろ、その人が、「この会社の風土になじみ、長く勤務して、部下たちの面倒をしっかりと見てゆけるかどうか」を問題にする傾向があります。入社後に、会社から与えられる「仕事を行うために必要な知識」は、大学で学んだ知識に頼るのではなく、社内の教育で与えると言う姿勢があります。

実際には、最近のように社会の変化が激しくなると、「新しい仕事を担当できる人材」は、社内にはいないため、そのような人を最初から育てるのには時間がかかります。社会の変化が速くなっているので、そのような人を育てている間に、その知識も変化し、さらに場合によっては、そのような仕事自身も必要がなくなることがあります。これでは、日本の企業は、専門家を雇い、働かせている海外の企業との競争に負けてしまいます。そのような社会の圧力を感じている日本企業は、ゆっくりとではありますが、新入社員の採用や、社内の人材育成制度の見直しを行うようになりました。社内で、人事部がそのような検討をしている間にも、世界はどんどん進んでゆくので、日本企業が世界の変化に追いつくことは難しくなっているのです。

日本の一部の大企業は、日本的な雇用慣行である「終身雇用」を維持することには意味がなくなったとして、新しい雇用関係を見出そうとし始めた企業もあるようです。しかし、企業の雇用制度を変えても、大学教育自体が変わらなければ、人の育て方は変わらないので、本質的な変化にはならないでしょう。日本社会は、遠い昔から、世界の動きに合わせるように、自分達の社会の取り決めを少しだけ変えて、その新しい動きに合わせるようにしてきました。このようなやり方は、人間が作る社会の変化の速度が遅い時代には、大変有効なやり方だったと言えるでしょう。しかし、最近の世界で起こっている変化は、変化の速度が速いだけでなく、変化の大きさも大きくなってきています。今までのやり方を少し変えて、世界の変化に対応すると言うやり方では、しっかりとした対応ができなくなりつつあるのです。

(つづく)