人間、道具、社会

公開: 2019年7月13日

更新: 2024年10月26日

あらまし

イギリス社会で生まれ、発展した資本主義によって、イギリスの経済は、著しく豊かになりました。しかし、その直後、イギリス社会は深刻な不況に見舞われました。その経験から、社会学者のマルクスは、その不景気の原因が資本主義の本質的な欠陥にあると主張しました。それは、資本家による生産手段の独占です。その問題を解決するため、マルクスは、共産主義を提唱しました。

9. 知と社会の発展 〜 (7)不況: 資本家の欲望が生み出した弊害か 〜

資本家が工場を建設してから、次に新しい工場に立て直すまでの間、新しい機械をその工場に設置して、生産を始め、その機械が古くなって、次の新しい機械に入れ替えて、生産を再開するまでの間、工場の建設に携わる人々や、機械を作る人々の仕事は減ります。工場の数は、たくさんあるので、工場を建設する仕事や、機械を作る仕事は、注文が入ると、大変忙しくなります。しかし、少し時間が経つと、その忙しさはなくなり、さらに時間が経つと、仕事そのものがほとんどなくなる時期が来ます。この忙しい時期と、ひまな時期は、大きな社会全体でみると、数年単位で繰り返されていることが分かりました。この忙しい時期を、我々は「好景気」と呼び、ひまな時期を、「不景気」と呼ぶようになりました。

不景気な時期が様々な仕事の分野で重なると、「大不況」と呼ばれる、社会全体に経済が停滞する時期が発生します。社会全体に仕事が少なくなるため、失業者が社会にあふれ、治安が悪くなったりします。つまり、泥棒などの犯罪が増えるのです。さらに、給料が入らなくなるので、農業の時代に起こった飢饉(ききん)のように、食べ物を買えずに、飢え死にする人も出ます。19世紀のヨーロッパ社会では、大不況が時々発生しました。これを見たドイツの経済学者マルクスは、その原因が、資本主義社会では、生産手段を所有している資本家と、それを持たない労働者階層があり、資本家は、自分達のもうけを追求するため、不景気が繰り返されてしまうと、指摘しました。マルクスは、「生産手段を国家が所有し、それを労働者が使って、社会で人々が必要とするものを、必要な量だけ生産すれば良い」と主張しました。これが共産主義社会です。

ヨーロッパの諸国でも、アメリカでも、「共産主義こそがあるべき姿である」と信じる人々が出現し、「社会革命を起こすべき」だと主張しました。それに対して、資本家が自らの「道徳心に基づいた企業の経営を行い」、労働者に、資本家が得た「もうけ」を正しく分配すれば良いはずであると主張する人々もいました。特に、後者の人々は、労働者を守るため、労働時間の上限を決め、最低賃金を決める法律を作りました。さらに、労働者が働く職場をきれいに保ち、労働者が良い家に住むことが、労働者の働く意欲を高めると考え、そのように労働者の待遇を良くしようとする経営者も出てきました。社会全体でも、「そのような考え方は正しい」として、新しい法律を作りました。特にアメリカ社会では、労働者と資本家が同じ立場で、給料や労働時間などを話し合うための「労働組合」を作り、協議するやり方が定着しました。

このような新しい決まりごとを決めて、資本主義社会を進歩させました。その結果、資本主義社会における人々の生活は、大変豊かになりました。歴史的に見ても、18世紀に産業革命が始まってから、20世紀の中頃まで、先進諸国の経済は順調に成長し、どの国においても人々の生活は豊かになりました。特に、20世紀前半の社会は、人類の歴史の中で、最も「人々の間での富の配分がうまく行われ」、富の格差が小さくなった時期であったと言われています。つまり、その時、社会の中で最も豊かな人と、最も貧しい人との収入の差が、最も小さくなったのです。それは、各国で行われていた税金の制度や、企業における資本家と労働者との間の権利に関する取り決めなどが、最も平等であった時代と言えます。とは言え、そのことが社会の中の格差をなくしたというわけではありません。

資本主義社会の国々では、経済が大きく発展したのに対して、共産主義制度を採用していた国々の経済は、停滞しました。その結果、資本主義諸国と、共産主義制度を採用していた社会主義諸国の間の経済格差が拡大し、1989年には旧ソビエト連邦は崩壊し、ロシア共和国が誕生しました。その過程で、いくつかの国々が独立し、さらにほとんどの国が資本主義国となりました。社会主義国の経済が停滞した理由はいくつか考えられますが、最も重要だったと考えられていることが、社会主義国の社会では、市場における競争がなかったために、経済の発展が停滞したことだとされています。競争がなければ、人間は「もっと上手にやろう」という意欲が出なくなるという説です。そのことが、社会全体の変革を起きにくくし、停滞させると言う説です。

20世紀後半の資本主義諸国では、20世紀前半の資本主義の成功と、社会主義諸国の経済の低迷を見て、市場における競争の重要性を過大に考えるようになりました。「政府の介入をできるだけ少なくして、企業同士ができるだけ自分達の力で、自由に競争できることが経済の成長を生み出す」とする考えが、次第に優勢になりました。1980年代のアメリカやイギリスの社会では、「新自由主義」と呼ばれる考え方に基づいて国家の経済を運営すべきとする政治家が出て、税金の制度や、企業間の競争に関する制約をなくす(規制緩和と呼ばれます)道具を考え出し、それに基づいた政策を推進しました。その成果もあり、1980年代には、日本の経済成長に追いつけなくなっていたアメリカ経済も、1980年代の中頃に、日本が追いつき、追い越しました。

しかし、そのことが「新自由主義」の成果であったのかどうかは疑問です。その後、日本経済も少しずつ停滞するようになり、1990年代の末、再び、米国経済に追い越されました。その最大の理由は、むしろ日本国内の急激な人口現象問題の影響です。1990年初め頃まで、日本経済を引っ張っていたのは、戦後ベビーブーム世代と呼ばれた、人口の多い、「働き盛り」の世代の人々でした。この世代の人々が、生産労働人口(働いている人々)の中心として働いていたからです。1990年代の中頃になると、この世代の人々は、40代後半になり、企業の第一線から離れ始めました。その後の世代の人々は、人口が少なく、さらにベビーブーム世代の人々が後輩の指導を「ないがしろ」にした「つけが回って」きたからです。日本社会の生産性が少しずつ落ち始めたのです。次の世代を育てるために、政府も企業も、本腰を入れて努力すべきでした。それを1980年代からの20年間に、怠ったのが問題の根源でした。アメリカ経済が勝ったと言うよりも、日本経済が自滅したと言うべきでしょう。

(つづく)